「ライトセーバー」の「セーバー」

 頭で考えるよりも耳で先に慣れてしまったのだが、ライトセーバー(スターウォーズに出てくるあれ)の、セーバーとはなんだろうと、初めて考えてみた。

 ネットで見てみたところ、ライトセーバーは、lightsaberだった。中高年より上(つまり昭和中期生まれ)ならば「サーベル」という表現のほうに慣れていたものと同じだ。

 ちなみにビーチなどで水難のとき見守ってくれる「ライフセーバー」はlifesaverで、これは英語圏では別に水難のときに助けてくれる人ではなく、困っているときに助けてくれる人の意味が普通のようだ。地域差もあるかもしれないが。

 

今年は氷砂糖が売れたらしい

 2021年7月19日付けの「食品新聞」を見ていたところ、梅の豊作と、現在もつづくステイホーム的な日常が重なったことにより、今年は氷砂糖がとてもよく売れたのだそうだ。

氷糖商戦2021 金メダル級の快勝 全国で大幅プラス 青梅豊作、巣ごもり恩恵も

 たしかに、わが家でも氷砂糖を1kg購入した。

 梅は1kgしか買っていなかったので、余った氷砂糖でスライスしたレモンも漬けた。それでももう少し残っている。また何か漬けてみるかもしれない。

マウスピース(夜用)を使ってみて

 以前にも書いたと思うが、明け方に夢見が悪くて口内を噛んでいる疑いがあったため、歯科医院でマウスピースを作ってもらった。上の歯の分だけで、だいたい3000円。ソフトタイプだ。

 変形するからお湯で洗わないようにと言われ水で洗っているが、日数を重ねる内に匂いが感じられるようになってきた。そろそろ洗浄液があったほうがいいと思われ、明日あたり買いに出かけてみよう。

 初回の相談時に、歯科医は「ほんとに歯ぎしりで唇や口内を噛んでいるのだろうか」と、やや疑いを持っていたようなのだが、わたし個人としては、いま安心を感じている。実はこの数日、夏バテのような状態になって突然に横になってしまうことがあるが、今日は唇を噛みそうな気配があった。どうにか噛む前に気づいて踏みとどまったが、普段の就寝時は、これで助けられているはずだと実感。

 マウスピースの洗浄液というのは、どんなものがあるのか検索したが、店頭で見て安そうな物をまずは買ってこようと思う。

エミリオ・エステベス監督主演作品「パブリック 図書館の奇跡」

 家族が「映画を録画してある」というので、まったく予備知識のないままに見てみた。脚本、監督、主演がエミリオ・エステベスで、図書館の話なのだという。

(Amazonでも字幕版が見られるようなのでリンクしておく)

 原題は、The Public だ。舞台はオハイオ州。

 見はじめるなり「父親(マーティン・シーン)の若いころに、そっくりになったじゃないか」と、本編とは関係ないところで驚愕。そういえば数年前に1976年の映画「カサンドラ・クロス」でマーティン・シーンを見たときも、「若すぎてエミリオ・エステベスと区別がつかん」と思ったものだった。似すぎている。

 さて、ストーリーだが:

 いつも朝になると公共図書館に通ってきては、身なりを整えるなどくつろいでいるホームレスのグループがいた。寒波が厳しくなり、もうこのままでは生きていけないと感じた彼らは、自分たちによく接してくれる職員のスチュアート(演:エミリオ・エステベス)に、計画を打ち明ける——自分たちは今夜ここから帰らない、と。
 たしかに一般人でも体につらいほどの寒波であり、シェルターは足りていない。追い出せば彼らは死んでしまうかもしれない。規則では断らなければならないが、ホームレスらの決意は固く、気づいたときには70人前後がすでにフロアに集まっていた。

 最初はなりゆきで、彼らを守るためバリケードを用意させるスチュアートだったが、彼ともともとそりの合わない検察官(政界を狙う野心家)とのいざこざから、話がこじれる。そして彼は、ホームレスを扇動もしくは人質にとって何かをたくらんでいる悪者だとの誤った情報により、いったんマスコミの餌食になりかける。

 どうなるのかと、少しはらはらしたが、最後は痛快だった。

 傑作ではないかと個人的には思うが、IMDBでの評価は意外にも6.6のようだ。おそらくは、白人エリートが悪者に見えるこの作品を快くないと感じた人々も、一定数いるのかもしれない。

 前半はクリスチャン・スレーター演じる野心家の検察官が、あまりにも薄っぺらいキャラクタとして光る。そして中盤まではそこそこ穏健派かと思われていた交渉人役の警察官(アレック・ボールドウィン)も、やがていらついたおっさん風の役柄になってしまう。白人系の役者がストーリーにおいて善玉を独占してきた数十年以上の歴史に慣れてしまうと、こうした展開になかなか拍手喝采とまでは感じられない人も、いることだろう。

