年末の掃除は年末だからという意味ではやったことがないが、たいていは探し物や、ちょっとしたきっかけで開始される。今日もそうだった。
もともと昼過ぎに寝具の洗濯をしようかと交換をしていて、家族もまた以前から懸念の場所を掃除していたので、手分けしてそれをおこなっていたのだが、ふと「うちの親に渡す予定のあれ(←とても小さなものだが茶封筒にはいっていたことだけはふたりとも覚えている)、見当たらないんだけど」という話に。
こういう話の流れでいつも同じ結果になるのは、最初に見たあたりのすぐ近くに落ちているというものだが、今回こそは違うと思いこんだわたしは「あの茶封筒をどこかに移動したに違いない」と、関係ない場所まで片づけを開始。最初は様子見をしていた家族も少し付き合いかけて、やはりいつものパターンで最初の場所にあるのではと、見に行ってくれた。あった。
おかげで余計な場所まで片づけが進んでしまった。いや、終わったわけではない。むしろ片づけかけて中断しているので、部屋の状態を認識する結果になった。
わたしが子供のころ、うちの親というのは年末の最後に二日ほどかけて、畳をはがして干したりするほど掃除をしていた。年末は怖いという刷り込みになったのはあの畳干しである。そのほかに木製の杵と臼を使って、廃材を燃やして蒸したもち米をついて正月に備えていた。
いま思うに、杵と臼の真横にわざわざもち米を蒸すための釜を(しかも家の隅などにあった廃材を使って火をおこし)用意して、蒸した直後に臼に入れるような労働意欲が、どこにあったのだろうと思う。当時でも家はプロパンガスでガスコンロを使っていたので、プロパンガスで蒸篭を使ってもち米を蒸すことだってできたはずだ。なんだか儀式のようなものだったのだろうかと、いまにして思う。それに廃材といっても一般家庭(製造業でも農家でもない事務職)なので、どこから調達したのか皆目見当もつかない。父はとうの昔に他界しているが、あの苦行のような年末は、なんだったのかなと、ふと考える。
ああ、待てよ。わたしが幼いころの話であるから、あの当時の父も母も、いまのわたしよりはるかに若かった。そうか。わたしももう少し若ければ、簡単な道を選ぶのではなく毎年のやり方を継続したのかもしれない。
現在のわたしは、いや、東京に出てきてから数十年のわたしは、年末だからといって別に掃除をしない。たまにきっかけがあれば掃除をする。そのきっかけとは、たいていは探し物なので、それが見つかれば掃除は中断になる。
今後、さらに部屋が乱雑になっていろいろなものが見つからなくなったとき、どうするのだろうか。性格からして、断捨離はできそうにない。そのとき考えよう。