かつて見た「スーパーの女」だったか…そんな話を思い出す出来事があった。自分のつとめる店でパートの人たちがお総菜を買わないとか、やる気がなくなっている状態を、主人公が建て直していくものだ。
今日は、最近はあまり出かけないスーパーの前を通る用事があったので、入店してみた。何か買おうと思ったわけではない。なんとなく、ふらっとだ。その店はわたしが以前に住んでいた場所に近く、新築でスーパーになったときの雰囲気をよく覚えている。きれいな店だな、ちょっと高めだが、そういうのもありかなと思わせられる店だった。
だが、震災のあとくらいから、店の雰囲気が変わった。節電のためと思うが照明を落としたことで、結果として華やかさが薄れ、小都市にありそうな昔ながらの地味スーパーに近づいた。すぐもとのようになるのかと思ったが、店内は手前の一部で自然光がとれるからよいとしても、奥だけでも少し照明をもどせばいいのにと、お節介ながら考えて、いまにいたる。
そして今日、ついに残念だなと感じることがあった。
店の客で理不尽な人がいたらしく、それがいかにひどかったかという不満を、店員1(そこそこ若手男性社員)が、声を落とすでもなく普通の音量で、しゃべっていた。そして店員2と3(男性よりは少し年上そうな女性ふたり)が、うなずいたり、拝聴している気配。店員1は、ふたりより少し地位があるらしく、まさしく「お話をちゃんと聞いていますよ」という雰囲気だった。
最初、わたしやほかの客が見えていないのかなと思ったのだが、客が近くを歩いてもまったく関係なく、話している。だめだこりゃ。う〜ん。
そして、その3人の担当なのかどうかはわからないが、すぐ近くの精肉の棚がありえない状態になっていた。普通は見やすい分量の肉パックだけを並べているものと思うが、そこでは「これでもか」と言わんばかりに、斜めになってもショーケースにつっこみつづけた結果のような、豚肉パックの山。売れ残るわ、こりゃ。あまりの迫力に、写真が撮りたいと思ったほどだ(もちろん自制したが)。
あの店、出るかなぁ、宮本信子みたいな人…。誰か元にもどせるか。最初の時代を知っているだけに、ちょっと残念。
そういえば、わたしがその店の近くに住んでいたのは、病気をした2007年ころまでだったと思う。先週ひさびさに大腸検査を受けて、その内容を通院記録のブログに書きながら昔の記事を少し読み直したのだが、いろいろな記憶がよみがえったところだった。
その店は、初回の入院記憶と大きく結びついている。
日曜に診察してくれるからと、総合病院に駆けこんでその場で入院を告げられるまで、薬をもらったら家に帰って寝ていよう、(家族がその店で買っておいた)弁当もあるので、寝転んでいればいい、何もしなくていいと、思っていた。ところが駆けこんだ先で、入院させられた。あとで聞いたら家族は弁当2人前を食べたそうである(笑)。
初回入院が長引き、わたしにとっての目標というか、正確には「切望」は、「普通の日常を生きる」ということだった。その日常には、もちろん今回こうして書いている店での買い物も含まれていた。
その後、日常をとりもどして、その店にも買い物に出かけるようになってから、数ヶ月後にわたしは引っ越した。遠くはなったが、徒歩圏内であることには違いない。
いろいろな思い出がある店だが、世の中に変わらないものはない。わたしもごくたまにしか買い物しなくなってしまったし、さみしいが、今後も見つめつづけていこうかと思う。