メールはIMAPか、POPか

 このところ、IMAPが便利だとずっと思っていた。複数使っているメールアドレスの一部(たとえばAsahi-net)がいまだPOPのみ対応なのだが、それがIMAPに対応したら、メールクライアントで新しいものを試しながら今後のメールを整理したり、複数の方法でメール管理ができたりと、便利になるだろうと思っていた。

 現状ではそのAsahi-net等の事情があるために、パソコンを起動したときはPOP送受信分も含めてローカルのフォルダにメールをすべてコピーしている。モバイルや、メインではない環境ではIMAP優先で使っているので、そちらで先にスパム扱いしたり削除してしまえば、ローカルにコピーを保存することは難しいが、現在のところパソコンでも1日1回程度は読んでいるので、取りこぼしはあまりないと思われる。

 この方法を、無理にやめずに(大事なメールアカウント分だけでも)継続するのが、よいかもしれないと考えるようになった。

 取引終了までに数ヶ月かかる買い物や、たいせつな用件のメールがあることを思えば、今後もずっと、ローカルにコピーをとる方法にしておくほうが安心だ。もちろん楽天だAmazonだといった注文専用のメルアドでは1年程度の保存でよいだろうが、なかには何年でも見られるようにしておくべきメールもあるはず。

60年代「奥さまは魔女」で、家の間取り

 あの「奥さまは魔女」である。なぜか最近、あの家の間取りが気になって検索してしまった。ロケに使われた家は実在するようで、日本と違って木造ではないので現在も見られるらしいと海外在住の方のブログ等で知ったが、その方々が実際に(不動産を買うでもなく)家の中をガシガシ撮影しているわけではないので、やはり間取りについては記憶を掘り起こすしかないのだろうか。

(去年あたりにこれが気になっていたならば、定額の配信サービスで作品を見るチャンスもあったらしいのだが、今年はAmazonプライムで1作品ごとに支払う必要ありとのこと。Amazonに何話あるかはともかく全体では200話以上だ。課金は無理である)

 わたしが知りたいことは2点。ひとつは、2階の配置がよくわからない。子供部屋があったこととと、もしかしたら浴室があったような気がする。もう1点は、キッチンの隅に2階への階段があったような気がしてならないこと。

 だがネット上で配置を書き起こしてくださっている方の絵でも、キッチンについては不鮮明であるし、キッチンの隅にあるのが仮に階段であったとしても、玄関の目の前の階段とその位置がかなり近いため、そんな場所にふたつあってもしかたないだろうという気がする。
 やはり、わたしの記憶違いだったのだろうか。

 あの家がもし東京郊外にでもあったら、3億円くらいしそうだなとか、余計なことを考えてみる。

 それにしても、この件では、日本語と英語の検索結果の違いに驚いた。英語で家の配置を検索すると、あのドラマの部屋もしくは実在するロケ地が出てくるのだが、日本語では「ああいう家に住みたかった」という、書き手自身の思いに遭遇してしまう率が高かった。また、米倉涼子が演じた同名の日本語ドラマ情報もヒットした。

吉祥寺へ

 富澤商店なら必ず置いている商品だが類似品ならばスーパーにもあるだろうと、この数日あれこれ無駄に過ごしてしまった。あるかないかわからないものを近所で見てまわることがストレスとなり、けっきょくは富澤に出かけることにして、吉祥寺へ。

 以前は荻窪の富澤商店に出かけることが多かったが、荻窪には成城石井がないため、どちらも見たい場合は吉祥寺である。

 吉祥寺ではこの2年ほど東急百貨店の地下食品売り場に富澤がはいっているが、大昔には三越(現在のヨドバシカメラでありその昔は近鉄)の下にあった。その後に京王井の頭線の上(現在のキラリナになってからだったか?)に入居して、その後にアトレ東館にあったCuocaを富澤商店にしたのだが、最後に落ちついたのが東急百貨店。もう引っ越しをしないでくれたらありがたいが、どうなることやら。

 成城石井はローソングループだったと数日前に気づいた。ほぅ、そうだったのか。2014年からローソン子会社だそうだ。商品展開には個性と、ちょっとした高級感があり、わたしはけっこう好きなのだが、すぐ近くにはないので吉祥寺に出かけている。

 土曜日に近所以外の場所へ電車で出かけるのは、人が多くてたいへんである。以前は新宿でデパートの初売りに並んだこともあったが、遠い昔の話となった。いまは人がいない平日の昼間に出かけるようにしている。

