この時期の通院

 ほぼ2ヶ月に1回ほど、通院している。採血し、そのデータを見ながら医師が確認し、いつもの薬と同じでよいかどうかの判断ののち、処方箋が出る。だいたい5分の診察だが、検査の結果が出るまで院内にいてからの診察なので、だいたい1時間半くらいは、中にいることになる。

 4月の前半の予約がはいっているのだが、これをどうしようかと迷っている。実は最近の状況により、毎回同じような薬をもらっている人ならば、医師との電話相談で診察の代用ができる仕組みが認められたのだそうだ。電話で話し、状況に変化ないとわかれば、処方箋を薬局にFAXしてもらえるという。わたしはおそらくそれに該当する。同じような薬を何年も処方してもらっているし、血も毎回ほとんど変化ない。

 そしてその電話相談の場合は、後日に病院に出かけたときに支払いをすればいいのだという。

 これは安心という気もするのだが、もしこの状況があと何週間、あるいは何ヶ月もつづくのであれば、話は違ってくるかもしれない。
 いまのうちならば病院が空いているとのことで、あまり待たずに処方をしてもらえるかもしれない。だが今後の何週間かで、もし一般病院でも新型コロナの相談や検査ができるように方針変更があったら、病院はどこも混雑する。そして、感染リスクも(4月前半の場合よりは)高まるかと思う。

 いちおう、たまには血の検査をしてもらったほうが安心な気もするし、何回も連続して薬だけもらうわけにはいかない。う〜む、4月前半の予約をどうするか、だ。迷うぞ。

高輪新駅という略称が定着か…

 いろいろ話題に事欠かない山手線の新駅「高輪ゲートウェイ」だが、Twitterでは「高輪新駅」で定着している感が否めない。もうそれでいいと書いている人もちらほら。ハッシュタグももちろんできている。

 駅名が長いし、名称決定プロセスも妙だったし(東京さくらトラムもそうだったが、公募しておいて実は独自案を進めたかったのではとの疑いが払拭できず)、できあがってみれば駅の名前は明朝体で書かれているし(いったいなぜに明朝体)、そもそも目の前が品川駅だし——ほんとうに驚くことばかりだ。

 新型コロナの件がいつか落ち着いたら、ちょっと見に行ってもいいかなという気はするが…だがその前にまず、新宿か吉祥寺に遊びに行きたい。このところ近所の買い物と散歩ばかりで、けっこう気持ちがつらい。

埋蔵金と、土地の地下所有権

 理由はわからないのだが、夜になってから「徳川埋蔵金を群馬で掘っていた人たちがいたなぁ」と、70年代ころのテレビ番組を思い出していた。
 たしかテレビの特集で、そういう人たちを追いかけるようなものがあって、ある番組では親子で掘っている家族を取り上げていたし、別の番組では別の人を取り上げていたような記憶があり、とにかく、群馬には熱い人たちがいるんだなぁ〜と、子供心に思ったものだった。

 で、その人たちがどうなったかではなくて、もし自分の所有している土地の地下から、赤の他人が掘ったトンネルで埋蔵金が出てきたらどうなるのだろうかが気になり、検索してみた。

 あきらかに住居になっている場所の地下を掘った場合は、掘った人に問題があるといえるかもしれない(←事前に声ぐらいかけろよ、という意味で)。だが所有は自分であっても放っておいた田舎の裏山などは、どうか。埋蔵金を掘っていた人たちが地上の所有者を確認しないまま、迷いこむように掘ってしまい、結果として何か出た場合は、誰のものか。

 何メートル地下までが土地所有者の権利かを検索すると、ざっくり書くとこんな感じらしい。
(詳しくは「土地の所有権は地下何メートルまで」などの文字で検索すると出てくる)

○ 民法では、何メートル地下、何メートル上空などの定めはない。
○ ただし、民法以外の何らかの法で定めがある場合は、それに従う。
○ ではそれがどんな法律かというと、たとえば公共事業(上に電線を張る、下に地下鉄を掘るなど)で上下に制限が出る場合などが、考えられるとのこと。
○ そういった場合は、地下は40メートル、または土地の支持基盤の最下部から10メートル下までの、どちらか深い方、だそうだ。

 田舎に使っていない山林もなければ東京の自宅も借家(しかも埋蔵金があるはずのない住宅街)であるわたしが考えておくような事案では、まったくないことはすでに明白であるが、いちおう、田舎に土地をお持ちの方のご参考までに。
 

食品衛生責任者

 おそらく2005年前後ではなかったかと思うのだが、食品衛生責任者の講習会に出かけた。(食品衛生責任者については → 東京都福祉保健局による食品衛生責任者|食品営業はじめてナビを参照)
 そのときは受講費が1万円くらいで、プレート(それに名前を書いて店のよく見えるところに設置)が、千円前後だっただろうか。

 食品衛生責任者は、食品の製造販売や飲食業をはじめるには「最低でも、ひとり設置」が義務となっている。
 わたしはその2〜3年後に製菓衛生師の資格をとったので(製菓衛生師や調理師の資格があれば食品衛生責任者は不要になる)、その講習会のことは、あまり思い出すこともなかったのだが——

