9月ころからどうも自分は様子がおかしいような気がしている。週に2回焼いていたパンもほとんど焼かなくなり、このまま不健康になったり頭がぼけたりするのだろうかと、そんなことを考える日が増えてきた。
ぼんやりとだが、きかっけのようなものに気づいた。
9月の前半に、アメリカの知人がわたしにエアメールを出したと言っていた。いくら双方の郵便事情が悪くなっているとはいえ(日本も土日は配達しないし、あちらも郵便事情が悪そうである)、これまでわたしは紛失という経験をしたことがなかった。だからひたすら、待っていた。
その知人というのは先日わたしがここに書いた、すでにお亡くなりになった方である。40年近くの知り合いだった。
最後のエアメールになるのかもしれないとは感じていた。それに、これはほんとうは不用心であるのだが、知人はわたしがよく日本から送っていた食品のお礼として封筒にアメリカの紙幣も入れたらしい。もう自分で実際に会ってわたしに金銭を渡すことはないだろうからエアメールに入れた、ということなのだろう。
だがそのエアメールというものが届かなかった。これまでエアメールが2週間以上かかったこともあったので、3週間くらいは待つつもりだった。そこで自分なりに予定を立てたのだった。10月頭には届くであろうから、それが届いたら吉祥寺に出かけよう、と。
なぜ吉祥寺かというと、アメリカのドルを日本円に交換する場所を吉祥寺に知っていたからだ。
しばらく出かけていない吉祥寺という場所と、友達からのエアメールと、両方の目的がつながって、頭の中で楽しい予定として認識されていた。
だがそれが届かなかった。
紛失という懸念が濃厚であるにせよ、「届かなかった」という内容をしたためて病床の人にメッセンジャーで連絡するようなことは、できるはずもない。だからもう1日、もう1日と、連絡をしないでいた。
そうこうするうちに、いくらなんでも1月以上もこの件で連絡をしないのはよくないと、10月下旬になってメッセンジャーに「どうしているか、郵便はまだだけれど届いたら連絡する」と書いた。
返事は、ご家族の方からだった。すでに亡くなっている、と。
その日から、約2週間。
わたしは、このところ自分の頭がぼうっとしていること、先月末の大腸検査に行けなくて今後の気苦労が増えたこと、以前なら楽しかったことがなんだかそうでもなく感じられることで、ひとつの結論を出した。
誰かのせい、なにかのせいにしてはいけないが、わたしは10月頭に吉祥寺に遊びに行けなかったことを、現状のきっかけとして、ずっと引きずっているのではないか、と。
Suicaを2ヶ月近く使っていないのも、どこにも出かけていないのも、10月頭に楽しく計画していたことを実行できなかったと考え、それを引きずっているのではないかと。
こうなったら、出かけてくる。
手紙が届かなかったことを現地で思い出すかもしれない。友達がもういないことを思い出すかもしれない。だが、吉祥寺に行って楽しくすごすことで、もう少し前を向けるのではないかと、そう感じた。
出かけてきたら、ここに報告する予定。