 成城石井、富澤商店で買い物をして、往復ともに電車で帰宅。2時間くらいで帰ってこられたと思う。

DeepLがウクライナ語に対応

 高品質の翻訳サービスDeepLが、ついにウクライナ語に対応した。1日1回程度はPoland語などで使っているので、その都度「ウクライナ語はまだか」と確認していた。上記リンク先によれば、9月14日に対応した発表がなされている。

 よく考えてみれば、もしDeepLがウクライナ語に対応していたら、わたしはDuolingoを開始しなかった。現在は7カ国語を学んでいるが、DeepLには絶大な信頼を寄せているので、「わからなかったらDeepLで翻訳してもらおう」と思ったに違いない。だが当時まだDeepLにはウクライナ語がなかった。ついでに書けばわたしが学んでいるアラビア語もない。

 ウクライナ語をある程度まで学んだところで、DeepLでも利用できることになり、ありがたいことだと思っている。

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怒る客、耐える客

 厳密には客ではなくて患者なのだが、ひさびさに待合室で3時間以上も身動きがとれなくなり、周囲の様子をキョロキョロと伺ってしまった。

 わたしが通っているのはそこそこ歴史ある病院(建物は古い、待合は狭い)だが、この数年は予約システムがかなり浸透してきたために、せいぜい遅れても1時間待ち程度が多かったし、運がよければ予約時間とほぼ同時に診察ということもあった。そんな状況に慣れきっていたところに、今日の遅延である。

 通うようになったころ、その病医院(とくに内科)は、朝早くに順番取りに出かけなかった人は帰りが何時になるかわからない状況だった。そのころならば、ときおり順番待ちにいらついた人が受付に大きな声で食ってかかるようなことも、あったように思う。

 さて、あまりに呼ばれないのでまず疑ったのは「担当医、退席してるのか」である。患者の人数で考えたら5分か10分でころころ回転させなければならないはずだが、その担当医が患者を呼ぶ回数が、ほかの医師らに比べて圧倒的に少ない。たまたま長く相談している人がいるのならわかるが、呼んでいる間隔があまりに長い。

 10時〜10時半くらいの予約ということで出かけたのに、11時半になっても「医師が人を呼んでいる気配がない」ので、周囲に聞き耳を立てた。コロナ禍もあって、どうしても付き添いが必要な人以外はあまり待合に来なくなったので、患者は「遅いね」などの無駄口をたたく相手がほとんどいないのだ。だがなんとなくそわそわしている人がいることを感じ、わたしだけではないからと我慢をしていた。

 12時ころになって、わたしの近くに付き添いの家族と一緒の高齢女性が座った。わたしと同じようなことを考えているらしく「ここの病院て騒がない患者が多いから、みんな我慢しているのかな」と小声で話している。どうもわたしとは事情が違い、予約日ではないのに診察をしてもらうことになったので「自分たちは仕方ないけれど、この人たちのあとだから、いったい何時だろうね。午後3時半までには病院を出たいね」と。おーっ、なんと謙虚な。このあと3時間も待つつもりなのか。

 それとなく話しかけてみると、きちんと予約をしていたためにゆっくり来たわたしよりも、さらに30番以上も順番があとである(——内科全体の受付人数が30番以上あとという意味であり、全員がその医師を待っているわけではないが、それにしても多い)。おそらくご自分たちが遅くやってきたことを認識しているために、よりがまん強いようだ。

 近くの別のご婦人は、看護師に「ほんとうに先生は診察をしているの、誰も出入りしていない」と、質問のような半泣きのような声を上げたあと、遅れているという説明を受けたようだ。だがその後、何を思ったか、その医師の診察室入り口に頻繁に立って「ほんとうに人はいるのか、次も自分ではないのか」とばかりに、チェックを入れはじめた。いや、それやめようよ、無言だけれど考えていることが顔に出ていて怖いよ。

 その後、12時をだいぶ回ったので、わたしも動いてみることに。一番近い窓口に出かけ、それとなく笑顔で「○○番ですが、帰ろうかと思います。来週とか再来週に、また来てもいいですか」と話しかけると、15年以上も通っているので顔をおそらく覚えられているのだろうが、相手がキリッとした顔になり「調べます…あっ、次の次なので、よろしかったらこのまま待っていただけませんか」と。

