テレワークの今後: 文春の記事に見る経営者の本音

 文春の記事で、見出しだけを見た瞬間にオチがわかってしまった。いるだろうな、こういう経営陣 → 2022.01.19 社員がテレワーク継続を望むのに「それを拒む経営陣たち」の本音とは (3ページ目)

 職場に出ていないとき、家で「平日の昼間」にどうしたらいいのか、落ちつかない人がいるのだろう。むろん全員ではないだろうが、わたしはそれをすぐ思いついた。日本の住宅事情も、平日の昼間は誰かしらが不在というのを前提に考えられていることがあり、それぞれがドア付きの個室を持っているとはかぎらない。
 さらには、もし学生がオンライン授業、親のどちらかが在宅勤務に変更になり、さらにはもともと家でパソコンを使っている人がいれば、3人以上がパソコンで家庭用の細い通信回線にしがみつく可能性も出てくる。いや、家庭の回線が太いにしても建物が共同住宅なら、すべての家でそれをやれば通信が不安定だ。

 ごくたまに交替で出社すればいいという会社が増えれば、その会社そのものもオフィスを安い場所に移転できるし(全員が一度に来ないため)、社員もより広い空間が望める遠隔地に引っ越せる。いいことづくしのような気がするのだが。

クーポンとか、ポイントとか

 何年か前に、楽天で「○○日まで、2000円以上買った店では送料無料」というクーポンをもらったことがあった。半信半疑で、普段なら重い/大きいなどの事情で送料が数千円になりそうなものを含めて買ってみたところ、どれも見事に送料無料だった。
 そのクーポン画面が表示された直後に家族に伝えたが「そんな画面は出ていなかった」という。何ヶ月か遅れた別のタイミングで見つけて使ってみたらしいが、誰にでも表示されるものではなかったのだろう。どういう客層またはタイミングで判断していたのだろうか。

 今度はAmazonで「○○したら4000ポイント付与」と表示された。とくにそれをしたところで義務や制約が生じるようにも書いていなかったため、半信半疑でやってみたところ、数秒後に4000ポイントが手にはいった。このときも家族に「Amazonを見て」と言ったが、そんな案内は表示されていなかったという。その4000ポイントは数時間以内に使ってしまった。

 いったいこの、降ってわいたようなキャンペーンやらクーポンというのは、どういった資金を使っているのだろう。前者の楽天の例では、もしやそのキャンペーンに賛同した店舗から預かる資金で回したのかなという気もするが、後者のAmazonの場合、利益を得る可能性がある会社は1社のみだった。まさかその1社が、ひとり4000円分を出しているのか…?

 ともあれ、その4000円を使った商品は、近日到着予定。楽しみではある。

サッカーくじって、なんだ?

 メガビッグというサッカーくじで、12億円の当選者が名乗り出ていないまま、まもなく期限切れになってしまうという記事を読んだ → 2022.01.13 中日スポーツ 1等『12億円』当せん者はどこに… MEGA BIG、払戻期限は2月9日 「探しています!」

 購入したことを忘れているのか、仲間内で買ったものが配られ、いちばん興味のなかった人が当選して確認もしていないのか。いろいろなことを想像してしまう。この人が期限内に気づくことを祈るのみ。

 ところでメガビッグとは何だろうと検索すると、Mega Bigの公式サイトによれば「一口300円から買えて、予想不要の完全運まかせのくじ」なのだそうだが、それでなぜサッカーくじなのか。不思議である。
 いや、おそらく説明はどこかに書いてあって、それを理解することはできるのだとわかっているが、その仕組みは「サッカー」の結果や応援の気持ちとは関係なく、振興のための資金集めだろうという「本質的にサッカーとからめなくてもいいじゃないか」的な思いがあるということだ。

本体に比較して交換用パーツが割高

 岩崎工業のスクリュートップキーパーを各種愛用している。500ml〜1500mlくらいまで揃え、どれも便利である。軽いし、密封できるし…

(このリンク先は1000mlの深型、楽天から)

 ただ、何年も使っていると、さすがにパッキン部分が。

 メーカーの岩崎工業のサイトによると、取り替え用のパッキンは1個につき200円くらいの値段。希望購入数量の金額に相当する切手を送ると、郵送で売ってもらえるとのことだ。ただ、大手通販サイトでは「本体が」200円台〜300円台で買える場合も多く、正直なところ、これは金額と手間で考えると、本体を買った方がてっとりばやい。

 もっとパッキンが身近で流通していたら、本体を買わずに済むのだが、困ったものだ。

ホールサイズのケーキは、売れ残らないのか

 夕方に所用で近所の商店街とコンビニに寄ったのだが、一般の食料品店の店頭にも、要冷蔵品レベルのケーキ(店頭は寒いからいいということなのだろうが、厳密には屋外だった)が積まれ、コンビニの冷蔵棚には、消費期限が25日までと書かれたホールタイプのケーキもあった。

 あれは、売れ残らないのだろうか。当日まで何も準備をしておかなかった人が「そうだ家にケーキでも買っていくか」と、夜の住宅街でホールタイプのケーキを買って帰ることが、あるのだろうか。まさかあれをひとりで食べるということもあるまいし、誰かに買って帰るなら事前に万端の準備(どこかで予約する)のが普通ではないのか。

 いや「たまたま24日の晩でも売れ残っているケーキがあるから、買うか」という人が、いるのか?
 コンビニなど小売店も「誰かが来たとき1個もないと可哀想だから仕入れておくか」という考えが、あるのか?
 まさか、売れ残ったら夜シフトのアルバイトに配布するとか?

