自宅の階段でコケた話

 外階段でなくてまだよかったのかもしれないと、思うことにしよう。昼ころに郵便の配達があり、郵便受けにはいらないサイズであるため、チャイムが鳴った。外国からの本のようだった。そして玄関に出ようとして2階から降りていく途中で、滑ってコケた。

 尾骶骨周辺を強く打った。

 幸いなことに直後から激痛というわけではなく、あとになって痛くなるとは思ったが普通に郵便を受けとり、部屋にもどってしばし座る。あとで湿布を貼ったり鎮痛剤が必要になるだろうが、ひとまず休みたかった。

 引っ越してきてから何度か「この階段、危ない」と感じていた。実際になにかのはずみによろけてバランスを崩し、壁に体を打ちつけたことが1〜2回あったし、考え事をしながら降りていて踏み外しそうになったこともある。とくに下から3〜4段目のあたりでなにかが起こりやすいと自覚していて、数年前からはねんのために階段に貼りつけるマットを設置していたのだが、それで安心してはいけなかった。スリッパの裏が摩耗していた可能性もあるが、とにかく気をつけねば。

 午後と夕方に、お気に入りの鎮痛剤を計2回服用。バファリンよりは強いはずのものだが、それでも痛みはかなり強いまま夜まで継続している。だが歩くことはできるので(さすがに今日の散歩は中止したものの)、骨折などではないと思われる。
 湿布もしている。

 このまま痛みが薄れるようにと、願わずにいられない。

解熱鎮痛剤の話

 田舎の家族と電話で話していて、体がつらくて仕方ないのに医師がカロナールしか出してくれないという話を聞いた。高齢だし胃腸が弱いので医師としてはカロナールを出す可能性が高いのだろうと思うが、いくら痛いと伝えても、そのカロナールの処方を増やそうかと言われるだけなので、現在はほとほと困っているらしい。

 家族だからわたしと体質が似ているのか、あるいはほんとうにカロナールとはそういうものなのかわからないが、わたしは「解熱としてはともかく、鎮痛の目的でカロナールが効いたためしがない」ので、大いに同情してしまう。

 風邪などで診察を受けると、いろいろな薬とセットで「熱が出たとき用に、ねんのため」と刺身のつまのごとく出されるカロナール。病院が違っても、患者がわたし以外でも、カロナールはよく出てくるようだ。家にはそこそこ在庫がある。だがめったに飲まないので溜まる。鎮痛としては効き目が弱すぎるが発熱はそれほどしないので、飲む機会がないのだ。

 相性というものがあるのだろうが、わたしは中くらいの苦痛にはバファリン。痛みが強いときはセデスハイGを常備。とくにセデスハイGはわたしにとって特効薬なのだが、家族は飲みたがらない。合わないらしい。
 ほかにもわたしが塗っている軟膏、飲んでいる薬などを(むろん処方薬ではない)応急処置として試させようとしたが、結果としてろくなことがないようなので、もう勧めるのをやめた。ふたりで共通して在庫しておけるのはバファリンくらいのものだ。

 万人に効く薬はないというのは当然だが、身近な人間でもこれほどはっきり違いがあると、世の中にたくさんの医薬品があるのも、無理からぬことかという気がしてくる。

 さて。電話を切ったあとで医師と話すと言っていたが、田舎の家族はどうなっただろうか。あとで聞いてみよう。

零売薬局(れいばいやっきょく)

 医師の処方箋でお目にかかるような医療用の薬を、薬剤師との面談で一般販売してくれる薬局が、零売薬局というものらしい。もちろん制限はあり、処方箋がが必須の薬は扱わずに、医療用であっても処方箋が必須ではないものを扱う。さらに、会員登録をして、本人と薬剤師の面談の上で販売…というもののようだ。

 以前から都心などにあるとは聞いていたのだが、高円寺にも(庚申通り商店街を北へ直進し早稲田通りの手前)最近になってできた。ウェブサイトを見てみると、わたしのよく使うもの(軟膏や漢方)も取り扱いされている。おぉ、これはいいぞ。