 席にもどり、腰を下ろすと、先ほどのご家族連れが「番号がまた動いたね、でも自分たちはまだまだ先だ」と話をしていた。こちらをチラチラ見るので、それとなく「受付に聞いてきたら、わたしは次の次だそうです」と話すと、高齢女性が付き添いの男性に「わたしは車椅子で移動が面倒だから、聞いてきて、ねえ、聞いてきて」と、せっついている。男性はどのみち遅くなるのはわかっているのに自分が窓口に聞くのも嫌だなという顔で「車椅子ごと連れていってあげるから、自分で聞いて」と、ふたりで去っていった。
 その後は姿が見えなかったようなので、もしや、予定時間を聞いてあきらめて帰ったのかもしれない。

 わたしが呼ばれたのは午後12時半過ぎ、診察と処方箋の発行は数分で、会計をして病院を出たのは1時過ぎだったように思う。だがその間、誰も大声で怒鳴らなかったし、遅れていることを声や態度に出して落ちつきなくしていたのは、ほんの数人だった。

 病院というのは待たされるものだという意識が染みついている人もいるにせよ、怒る人が少ないと実感。古い病院だけに、客層というか患者層の年齢が高いのだろうか。

 ほかの大きめ病院では、どうなのだろう。

「だて正夢」とは

 東北地方のローソンで地元の米粉を使ったドーナツが販売されるという記事を読んでいて、わたしの目線は「だて正夢」に一直線。

 宮城県が力を入れている米のブランドで、公式サイトはこちらだそうだ → みやぎ米「だて正夢」 公式ホームページ

 今年になってようやく(生産者さんらには申し訳ないが)米が値下がりして、以前は高くてなかなか購入対象にならなかった「ゆめぴりか」を、涙を流しながら食べているわが家としては、世の中は「きらら」、「はつしも」、「ゆめぴりか」で回っているようなものだったので、失礼ながら「だて正夢」はまったく知らなかった。

 おや、そういえば、宮城では以前に「ササニシキ」という米を作っていなかっただろうか。コンビニの弁当でも「米はコシヒカリ使用」、「ササニシキ使用」と、大きく書かれていた。ササニシキさんは、いまどちらに。

 検索してみたところ、ササニシキの後継品種として「ささろまん」というものがあるそうだ。知らなかった。

1商品のみで勝負の店

 都立家政駅の近くに、鈴カステラの店ができた。まだ開店から間もないが、最初の数日は人だかりがあったものの、現在のところ、平日昼間に通る分にはほとんど客がいない。

 こういう商売は、賭けだろうと思う。お味見いかがですかと2〜3個を出してしまえば、最低15個入り600円からの販売のところ「ああ、今日明日で15個は食べられないから、いいや」と通過される可能性がある。さらには数人以上が住むご家庭、もしくは近所の人とお裾分けの付き合いがある人であっても、最小が15個以上からのセット販売というのは、かなりリスクが高いだろう。

 ○○味などのミックスを販売するわけにもいかず(←焼いてしまえば見た目でわからなくなるので販売する側も買う側もリスクがある)、かといって鈴カステラの店と書いておきながら普通のカステラや今川焼きを出すわけにもいかず——となれば、これはもう、都立家政駅ではなくて、西武新宿線なら高田馬場の改札あたりを狙うとか、中央線ならば荻窪あたりを狙うとか。

 ちょっと都立家政のあの場所は、ビジネスとして冒険ではないかなと、思っている。

 甘党のわたしでも、15個は買いたくない。料金が割高でも5個入りの小袋を、まずは出すべし。

 

鷺ノ宮界隈にほしい店

 散歩を兼ねて、旭製菓のかりん糖と、駅隣接の唐揚げ(福のから)を買いに鷺ノ宮まで。道順の選択に失敗し、往路に妙正寺川沿いを選んで夕方の西日を思いっきり浴びてしまった。まだ夕方でも暑い。帰りは鷺ノ宮の北口から都立家政駅方向へと歩いたが、行きと帰りを逆にすればよかった。

 鷺ノ宮駅のあたりを歩くたびに、あるといいなと思うのは、100円ショップと、ややおしゃれ系の食品店。たとえば野方にあるジュピターコーヒー級の、雰囲気が明るく輸入食品が多い店がほしい。
 都立家政駅には100円ショップ1軒があるほかにこじゃれたカフェもあり、野方には100円ショップが3軒くらいあるほかコーヒー焙煎の店やら、パン屋などが多い。鷺ノ宮はそういう「日常に根ざしたわくわく感」に乏しい気がする。

 早稲田通りに近いわが家からは遠くなるが、新青梅街道沿いで、何か店ができないだろうか。TSUTAYAの跡地はスギ薬局になったが、あれほど大げさではなくとも、何かちょっとした店ができてくれたら、もっと楽しくなりそうだ。