 まだご覧になっていない方は、ぜひ。
 過度の暴力やグロい場面は出てこないので、そこそこ安心だ。

靴屋が苦手なあまりに、笑い話

 靴は通販、または量販店(衣料品や生活雑貨と同じフロアで隅っこにあるような場所)で買う。店員さんがいる店は苦手だ。実は服もそうだが、服の場合は普段着ならばスーパーやドラッグストアにあるTシャツという選択肢もあるので、靴屋ほど怖くない。

 何が怖いかというと、現地での緊張感。店員さんがいるようなちゃんとした場所でものを買うには、まずはちゃんとした服装で出かけなければという思いがある。これと同じ理屈で、ヘアカットになかなか行けない。

 不思議なもので、食品売り場であればどんな都市部でも近所でも、平気でスニーカーで出かける。おそらく店員さんは、わたしの見た目を気にせず売ってくれるという妙な自信があるのだ。なぜその明るさと強さが食品以外だと発揮されないのか、自分でもさっぱりわからない。

 そんなわけで、楽天あたりでスニーカーを年に2足くらい買っている。安物を買って、くたびれてきたら捨てる。スニーカーと違ってサイズが合わないと苦労しそうなものに関しては、たまに近所の量販店で格安のものを買う。

 前置きが長くなったが、この数日のことだ。外出後に膝というか脚というか、何やら痛いような日がつづいたので、スニーカーが古くなってきたのだと考えた。ちょうど楽天ポイントがあるので、楽天で安いのはないかと、夜中に見ていた。

 普段からだいたい予備は1足くらい買ってあるのだが、就寝直前の夜中のことなので、玄関の靴箱にまで確認に行けない。買い置きの柄とそっくりなのも困るだろうからと、楽天の画面を見つつ「これと、これを近日中に買う候補に」と、目星をつけるだけにしておいた。

 だがその候補の中に、とてつもなく見覚えがあるスニーカーがあった。
 ぜったいに自分好みで、値段も安く、しかもこれからの季節に合いそうなものだ。
 ——どこで見たのか。以前に買ったことがあるのか。

 自分が買ったことがあれば楽天の履歴にあるだろうと思ったが、見あたらない。では義母が施設にはいる前に、予備として買ってやったのかと思ったが、それにしても買うのはほとんどが通販なのだから、購入履歴にないのはおかしい。では、いったいどこで見たのだろう。
 早く決断をしないと、2色あるうちの片方は入荷待ちで、もう1色もそろそろ終わりそうだ。早めに下駄箱を見よう——

 そして朝になって、わたしは下駄箱を見てみた。

 そしてその、楽天にあって迷っていたスニーカー2色の両方が、ほぼ未使用で下駄箱の奥にあったのには、さすがに笑った。もしやと思いパソコンから家族用の楽天アカウントを見ると、去年の晩秋にわたしの分として2足とも買っていたことがわかった。

 なんとまあ、もう少しで、同じものを買うところだった。

 おそらく去年の晩秋に到着した商品を見て、「この生地は夏向きだから、寒いうちは古い物を優先しよう」と思ったのだろう。今日の外出に履いてみたら実に快適だった。

 買う前でよかった。買ってしまって届いてからでは、目も当てられない。

更地になるときは、あっというま

 数年前だったか、ご近所の路地で異臭がすることがあった。高齢者介護に関係した人ならばわかる、排泄系の匂い。尿をたっぷり吸った紙おむつを、ゴミの収集日まで簡単な袋にでも入れているか、あるいは居住者が動けない(または呆けている)などでトイレが正常に使用できないまま、屋内に異臭が蓄積されている匂いだ。

 自分もそのころはまだ同じ立場だったので、同居している人がいるならばお気の毒、あるいは当事者のおひとり暮らしで排泄が思うようにいかないお宅ならば、行政の助けがはいらないとだめだなと、いろいろ考えてしまった。自分のことでも手一杯で、人の家のことまで考えている余裕はなく、便利とはいえその通りを歩くのはやめようかと真剣に迷ったこともあった。

 だが匂いに気づくようになって数週間、あるいは数ヶ月が経ったころ、その家は解体され、あれよというまに更地に。そして家が建った。単身者が複数はいれそうな共同住宅だ。持ち主または子供世代が土地ごと売ったか、あるいは土地をそのままに賃貸をはじめたのか、そのあたりはわからない。だが、あっというまのことだった。