 だいたい、相談に行けば必ず同じ薬が出るとわかっているのにクリニックは待ち時間が長い。診察代もかかる。それならば、少し薬局で買っておいて安心感を得ておくのもいいだろう。それにこのところの円安や流通の不安定さから、外国から個人輸入するよりも安く早く入手できる可能性があるのだから、利用しない手はない。

 何月何日に何を買ったかを個々に書くと、その薬剤師さんがここを見ていた場合にわたし個人が特定されてしまうため、詳細は書かないことにする。だが、感じがよい薬局だった。少量しか買っていないので、次の機会にまた同じものを買っておこう。

頭と体のどちらで決まるのか

 悪い予感が的中したとき、やはり自分はすごいと思うのか、あるいは「わかっていたのに回避しなかったアホ」と思うかは、微妙なところである。

 わたしは桐野夏生の作品を読むとのめり込みすぎて体調を崩すというジンクスがあり(といっても数回だが)、今回もだいぶ迷ったあげくに「せっかくやっていたことに区切りがついたから、買って読もう」と、前から読みたかった桐野夏生作品をKindleで買ってしまった。

 15年以上前にわたしが桐野夏生の「グロテスク」を読んでいた時期に入院した話は、過去ブログへ。

引き寄せ合うもの

 そして今回わたしが「読んでみたかった〜、今回は体調を崩すなんてことはないだろう〜」と買ったのが、こちらのkindle本(リンク先はAmazon)

 出版の際に未収録になっていた短編をまとめて文庫化することになったとき、編集者に「奴隷の小説ばかり」と指摘されて、それでタイトルが「奴隷小説」になったという。

 読みたかったのだが、体を壊すか壊さないか、かなり微妙なラインだったので昨日まで買わなかった。そして買ってひと息に読んだ。桐野夏生はやはりすごいなぁ、とことん怖くしないで匂わせて終わるんだ、なるほどなるほど…と、そのときはなんとも思わなかったのだが、今朝から体調を崩して、夕方近くまで「復活できるのだろうか」と、考えた。

 まあ、ものを読んでも感情移入しすぎることのない人は、大丈夫である。それにわたしもつねづね「悪夢が原因か、体調が悪くなることを体が知っていて悪夢を見させるのか」と考えて結論が出ずにいるが、今朝もまた、すごい夢だった。

===== 見た夢のあらまし =====
 家に、わりとちゃんとした服装の中年男女(セレブっぽいと思ってほしがっている雰囲気)がやってくるが、話の内容が怪しい。わが家に誰かがとても大事なものを置いていったので自分たちがそれを探して持って帰るという。知らない人たちを家に上げることはありえないので、いったいそれはなんだというと、自分たちが部屋にはいって探してみて、そのとき「あっ、これだ」とひらめきを感じるので、まだ自分たちもそれがなんだかわからないし、言いたくない、という。

 思いっきり怪しいので帰ってもらおうとすると、そこでいきなり「セレブっぽい雰囲気を演じてみたかったけどやっぱり悪人なのだぴょん」という具合に凶暴になり、うちの家族が(身体的に)傷つけられてしまう。驚いたわたしに、家族が手で逃げろと合図をしたので、別室にはいってスマホで警察に通報。するとまもなく警察がやってくる。
 それから、どう考えても名医が10人もいたのでないかぎり命が危なそうに見えていたうちの家族が、救急隊員らしき誰かに応急措置をしてもらって、わたしと同じ部屋にくる。

 奇妙なのはそこからで、悪人なのだぴょんのふたりがまだ部屋にいて何かをあさっているのに、警察も、それ以外の人たち(誰だったんだ)も、じっと見ていて逮捕をしない。わたしが「逮捕してくれないんですか。出てってもらいたいんですけど」と言うと、もごもごと何かを言う。それを総合すると、その人たちが何を探しているかを確認して、背景がわかったら逮捕するのだそうだ。そう書くと聞こえはいいが、どうも「見つかるものが金目のものだったら、自分たちが取り上げよう」と思っている気配。

