在宅医療での新型コロナワクチン接種

 田舎の親と話をしていたら、ときどき訪問してくれる医師がやってきて、新型コロナワクチン(1回目)を接種してくれたそうだ。ちなみに滞在時間は2分だったとのこと。

 医院での接種ではなく担当患者の家々を医師がまわるシステムなので、解凍したワクチンを車に積んで数時間以内にまわりきる必要がある。体調を確認する時間まではとれないのだろう。事前に「ぜったいにその時間にご家族はいますね?」と念を押されたそうで、ひとり暮らしの場合はこの方法はとれないらしい。15分から30分は家族が同室にいて顔色などを確認し、何かおかしいと思えば看護師に電話をするように、とのことだったそうだ。

 1回目はとくに体調不良なく終了。
 3週間後にまた同じように訪問してもらい、2回目を受けるらしい。

 その北関東某市は、このところ人口が減って行政の台所も苦しそうな話ばかり聞こえてくるが、こうして市街地以外でも家をまわってくれる訪問システムがあって、ありがたいことだ。ちなみに看護師さんは週1,医師はときどき来てくれるという。さらに服用する薬にいたっては、本人が近所を少し歩くのがやっとという高齢者であり、同居家族も頻繁には面倒を見られないという事情から、薬剤師さんが配達してくれるのだそうだ。

 親の2回目と、わたしの1回目の、どちらが先になるだろうか。わたしにももうクーポンは届いているが、65歳以下なので予約可能になるまでに日数がかかる。

風邪で首にネギを巻く話

 いや、笑った…。ネットで検索をしたところ、どうも何割かの人が「風邪を引いたらネギを直に首に巻く」と思っているらしいことが判明。そして「皮膚からネギの成分がしみて風邪に効くなんて、ないだろー」と、お考えのご様子。

 あれはだな…表面がしんなりするくらいまで長ネギを加熱し、薄い布(たとえば手ぬぐい)につつんで、首に巻くのだ。わたしはネギが嫌いだったのでよけいに感じたのかもしれないが、熱いうちに首に巻かれるとわかる「ネギ臭」が、何やら喉や鼻にいいということになっていたのだろうと思う。

 わたしの子供時代は迷信や民間療法も盛んで、とくにうちの実母などは民間療法や妙な暦(お風呂を沸かしてはいけない日とかいうもの)まで、しっかり頭にはいっていた。長ネギを巻いたまま幼稚園に送り出されたこともある。

 風邪に効いたかどうか、わからない。だが親がそう信じていて、それに逆らわずに素直にネギに巻かれるとき、風邪の心細さからか「おまじないをしてもらった」という思いで、安心感があったのだろう。

 ともあれ、長ネギを生のまま、布にもつつまず首に巻いているブログを見て、かなり驚いた。

空気を注射したら、命に関わるのかと

 最近の新型コロナ予防接種で、残念なことに不手際や事故が発生している。

 だが驚いてしまったのは、香川県で「FNN: 使用済み“空の注射器”誤使用」という5月20日の件や、5月30日の兵庫県で「薬剤を薬液を注入した感触がなかったため空気を注射したと思い込み」その場で接種をしたという件(NHK: 神戸市 新型コロナワクチン 誤って1人に2回連続接種)などを読むにつけ、注射器から体内に空気がはいると死に至るというのは、もしや俗説だったのかもと、この年になって疑問をいだくきっかけができたことだった。

 もっとも、今回は筋肉注射だから大丈夫だったという可能性もある。血管に空気ならば、やはり危ないのではないだろうか。どうなのだろう。さすがに気軽に聞けるような距離に医師はいないので、誰かに教えてもらえる日を待っている。

市販弁当と、健康管理

 諸事情が重なり、この半月ほど昼食に市販弁当または出来合いの食事をとることが多かった。

 市販弁当というのはどうしてもコロッケなどの揚げ物がはいっていて、カロリーが高い。しかもそういった事情が重なるときというのは、得てして「出かけない」ものである。運動不足に揚げ物が追い打ちを掛け、体にいいことはあまりなさそうな予感は、じゅうぶんあった。

