「笑う門には福来たる」

 あまり気にやまないで、いつかいいことあるよと、気にやんでいる最中の人に言うと、かなり気を悪くされる可能性がある。だがその人も、おそらくご自身の気分が上向きになっているときならば、そう実感することもあるかと思う。

 気楽にしていられたら、それが一番よい。

 わたしは今年にはいってから「今日はうまくいく、失敗する理由が思い浮かばないから」と、自己暗示のようにひと呼吸あけて作業をすると、うまくいくことが実際にあって、この暗示がずっと効力を持ってくれることを、ひそかに期待している。

 ポジティブに考えることができるようになったのは、生きているだけですごいことなんだという実感が、強くなってきたからかもしれない。

 以前のわたしは、こんなことを書くと「その程度か」と、苦笑または憤慨される方もいらっしゃるかもしれないが、「生活が急に変わって、1日1杯のコーヒーすら、飲めなくなったら」やら(コーヒー好きである)、「1日のうち、自分の好きな時間に洗濯ができなくなったら」やら(洗濯は趣味の域である)、「狭い家で知らない人たちと暮らせと言われたら」やら(孤独もしくは人との距離感を大切にしている)——次から次へと考えては「そんなことになったら嫌だ」と、おびえていた。
 おびえたところで、防げる話ばかりではない。どうにもならない。実際に突然の変化が起こっても、その後にまた生活を立て直すしか道はないような内容であっても、思いついてはおびえていた。

 だが、ふと考えた。それらが、一時的にできない事情が生じたとして、だからなんなんだ、と。

 生きて、体力を維持できる程度に日々の食事がとれて、心を穏やかにすごしていられたら、あとはもう「生きていられるだけで、すごいじゃないか」と。そう考えたら、楽になった。

 昨日と同じような話を書いていて恐縮だが、成功しなくてはいけないとか、結果を残さなくてはとか、自分を追いこまず、自由にしていると、なぜか物事がよいように運ぶ。

 自分が暗くしていては接してくれる側にも迷惑だろうが、明るくしていて迷惑ということはあるまい。明日からも、できるだけ明るい表情で人と接しようと思う。もちろん大半の方々は「画面上で、文字上で」のことだが。