 このところ、冬にはノロウィルスで食中毒が騒がれるほか、季節を問わずに各種の食中毒、さらには現在のようにCovid-19(新型コロナウィルス)が猛威を振るうなかで、急に店のスタッフに再編成が生じて資格が必要になるなどの事態が生じないのだろうかと、そしてあの「たまにしか開催されない」食品衛生責任者資格の講習会を待っていられない場合もあるのではと、公式サイトを見に行くと… → 一般社団法人東京都食品衛生協会

 幸いなことに、開催場所も回数も、かなり増えている。
 わたしが出かけた当時は月に2回くらいで、場所もあまり選べなかったような記憶がある。わたしはたしか巣鴨か馬込か、そのあたりに出かけた。

 わたしは当時ネットでの食品販売に興味があったため講習会に出たのだが、別に受講の理由を聞かれることはないので、食の安全に関心がある人は、出かけてみるとよいかと思う。1万円程度を「いつかは役に立つかも」の前払いと考えておくのも、必要になったときにあわてなくて済むことを考えれば、よい投資ではないだろうか。

消費の意欲がわかない

 ライフスタイルはほとんど変化がないのだが、このところ、出先で何も買わない日がある。「これ、買っておこうか」と思うものに、遭遇しないのだ。

 トイレットペーパーの騒ぎのようにパニックして買っている人たちがいるらしいいっぽうで、いままでいろいろなものを1〜2ヶ月分ほど予備として買っていたわたしが、日々のちょっとしたものも買い置きするのがおっくうになってしまった。もう少しすると、けっこう身の回りのものが減ってくるかもしれない。

 外出は近所が多い。片道を散歩を兼ねて長めに歩き、帰りはバスか電車というパターンだ。新宿や吉祥寺に出かけようにも、デパートの食品催事はかなり中止になっており、あまり見てまわる気がしない。

 国が現金給付の検討をはじめるらしい。だが何やら、消費をしたいと思う気持ちになれない。お読みのみなさんはいかがだろうか。現金よりも、かつてと同じような「日常のものを普通に買える日々が早くきてほしい」と、つい考えてしまう。

 …気持ちが停滞してしまっている。いかん、いかん。

地下鉄サリン事件の被害者、浅川さんがお亡くなりに

 明日の3月20日で、あの日から25年になる。その前日、14人目の被害者浅川さんが命を落とされた。
 ご本人はもちろん、入院までの20年以上もご家庭中心で看護されていたご家族にとって、どれだけ長い苦難の月日だったことだろう。

 時事ドットコム 2020.03.19 浅川幸子さん死去 地下鉄サリンで脳障害―闘病25年、寝たきり

 25年。
 阪神淡路大震災が1月。そして3月がこの事件だった。つらく、思い年だった。
 
 
 浅川さんの、ご冥福をお祈りいたします。

元には、もどらないものもある

 世界的に大きな騒ぎとなっている新型コロナウィルスの件。個人的には、日々の生活にさほど変化がない。もともと通勤はしていないし、曜日に関係なく日課をこなしているためだ。
 ただ、これまでならば何日かに一度は電車など交通機関を使った外出で気張らしも考えられたのだが、いまはせいぜい隣駅くらいまでしか出かけない。デパートでも食品の催事は中止が多く、そしてわたしの関心事のほとんどは食品売り場である。食品の催事が中止になって営業時間も短くなっていると聞けば、急いで出かけることもないかなと、出かける気にならない。

 美術館や図書館なども休館または利用制限されていると聞く。映画館やカラオケボックスは、厚労省的には、おすすめスポットとは言いがたいらしい。

 ほぼ同じような日々をすごしながら、嵐の去るのを待っているところではあるが、ただちょっと「元にもどらないものもあるだろうな」と考えたものがある。それは自分でトレイに取るタイプのパン屋や、催事での食品売り場など、商品が空気に触れる販売方法だ。たまたま見たヴィドフランスでは、野方店も阿佐ヶ谷店もパンの棚にぴらぴらとしたフィルム状のものを垂らしている。その隙間から客はトングを入れてパンを取る。うまくとれるかどうか少し緊張する。
 こういう方式になってみて初めて「ああ、よく考えたら従来の販売方法は、気にする人はとことん気にするものだったのだ」と気づく。そのまま空気に触れているのだし、誰かがトングでいったんとりかけてやめたなどの商品も、あるかもしれない。そういう風に考えたことはあまりなかったが、たとえ薄いフィルムのようなものであっても、意識がいったんそういう方向に向けられてしまうと、新型コロナがどうのという話が去っても、いままでの方式には、もどらないかもしれない。

 食品の催事での販売も、大きな容器に海産物などを盛り付けて飾り、注文に応じてそこからとりわけて量り売りするなどは、もう元にはもどらないかもしれない。

 パンの場合は、焼けてまもなくの、ぬくもりが残っている状態での販売を客が好む傾向にあるが、そういうものは個包装できない。完全に冷めてから個包装して棚に並べるか、あるいはセルフ方式をやめて店員が商品を取るブティック方式への変化が求められる可能性も。