 そして今日。

 そこは、わが家から数百メートル以上も歩くのでご近所づきあいも何も縁がない場所だが、地理的にとても目立つだけに気になっていた。2年くらい前から急激に「この家はおかしいな」という疑念が膨らんでいたものだが、ほんの数週間ほどそのあたりを歩かずにいるうちに、家が跡形もなく消え、更地になっていた。

(どう変だったかというと、あるころから、年季のはいったゴミ屋敷のたたずまいを見せはじめたのだ。普通は兆しがあってから少しずつゴミ屋敷になるが、気づいたときには「数年前からこうだったかのように」人為的な廃墟路線をまっしぐら。そして住人による外部への攻撃的かつ異様な言動を、少なくとも一度、目撃してしまった)

 この界隈は立派な家にご高齢でひとり暮らしというケースもあると思われ、ご本人の姿が見えないと思ううちに、庭木などをすべて短くしてからどこかへ移った(あるいは施設に入所した)例もある。そして、今日の段階ではまだブログ等に書けないような内容だが、大きな変化があって様変わりしたことがはっきりとわかるお宅もある。

 健康面での事情がなくとも、ご高齢の方が守ってきた土地家屋というものは、次世代が維持できなければ終わりを迎える。戦前戦後とずっと大きなお屋敷を保持してきたお宅でも、そのままの規模で次世代が管理できるわけではなく、ほとんどの場合は、更地にして大きめ共同住宅にするらしい。
 お金にはならなくとも自治体に寄贈するなどして公園用地にする事例も多少はあるだろうが、解体工事がはいって、更地になって初めて気づく「どこそこの角の家ってあれほど巨大だったのか」なども、次にやってきて住む人たちには関係のない話だ。

 消えるのはあっというま。

 だが、消えていくものについて自分が覚えていることがあるならば、少しはこうして文字に残しておきたいと思う。

「パリ祭」とは、なんぞや

 このところフランスの革命記念日7月14日を日本で「パリ祭」と呼んでいるらしく、ネットでもお祝いであるかのようなセール情報が流れてくる。そして去年も今年も、わたしは「いったいなんの祭りだったっけ」と、人に尋ねてしまった。どうやら、日本でだけそう呼ぶようだ。

 理由は、かつてルネ・クレール監督の映画で、原題 Quatorze Juillet (キャトーズ・ジュィエ、7月14日)が、日本での公開時に「巴里祭」という名前だったことにちなむのだとか → Wikipedia:パリ祭

 他国の建国記念日を祭りのごとく祝う(あるいはそういう口実で買い物をさせる)というのは、けっこう奇異なことに感じる。たとえば日本の建国記念日をよその国で「ジャパン・フェスティバル」や「トーキョー祭り」と呼んで、街で日本酒の販促をしていたら、見かけた日本人はけっこう驚くと思うが、それが日本での「パリ祭」という言葉のニュアンスに、含まれているように感じるのだ。

訪れている国の名前を間違える

 何かと話題に事欠かないIOCのバッハ氏だが、日本に滞在中でありながら、日本と中国を混乱したようである。東京五輪・パラリンピック組織委員会の橋本聖子会長を表敬訪問し、チャイニーズピープルの安全をと言ってしまってから、ジャパニーズピープルと言い直したのだそうだ。

 アジアの地名に親しんでいない方々は、悪気のあるなしにかかわらず、よく間違える。これは事実だ。わたしの知人にもいる。そしてわたしも日本人でありながら、前もって何秒か考えないと、島根と鳥取の位置関係を間違えそうになる。つまり、誰にでも多少はあることだろう。

 だが、よりによって滞在中の国で、しかも重大な場面であるのだから、今回は話が異なる。
 ここぞという肝心なところで間違えるとは、緊張感があまりない状態ということかもしれない。

 バッハ氏はオリンピックの特例で3日間のホテル内自主隔離で済んだが(普通の人には自主隔離14日間というのが、まだつづいているはず)、そのあともせめて最小限の行動をとるのかと思えば、広島を訪問したがっているそうだ。当然のこと、氏がひとりで行くわけではない。お供や報道陣などの大移動になるだろうし、現地もまた混雑するはずだ。

 不要不急の移動は避けるようにと1年以上も前から耳タコ状態で疲れきっている一般民には、田舎に帰省してよいものかどうか判断に迷う人もいる。だが外国から入国して2週間以内に東京から広島への大移動。ご自身への反対運動がまったく通訳されていないとは思えないので、おそらく周囲からの声は気にかけない人なのだろう。

 わたしは東京オリンピックについて、誘致が決まる前から反対だったが、やると決まった以上は積極的には反対しないと決めていた。だが延期が決まった去年から最近まで、機会があれば、開催反対の署名に協力している。