 ただでさえ、コロッケを見ると食べてしまう人間としては、コロッケがはいった弁当とそれ以外が店で並んでいれば、水が低い方に流れるのと同じような当然のなりゆきで、すっとそれを選んでしまう。

 …わかっていたことだが、この4〜5日は体重が増えてしまい、気持ちが沈みがちに。

 そして気分が暗いと、ちょっとしたことでいらつく。自分でもこっけいなほど「なぜそんなことが気になる」というところまで、考えすぎてしまう。

 やっと今日になって、少しだけ体が軽くなった(というか先週までの体重に近づいた)ので、ほっとひと息だ。気持ちも明るく切り替えたい。

ふたたび、しじゅーかたっ!?

 昨日くらいから痛いなと思っていたのだが、右肩。今日の夕方くらいから、ちょっとしたことでの上げ下げがつらくなってきた。原因はなんだろう。昨日の朝からなので、右肩を下にしたまま身じろぎもせず寝ていたのだろうか。

 キーボードはこうして打てているので、指は動かせるが、明日は歯医者に出かけるのだ。2週間も仮留めの歯なので、詰めてもらいたい。ぜひ出かけたい。だが右手がもしつらければ、上着の着脱や支払いにも戸惑うことになる。
 無事に行けますように。

 数年前に、着替えも困難なほどひどい四十肩に見舞われ、病院で週に1回ほどヒアルロン酸の注射というのをしてもらった。肩の運動のあと、肩を電気で温めてもらったが、夏だったので通うのがつらくて(往復が暑くて)、まいったのを覚えている。お盆のあとのきりのよいタイミングで通うのをやめてしまった。

 今回は、ぜひ、大事に至らずに過ごしたいものだ。

医療機材の進歩

 今年は受けずにしらばっくれようとしていた大腸検査へ出かけたのが火曜日。なんと医師のほうから「あれ、今年はまだですね」と言い出したので、逃げられなくなった。
 毎年わたしのほうから6月ころ「やるとしたら○曜日があいています」と告げていたのだが、今年は新型コロナの影響で疾病関係の書類更新もなく、更新しなくていいのだから検査の話はもちろん言わなかった。だがとぼけていても気づかれてしまったのは、おそらく今年は通院患者が減ったため、ひとりひとりのカルテをじっくり見る時間でも、できたのだろう。

 迎えた検査当日。
 腸を空っぽにするための液体を1リットル以上も飲まなければいけないのだが、あれが嫌である。この数年は最後のほうで「もう飲めない、匂いを嗅いだだけで吐くので、ぜったい無理」とスタッフの方々に断言している。その報告を受けた医師の方で、では検査をしながら腸内を洗い流すと言ってもらえることがつづいているため、この数年は検査を受けてきた。
 今年も同じような「ぜったい無理」の展開だったのだが、今回は病院ではなく自宅で薬剤を飲んでいたため、精神的なダメージはそこそこ低く済んだ。家にいる安心感からだろうか。病院に「1リットルまで飲んだら胃の中の、飲んだばかりのものも含めて思いっきり吐いた」と電話連絡してから、どうにでもなれと出かけたが、到着するころまでには体調が回復し、検査を受けることができた。

 検査機材は年々よくなっている。
 10年以上も受けているが、以前は「ここで足の向きを変えてみてください」など、器具がはいっている状態で体の向きを変えなければならなかったし、腹部へ空気をたくさん入れてカメラを通りやすくさせるため、腸壁がどうにかなってしまうのではと思うほど圧力がかかり、苦しかった。そして終了後に数分のあいだ器具を入れたまま「ガスが出るのを待つ」こともあった。