 売れ残るリスクを減らしたい小売店が多いのかと思っていたが、2021年でもこうなのかと思うと、何やら「景気が悪いはずなのに昔と同じと信じたくてケーキを仕入れる」という、ダジャレにもならない構図が浮かぶ。

有人レジ、セルフレジ

 高円寺の駅前にある東急ストアは、現在もまだレジは有人で、支払いだけ機械である。夕方になると支払いの列はけっこう長いが、無人レジが選べないのだから仕方がない。

 マルエツ系列では、ほとんどの店舗で、1) 支払いのみ機械、2) 支払いまで有人、3) 完全に無人…の3種類が用意されてる。3番目の「完全に無人」には2種類あり、支払いはWAONとクレジットカードのみ対応の無人レジ、もしくは買い物途中で自分でバーコードをスマホに読ませ、支払いはクレジットまたはPayPayの「Scan and Go」がある。

 Tポイントが有利だとわかってすぐ、わが家はマルエツの買い物をScan and Goに切り替えた。以前は発行されるクーポンが利用できないから不利ではと思ったのだが、紙で出されるクーポンをいちいちレジで提示する以上に得なTポイントが、無人レジの買い物で適用されるようになってきたからだ。

 正直なところ、選択肢がある場合でも有人レジに長蛇の列ができるマルエツ系列の客層が、理解できない。すごい列ができていて、無人レジはガラガラである。
 Scan and Goの場合は、大量に買う人であれば、自分で買い物しながらスマホに読みこませるのが面倒なのかもしれない。利用している人を見ると、単身者か少人数家族の分量、または少量の買い足しなどをしている例が多そうだ。
 自分でバーコードを通すタイプは、操作が難しそうとしりごみする人も、いるのかもしれない。

 だが若い世代で、機械に抵抗がなさそうな人が、レジに無言で列をなしているのが、よくわからない。

 一般的に、若い世代というと(この場合にわたしが考える「若い」は30〜40代くらいである)、駅前の信号の点滅で走ったり、真剣な用事でなさそうなことでも秒を争っているかのような態度を取る世代ではないかと、わたしは考えている。
 簡単に混雑を回避できるのに利用しないとは、どういうことなのだろうか。もしや朝の出勤前かそうでないかで、時間の感覚が異なるのか。不思議である。

 無人レジばかりだと支障があるだろうし、有人レジと両方を適度に配置してくれる店が、今後どんどんと増えることを望む。

年収700万円で「どん底」と言われても

 現代ビジネスの2021.12.09付けの記事で「昔は年収2000万、いまや700万 どん底に落ちたフジテレビ社員たちの肉声」というものがあった。

 テレビ局や新聞社などで、羽振りのよい部署に勤めればかなりの高収入というのは耳にしたことがある。そういうことを前提にしたタイトルなのだろうが、年収700万円で「どん底」という悲壮感が漂う人たちが提供しているテレビ番組(もしくはテレビ局という存在)は、気分のよいものではない。フジテレビが雰囲気や時代というものをつかんでドラマやバラエティで繁栄していたように見えるのも今は昔、こういう世界はほんとうに水物なんだなと、つくづく考える。

 テレビをよく見ていた時代でさえフジテレビ系列に芸術や報道を期待してこなかったが、もうテレビだなんだは、いったん生まれ変わったほうがいい。昭和の終わりころのように「夜の1時くらいで終了するもの、あとは砂嵐」の対応にして、密度や質について、じっくり考えてみるのも、よいのでは。

謙虚な店主の店

 昔気質(むかしかたぎ)で、職人であり経営者といった人物がいる店がある。口にしなくてもわかる、味がよければ客に通じるといった人柄がにじみ出て好ましく思うのと同時に、「いまの世の中、法螺話すれすれの表現で宣伝する店が増えているのだが、こういった昔ながらの店主はそういった店に太刀打ちできるのか」と、心配になってしまうこともある。

 つい数日前、話しかけても「うちなんぞは普通の店で」、「たいしたことはありませんが」という謙虚すぎる店主に出会った。何十年もその場で商いをしているのだから、まさか人見知りということはないだろう。おそらくわたしが馴染み扱いされていない(わたしに対しては言葉数が少ない)ということなのだ。