 いまからでも、開催をやめてもらいたい。

小松左京の短編「召集令状」

 数日前に、名作「くだんのはは」の収録されている短編集で、できればKindle Unlimited対応ものはないかと検索したら、これがあった。

 現在の日本の世相と比較しながら読むのもよろしいかと。
 短編なのでネタは書けないが、ほとんど戦争を知らない世代に、次々に召集令状が届いて、その予告された日付と時刻になると、どこかへ消えてしまうという話。ひとり、ふたりではなく、日本の国全体でそれが起こる…。

 小松左京は著作が多いので、何かしらの作品がKindle Unlimitedの対象になることが多い。借りたままにしておけば、それが対象からはずれても読んでいられるので、タダになったタイミングで落とすとよいと思う。10冊までキープしておける。

Kindle Unlimited(10冊まで読み放題)の無料体験で、30日までお試し可能。

Netflixにて、呪怨 呪いの家

 去年のいまごろ、配信開始されたばかりの「呪怨 呪いの家」を見はじめたのだが、6話中2話で脱落した。
 作品の描く時代の世相を反映しようという意図だろうが、かつての大きな事件をニュース映像のように作品に挟むその内容が、我慢ならなかった。女子高生が性犯罪被害にあったシーンののち、よりによって女子高生コンクリート詰め殺人事件を使った、その無神経さ。
 そのことに、むなしいというよりも、腹が立った。あの事件は、フィクションの一部にニュース映像のごとく一瞬だけ出すような、視聴者に簡単に消費させていいようなものではないし、そんなことをするのは、映像作品を作る態度としてどうなのかと。

 見るのをやめて、忘れていた。

 すると1年経って、ネットに書いた自分のメモが出てきた。作品を最初に見たとき「仙道敦子が出てきた」と、何やらうれしそうに書いていた。あれ、出ていたか…?

 あらためて、この作品を見た人のレビューなどをちらちら見てみた。やはり3話目以降も、その時代でどんな事件があったかのニュース映像もどきを挟む手法は同じだが、作品としては、もしやまとまりがあるようにも感じられるレビューがあった。

 仙道敦子はどんな役だったか忘れてしまっていたが、つづきの4話分(作品のクレジットなどを飛ばして見ればだいたい1話につき22分〜25分程度)を、休み休みに今日ぜんぶ見てみた。

 ああ、なるほど。
 ……ふむふむ、そうか。

 呪怨シリーズといえば伽椰子と俊雄の親子が出てくるものを連想する人が大半だろうが、その後はあの親子の見た目をお笑いのネタにして楽しむ風潮などもあり、最近は「呪怨」と聞いただけで「まだやるの、ネタあるの」的な、軽いうんざり感が否めなかった。

 だが、ほんとうはしっかりした前日譚があるんだぞと、真面目な世界を描こうという意図で作られたものだろうというのは、なんとなく感じられた。

 この作品を世に出したきっかけのひとつには、小野不由美著で映画化もされた「残穢(ざんえ)」、そして何かと話題の不動産事故物件検索サイトらの活躍といった、土地や建物にからむ因縁への関心が高まっているという、風潮の後押しがあったのではないだろうか。

 個人対個人の恨みによる「化けて出てとり殺してやる」といった幽霊話ではなく、より複雑にからんだ「土地に恨みや憎悪が染みついている」、「ここまでくると元から絶つのはたぶん無理」というものを匂わせておくことで、そして説明をすべてするのではなく見る側の解釈に委ねる余地を多くとることで、今後も呪怨ワールドは終わらず、ずっとつづけていくことができる。今回の件で「もっと見たい」と客に思わせられたのであれば、成功なのだろう。

 狙いは、わかった。
 ただ、ストーリーには、あらがありすぎる。

 作中で呪いの舞台となった家は、80年代までに、すでに何人もの人の手に渡っていた木造住宅だ。その後も不吉な噂や事件が絶えないものであっても、格安物件としておけば次から次に入居者があるというのは、ない。ぜったいない。物語は最後に90年代の後半で終わるが、若い夫婦が「安いから」という理由でやってくることは、家の見た目からしても、なさすぎる。

 それから、少しネタバレになってしまいかねないのでぼやかすが、ヨーロッパの石の住宅や、近代の建築でデザイナーに極秘で頼んだのでもないかぎりは、日本の古めの木造住宅で、天井裏の強度はたかがしれている。匂いも音も、温度も湿気も、とにかく、あれはない。

 まぁ、ともあれ、最終話の「時間が混沌としている」という描き方は、ビジュアル的に少し気に入った。
 それから仙道敦子は、やっぱり好きな女優だと再確認した。