 どんどん改善されてきているのがわかる。いまは自分で向きを変えなくていいし、医師が空気を入れる量も少ないので腸は張らないし、もちろん終了後の腸内にガスも溜まっていない。終了後にすぐ自分で歩いて休息用ベッドに移動できた。

 検査そのものに不安はないのだが、来年は、薬を変えてもらえないだろうか。いや、もう頭で考えるだけで体が拒絶してしまうのだろうから、薬剤が違っても無理かもしれない。以前は「どれにしますか」と各社の薬を3種類くらいから選ばせてくれたのに、数年前から一択になった。来年もきっとあれを飲むのだろうな。

 来年こそ、ばっくれよう。10月中旬に検査したのだから、来年になって例年のような初夏に検査というのは、期間が短すぎる。来年の書類は先日のものを出してもらえばいい、よし、決定。

不織布マスクは口が渇く?

 近所を歩くときは洗える薄いマスクをすることが多い。
 ただ研究結果などによれば、風邪などを含めて体調不良の人が誰かに会う場合、不織布マスクのほうが周囲に対し安全(飛ぶ飛沫が少ない)と聞いていることもあり、より接触時間が長い相手がいる場所では、不織布マスクを選ぶことがある。

 金曜日は自分が主催したバウムクーヘンの集まりだった。SHARPの不織布マスクで出かけた。帰り道で口の周囲に固まりかけた粘液のようなものを感じ、驚いた。歩きながらなので自分の顔は見ていないが、「もしやバリバリにひび割れているのでは」と思うほどの乾燥だった。そこで自販機で買った飲み物を少し飲んだ。

 そして今日、火曜日午前は病院だった。院内で検査のあいだはマスク着用と言われていたため、ふたたびSHARPマスクで出かけた。検査台に横になっていた時間と、ふらつかないよう休憩してから帰宅とされた待機時間(両方を合わせて1時間弱)で、口の中がほんとうにつらかった。誰かを呼び止めて「口に水をスプレーして」と叫びたいほど、バリバリに乾いていた。

 検査後に使う更衣室に洗面台が併設されていて、わたしより先に帰宅になった人が、かなり長いこと水を使っていた。ああ、うがいしているんだな、わたしだけではないんだなと、実感。

 人と長時間会うことをしてこなかったので、いつも洗えるマスクを使っていた。不織布でなくても時間が長ければ同じ結果になるのかは、わからない。

 今後こうした機会があったら、スプレーできるミニボトルに水を入れて持ち歩こうかと、真面目に考えている。

パンの手ごねと、四十肩

 あえて五十肩という言葉を使わずにごまかすことはさておいて、数日おきに、左肩が痛い。

 何回もくり返されて、正直なところ自分でも早く気づけばよかったのだが、パンをこねた日の晩かその翌日から悪化しているようだ。

 バゲットっぽいようなパンを焼きたくて、試験的に加水率を上げているうち「こんなべたべたする生地は触りたくない」と、手ごねしたくなくなったことが原因。そして普通の人はそこで機械にこねさせるところだが、わたしは以前に使っていたホームベーカリーを収納から出してきてこねさせるのが面倒なあまりに、大きなガラスボウルを左手でくるくる回しながら右手に大きめのゴムべらを持って(まるで機械がこねるように)生地をまとめる作業をくり返していた。

 大きなガラスボウルをずっと回転させるのだから、力が要る。しかもよく考えれば家のどこかにケーキデコレーション用の回転台もあるはずだから、そういうのを探してくればもう少し楽だった可能性もあるが、それは考えもしなかった。まさか自分の肩の痛みがパンのせいだと気づくのに10日以上かかるとは、自分でもあきれる。

 そうまでしても限界というのはあるもので、やはり腕が疲れるし、こねが足らないことが多く、バゲットっぽいパンの出来はいまひとつの状態だ。

 これまで読んで本棚に入れたままのパンの本を何冊か引っ張り出してきたが、わたしは国産小麦粉使用なのだから、やはり加水率を上げてはべたべたになりやすいだろうと思う。これまで食パンをこねていた水の量に、ほんの少し余分に水を足す程度でもよいような気がしてきた。