 ネットで宣伝もしていない、電子マネーも使えないといった店は、今後は難しいかと思うが、そういう店があるうちは、わたしは探し出して買い物してみたいと思っている。

旅人が小さな村を幸せにする話

 何年か前に読んだ話。たしかネットでまわってきた。

 内容は、だいたいこんな感じだ——「旅人が島にやってきて、ホテルに前金を払ってから散歩に出かける。ホテルのオーナーはその金で借金を払う。借金を払ってもらった人間は別の人に返しに行く。それが何回もくり返されて、最後にホテルのオーナーにも金が返ってくる。そこに旅人が帰ってきて、泊まるのをやめたのでお金を返してくださいと言う。そしてお金は旅人にもどったが、みんなが借金を返せて幸せになった」

 なぜこの話を急に思い出したのかもわからないが、だいたい元ネタは何なのだろうと、日本語で検索してみた。すると同じようなことを書いている人が「元ネタはわからないが」としていたので、英語で検索してみた。
 おもしろいことに、ほぼ全員が今日わたしがこうしてブログに書いているように「ネットでまわってきたが/知り合いが教えてくれたが、こんな話があるそうだ」と書き、さらに一部の人は「何年か前から聞く話らしいが、出典はわからない——」とも付記している。

 文章表現は、だいたいこのリンク先にあるようなものだ → The story of the R100 bill

It is a slow day in some small town. The sun is hot, and the streets are deserted. Times are tough, everybody is in debt, and everybody lives on credit.

On this day, a rich tourist arrives in town. He stops at the hotel and lays a R100 bill on the desk saying he wants to inspect the rooms upstairs in order to pick one to spend the night.

As soon as the man walks upstairs, the owner grabs the bill and runs next door to pay his debt to the butcher. The butcher takes the R100 bill and runs down the street to pay his debt to the pig farmer. (以下略)

 いくつかのバリエーションを見てみると、場所が島だったり村だったり、通貨がドルだったりユーロだったりと、少し違う程度で、文章の言い回しなども似ている。やはり何か元ネタがあるのだろう。ざっと検索した中では、2009年ころの記事が確認できた。そのころにはもうこの話は生まれていたようだ。

 それにしても、おもしろい話ではあるが、「みんなの借金が同じ額でよかった」とか、「旅行者が宿に帰ってくる時間が早すぎたら修羅場だった」とか、ついそんなことを考えてしまう。

 元ネタがわかったら、追記予定。

芸と、技術と、ビジネスと

 兵庫県の有名洋菓子店が従業員に長時間の残業をさせ、それが常態化しているものとして、労働基準監督署から二度目の是正勧告を受けたことが報道された。

 どんな分野にでも法律を杓子定規に持ち込んでよいのかというご意見が、洋菓子関係者(経営者ではあっても少人数で店をまわしている規模)から——少なくともわたしが気づいた範囲だけで3人ほど聞こえてきた。技術の継承であるから短期間にたくさん教え、なおかつ、本人に早く実践力になってもらいたいという思いは、その方々を支える周囲からの「いいね」数で考えても、ある程度は、世間に共有されていることなのかもしれない。

 だがやはり、過労死になるほどの労働時間については、何を持ってしても、言い訳は存在しない。

 別の業界では、どうだろうか。
 たとえば日本全体で数百人以下しかいらっしゃらないような伝統技術、伝統芸能の継承であれば、1日8時間で教えたら間に合わないのではとか、未就学児や児童のうちから日々何時間も稽古させて問題ないのかやら、いろいろな課題もあるだろう。それならば、杓子定規にどうのこうの、といったご意見が出てきたとしても、わたしはさほど驚かない。
(それでもわたし個人の立場としては、法律を遵守してもらいたいという思いに変わりはない)

 菓子職人に関してはどうか。
 何らかの経営上の改善で労働時間を減らす余地はあるはずで、すでにそうされているお店も多いとは思う。だがわたしが気になるのは、努力しているのに労働時間が長くなるという関係者のご苦労と一緒に、昔からこうだったので、この業界は仕方がないというあきらめが、関係者の言葉に散見されることだ。

 朝から晩まで身を粉にして働いてきた人々を親世代に持ち、厳しく鍛えられた現在の中高年以上の方々は、修行はつらかったが当時のおかげで現在があるという考えが、どうしても頭の多くの部分を占めてしまうように思う。それを変更するように言われることが、自分の過去をないがしろにされたように感じてしまうということは、ないだろうか。

 時短にしたら、手作業をおそろかにするようなもの、同じ味と技術が継承されないという危機感をお持ちのご意見も目にした。だが経営の効率化(商品のラインナップや提供時間帯の制限、改善)で、手作業や原材料などをそのままに活かしても、労働時間を減らすことはできると、わたしは考えている。

 門外漢が何を言うと、経営されている方はおっしゃるかもしれない。だが客もまた、店を見ている。支えている。

 経営の効率をよくすることで業界の労働時間を減らせるなら、「週に3日しか店を開けずに残りは休養または仕込みのみ」という店が仮にあっても、わたしは応援するし、買いに出かける。