静謐という表現が似合う日がある

 東京23区西部に暮らして長いが、現在の借家に移り住んでしばらくは、わたしたち本人よりも周囲の人たちから「なんて静かな場所なんですか」と言われたりもした。だが東京オリンピック開催が決まる少し前から、住宅エコポイントなるものの影響と思われるが、周辺が改築やリフォームだらけになり、その傾向はオリンピック終了後ですっかり景気が悪くなったはずの現在もつづいている。
 家から近いか遠いかはともかくとして、何らかの工事の音は、すっかり日常になってしまった。

 もっとも、日曜日だけは業者も休むようである。内装などの静かな作業ならばもしややっているのかもしれないが、工具を使ったような作業は聞こえてこない。もちろん重機の音もしない。

 以前はこんなに静かだったんだなと、気づく。

 また、平日でもときおり数時間ほど「この世界から人がいなくなったのでは」と思うほどに静かな時間がやってくる。通学路が近いため、登下校時間帯はにぎやかであるし、配達業者の車やバイクの音もたまに響くが、それにしてもご近所がいっさい静かで、人がいないかのような錯覚に陥りそうになるのだ。自分だけがここにいて、外に出たら誰もいない——まるで怪奇もののストーリーだが、たまにそれを思う。
 実際には確認のためドアを開けないし、世界が賑やかでも静かでも、わたしは自分だけの世界にいるのだから、考えても仕方がない。

 周辺は変わっていくし、人も移り変わる。自分はもう成長しないかもしれないが、それは人づきあいをあまりしない人間として必然のことであり、どうこう考えても意味がない。

 ネットで近況を拝見する方々は、ご自身らが感じているであろう以上に成長し、たくましく「大人」になっている。かっこいいな、たのもしいなと、思う。

 そんなかっこよい方々の近くにいて、成長や発展を見ているだけで幸せだと思えばよいのだろうが——。

市販の惣菜で出るプラスチック容器

 今週は新しく高円寺店も配達を開始した「東急ネットスーパー」をお試しで呼んだほか、セブンミールのネット受付が再開した記念に弁当を2個購入してみたのだが(セブンミールはネットで予約注文して店舗に取りに行く)、やはりプラスチックごみの袋が、大きくふくらんでしまった。回収は月曜なのだが、水曜日ころからすでにいつもよりも袋が大きい。

 プラスチック容器…ほんとうに、資源に活用されているのだろうか?
 再活用をやめて燃やしてしまい、その熱を入浴施設に使う地域もあると聞く。

 たしかに、この日本の現状を見ると「じゃんじゃん燃やしちゃっていいですよ、熱でお湯をわかしますから」と、まるで奨励するようなことはよくないとは思うが、いくら容器を簡単にすすいで資源ゴミに出しても、それらが使われているような予感がまったくないのだ。
 軽くすすいだくらいで、さまざまな用途に使われていた素材を「何か」に使えるようになるのだろうかと、ずっと疑ってかかっている。内心けっこう信じていない。だがそれが現状の決まりだし、もしかしたらわたしの勘違いで世の中の役に立っているかもしれないので、きちんと分別して出している。

 かといって、弁当や惣菜の容器を使い捨てプラスチック以外にすることは、おそらくかなり難しい。

 ごく近所の店から店屋物として取り寄せるならばともかく、外部の店が作った商品をスーパーがとりまとめて店頭に並べたり、あるいはネットスーパーとして配達する場合、密封できる必要があるほかに、回収ルートのあてがない容器で配達はできない問題もある。容器を何往復もさせるだけの物流コストや洗浄の手間を考えたら、くり返し使用する容器の実現は難しいはずだ。
 考えられるとしたら「どこの地域でも、何の弁当や惣菜でも、同じ規格ものの容器を界隈で転用する(つまり個々の容器を元の会社まで送り返すのではなく、界隈の業者で再使用する)」という方法だが、これも現実的ではない。人口の多いところに容器がだぶつく。商品を送り出す元の企業は、新品を使わざるを得ないだろう。

 だが、ここまで考えてもなお、やはり市販惣菜や弁当は買ってしまう。年齢が高くなるにつれて調理回数が減るらしいと聞いているが、作ることも食べることも好きなわが家でさえ、一部を作って残りを冷凍食品のおかずにすることは増えてきている。

 プラスチック容器は、今後はどうなるのだろうか。