 スーパーの惣菜売り場も、揚げ物を客が自分でパック詰めするのではなく、あらかじめ店側がパックにしたものを売るようになっている店が増えてきたように思う。
 ああ、それから、出かけていないのでわからないが、ファミレスなどの自分で取りに行く飲み物や、サラダバーは、どうなっているのだろう。おそらく制限がかかっていることだろう。

 今後は、いろいろなものが目の前で包装された状態で陳列されていくのかなと考えると、さみしいというのか、情緒が失われた気分になる。さらには、エビ天2本でよかったのだが3本セットのパックしか残ってない、買うか買わないかどうしよう…といった話も出てくるだろう。だが、衛生面のリスクを思えば、仕方がないことなのかとも、考える。

 落ちついたら、映画にも、カラオケにも、食品の催事にも、ファミレスにも出かけたい。
 いつ終わるのかを考えると暗くなるので、周囲のみなさんと「コロナ終息予想」でもやってみようか。賞品はコロナビール(…とか、書いてみる ^^;)。

クリス・リード氏の訃報

 アイススケートといえば、わたしは安藤美姫選手が好きで、彼女が引退してしまってから男女ともにスケートを見なくなってしまっていた。
 アイスダンスのクリス・リード氏が昨年引退していたことも知らず、アメリカでお亡くなりになったとのニュースに、ひたすら驚いている。

 2020.03.17 朝日新聞 急逝のリード氏、最後のブログ更新 題名は「日本へ」

 新型コロナウィルスの件で帰国が遅れているうちに、アメリカでお亡くなりになったようで、残念でならない。
 ご冥福をお祈りいたします。

Dropboxの共有フォルダ作業(備忘録)

 ゆくゆくは「バウムの会」で、開催直後の画像共有の場として簡易SNS風に使おうと実験していたDropboxの共有フォルダ機能だが、どうもAndroid用のアプリからでは、制限があるようだ。

 たとえば写真をアップロードして、ひと言「○○県の□□洋菓子店」とメモを付けるとする。iOSや、パソコンのブラウザからならば、自分が書いたコメントは編集や削除ができるのだが、Androidでは編集も削除もできない。編集はおろか、書き間違えたら削除もできないのでは、利用者にとってかなり心理的な負担になる。

 メールサポートでDropboxに尋ねてみたところ、たしかにAndroidでは対応していないという。そのうちに対応してくれるならば問題ないのだが、これでは簡易SNSのように画像にコメントを貼りつけるといった気楽な使い方が、難しい。

 わたしはiOSで利用することが多いし、パソコンからならばコメントの編集や削除もできるが、世の中にはおそらくAndroidユーザが多いはずである。早めにDropboxが対応してくれることを祈るのみ。

東京大空襲、そして「終りに見た街」

 戦時中にかなりの数の人が亡くなった東京への空襲。とりわけ、ひと晩で100万人が亡くなったとされる東京大空襲は、3月10日夜のことだった。

 外国の歴史教科書などでもあまり語られず、日本でも戦時中の大きな惨事といえば広島と長崎の原爆がよく語られるが、ひと晩で100万人というのは、想像もできない規模だ。それなのになぜ、戦後の日本人はあまりこのことを大きくとりあげずに過ごしてきたのだろうか。不思議でならない。

 さて、山田太一の1981年の小説で「終りに見た街」というものがある。ねんのために書くがそれが正式名称なので「終わり」と書かないものの、「わ」を入れないのは落ちつかないが…。まあ、それはおいておこう。

 いまは亡き俳優の細川俊之が主役を演じてテレビドラマ化された。隣家と主人公の家の2軒のみが、昭和19年にタイムスリップしてしまう話だ。彼らは周囲から怪しまれてしまうが、なんとか未来人であることに気づかれないように、戦時中の世の中に溶けこもうと努力する。

 だが東京大空襲だけは、なんとしても、被害を低く抑えたい。そう考えた主人公らは、どうにかして人々に危険を知らせようとするが…。

 最後の最後で、そこが自分たちが知っていたつもりの昭和19年ではなくなっていたことに主人公は気づく。それが、最後に見た街の姿だった——。

 一度しか見ていないが、最後のほうで聞いた細川俊之の叫ぶような独白「歴史とちがーぅ!!」という声が、いまだに耳に残っている。印象的な作品であり、機会があればソフト化か、あるいは配信サービスにでも入れるとよいのではないだろうか。

 山田太一は、80年代くらいにはかなりの作品数をこなし、超のつく売れっ子だった。最近の作品は存じ上げないが、闘病中であると伝え聞いている。

 2011年以降は、3月11日を思えば東日本大震災のことで頭がいっぱいになった。だが今年はそれも新型コロナウィルスの件で慰霊祭すら行われなかった。
 東京大空襲も、東日本大震災も、どちらも人がずっと覚えているべきことだ。新しく何かを作るのがたいへんならば、昔の映像作品をリマスターして、ぜひ活用すべきだと思う。