 ちなみにバゲットなどのパンは、水分のベーカーズパーセントは65〜70%と書いてある本が多いと思われる。わたしは国産小麦なので普通の食パンに55%程度を使っているが、今回バゲットっぽいパンのため65%くらいに挑戦していた。やはりむりをせず、60%くらいでやってみればよさそうだ。次回は(もちろんこの肩の状態が治ったらだが)、60%でやってみるとしよう。

 ベーカーズパーセントとは、小麦粉に対するパーセンテージで、小麦粉を300g使うとしたら、水は55%で165gとなる。65%ならば195gだ。

 それにしても、今日の左肩はぎりぎりの状態のようで、着替えはできるが腕を高く上げられない。
 安静にするとしよう。

「幸せになってはいけない」と、考える

 先ほど検索をして知ったのだが、自分が幸せになってはいけないとか、自分が幸せだとよくないことが起こると不安に感じる人は、けっこういるらしい。人によっては「幸せ恐怖症」という言葉を使うこともあるようだ。

 呼び名を付けるほどのことでもないが、わたしもときどきそういったことを考える。…そうか、けっこういるのか。

 大きな苦労を経験した人や、たゆまぬ努力で這い上がった人がいるはずの世の中で、いつも適度なところで引っこんで、トップのグループを目指すこともせず控えの位置に居心地のよさを感じてきた自分は、弱い人間なのだろうと、どうしても考えてしまう。あるいは、結果を求めて挫折すると立ち直れないとの思いから、しりごみをして手前で控えている弱さがあったのだ、と。

 いつも、どこかが落ちつかない。

 だが、自分の人生に点数を付ける人もいなければ、人の目を気にする必要もないんだぞと自分に言い聞かせてみれば、瞬時であれど、みょうなほど心が平安になる。

 そして、そんな安らかさを感じるとほぼ同時に、またしても「安らかにしている場合か」と、反対側から声がする。どう考えても「自分が心安らかであっていいはずがない」という思いが、ずっと頭のどこかにあるらしい。

 いまのところ、好きなタイミングでコーヒーが飲めて、Netflixが見られて、日常のほとんどのことを自分の考えた通りの時間帯で生活できているのだから、不満なことはない。不安もないはずと思いたいが、これは自分と同居者以外にも、いろいろ世間のしがらみで将来的には不安もあるだろう。だが、それはいまではない。

 とりあえず、明日からも、好きなタイミングでコーヒーを飲んで、自分の考えた通りの時間配分で日々を過ごせたら、それがありがたいと思う。いつかは何か大きな変化や事件があるだろうが、それはそのときに、考えればいいことだ。

暑さと猫で、睡眠が不安定

 毎日というわけではないが、明け方や早朝に、家の周囲で猫がうるさくしている。喧嘩なのかどうかはわからないが、ずっと複数匹で、うなっている。
 家のまわりの塀が猫の通り道になっているため、遭遇しやすいらしい。ずっとうなっていて、いなくなったかと思うと、ただ南から東に移動していただけということもある。1カ所で15分以上もうなるので、移動した回数だけ時間が倍増することも。

 いつだったか、あまりのうるささにキレてしまい、いきなりサッシを開けてにらみつけようと考えた。だが猫たちは人間の気配に驚き、水を打ったように静かになったので、どこにいるのかわからない始末。少し目をこらしたあとで無駄とわかり、カーテンを閉めると、「おおぉ〜、人間がいなくなったぞ」とばかりに、うるささ炸裂。以来、よほどのことがないかぎりは、顔を出さないことにした。

 暑くて何度も目が覚めそうになり、少し過ごしやすい日かと思えば猫の騒ぎがあるなど、けっこう体にこたえる。