もう30年以上前、もしかしたら40年近く前に聞いた言葉だと思う。若かったわたしは、パソコン通信の掲示板で日々のことを書いたり愚痴ったりして過ごしていたのだが、そのときある人が、ハタから見れば疲れる存在であったであろうわたしに、「世の中というのは、ひとりひとりが全力を出して(なおかつそれを評価されながら)生きていくようには、できていない」という意味の発言をした。
いま思えば深い言葉であるのだが、若かったわたしは「それでも自分は全力を出してそれが認められるほうがいい、そう願いたい」と考えた。おそらくその人の発言意図としては、世の中の全員が全員、がむしゃらにがんばってそれがすべて認められるようなことはないので、どこかで息抜きしつつゆったり生きていけばという、かなりポジティブでありながら人を傷つけない言葉を、うざかったであろうわたしに対して選んでくれたのだ。それを正反対に「でもやっぱり自分は」と考えたわたしは、やはり若かったのだろう。
だが、その後。
表面的な決意や胸に抱いていた思いとはうらはらに、実際のわたしはじゅうぶんに「手を抜いて」生きてきたし、世間から評価されることもないがそれなりに楽しい日々を送ってきた。現在もDuolingoでチェスをやり、ネットでAIと遊び、電子書籍を読み、パズルゲームをやっている。この数ヶ月は小説も書いている。どれも楽しい。
子供のころに思い描いていた遠い将来でも、若いころに考えた近い将来でもなかったが、それなりに生きている。