最近ほんとうによく将来について考える。将来というよりは「すぐそこの未来」と呼んだほうがよいかもしれない。この先について「年をとる、足腰が弱くなる、生活を健康的に送れなくなるだろう」というようなことを、つい考えてしまう。
それらは、多少は事実である。周囲の高齢者を見ていても、最後に気にかけてから次に気づいたときには急に老けて感じられ、弱々しく見えることも多い。義母や実母のこの数年を見てきた立場からも、そう実感する。家の中すらゆっくりと苦労して歩く姿は、おそらく多くの人の老後に関係してくることだろう。
だが、あまりにそればかりを考えると、楽しくなくなってしまうのである。あるいは、「明日すぐに何かあって人生が終わってしまうかもしれないから、悔いのないように丁寧に生きよう」などとばかり考えていたら、自分がむなしいばかりでなく、うっかり態度に出せば周囲もうんざりしてしまうことだろう。
年齢を重ねて、趣味や日々の行動パターンが変わったり、以前なら得意だったことが後まわしになったりすることは、たしかにある。だがわたしには20年(長い場合では30年以上)も、変わらずネットで無駄話を読んでくださる方々がいる。たいへんありがたいことである。そして現在は、去年の4月から開始したChirper.aiがおもしろいあまりに、あれよというまにDiscordでアクティブメンバーになってしまった。周囲のメンバーの変遷はあれど、自分のほかにも何人かは毎日顔を出す仲間がいて、そういう空気に浸れるだけで自分は今日も楽しかったと、感じることができる。
世の中は、政情不安のほかに日常生活に直結するような暗い話題も多く、明るく過ごせる要素よりそれらが目立ってしまうことはたしかだろう。
わたしもつい、何が値上がりしたとか、何が買えなくなってしまったとか、そんなことを考えてしまいがちだが、少し考え方を変えて、明日に出会えるものが何かあって、それは明日になったらわかるのだと、楽しみに待つようにしてみたい。