 すると、どう考えても死にそうだったはずなのにいまは普通にしている家族が、「この電球チカチカするね〜」と元を確認したところ、そこにUSBメモリのようなものを見つける。わたしたちはとっさに、何も見つけていなくて何も変わったことが起こっていないふりをしつづける。

 やがて、やっとそのセレブっぽいふりをしていた悪人だぴょんを、警察がどこかへ連れていく。そのとき警察もさんざん待ったのに美味しい話にならなかったので「この人たちがどれくらい留置されるかはわかりませんが、仲間がいるといけないし、用心はしてください」と言う。でもわたしたちは「警察も怪しいから油断できない」と考える。

 そこで、見つかったUSBをパソコンで確認するのだが(ちゃんとスタンドアロン型のパソコンでやったんだろうなと、夢の中のことなのにいま心配になった)、書くまでの半日でだいぶ記憶が薄れたが、何らかの手続きをするとカネ(昔風に書くなら現ナマ)が手にはいるとわかる。

 家族と相談する。わたしは「ヤバい問題だったら命にかかわるね」と言う。だがよく考えればそんなヤバいものをなぜ、誰が、いつ、人んち(つまりわが家)に置いていったのか、そのほうがよほど失礼で、被害者はこちらだからカネくらいもらってもいいのではという話の流れになっていく。

 そのあと、カネをとりにどこかに出かけるシーンがあったように思うが、そこで目が覚めてしまったのか、書くまでのあいだに半日あったので忘れたのか、とにかく話はここで終わる。
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 その夢を見たあと体中が痛くて、しかも胃腸もおかしくなり、あまり飲み食いしないほうがいいかということで、昼食も遅らせ、時間をかけて様子見。夕方近くになって大丈夫ということになり、散歩して、夕食も食べた。

 これでもなお、おそらく桐野夏生作品を読んで実験してしまうのかもしれない。

またもや「夢見」の悪さ

 今日も明け方にとんでもない夢を見た。このブログでは、自分の記録としてどう「とんでもない」か、「気持ち悪い」かを書いてしまうと数少ないはずの読者さんを怖がらせてしまうため、これまで「夢見が悪い」と書くのみで、ほとんど怖い系/気持ち悪い系を具体的には書いていない。(それでも「夢見」で検索してもらえばけっこう引っかかるが…具体性にはとぼしい)

 実際に自分がそんなことをしてしまったら犯罪であるような、道義的に許せないタイプの夢(現実にそれがあるはずはないだが自分で自分が怖くなるもの)は、メモとして個人的なファイルに残すこともあるが、それらとは別に「ちょー気持ち悪い」ものが出てくるのが、植木鉢系、パン用酵母の瓶の夢。

 夢の内容よりも、そんなものを見る自分がやだと思う。

 夢が体を引きずるのか、逆なのか、とにかく今日は午前いっぱいずっと「自分で考えている以上に、どこか悪いのかも」と、ぐったりしていた。

 ときどきはわくわく楽しいこともあるし、毎日のコーヒーを楽しみにしているし、自分は鬱ではないと信じたいが、やはり夢見の悪さと体調のひどさが重なる日には、あれこれ考えるのだ。

 これ以上は内服薬を増やしたくないので、この件で病院には行きたくないし、出かけて見てカウンセリングで気持ちを整えようと言われたら誰ともこんな話をしたくないので放っておいてもらいたい気もするし、けっきょく、現状維持である。

 

細かい点が気になってしまう

 あまりにも眠れないのは、どこか体がおかしいのではと思うようになったのは今年からなのだが(去年までは季節性だと思っていたし、夏と冬以外はけっこう寝ていた)、それについて考えてネットで情報を得ようと思っても、細かい点が気になりすぎる。

 たとえば、不眠といえばすぐ思いつくもは「うつ病」かと、ネットに転がっているセルフチェックなどをやってみるのだが、設問が揃っていない。
 すべてを記憶しているわけではないのだが、だいたいにおいて、わたしが期待しているのは「同じ質問で度合いによる違いを選べ」であるところ、設問が度合いではないのである。

 たとえば「悲しいですか」の設問で、1〜5などの度合いを選ぶのではなく、つづいてに「悲しすぎて何も手に付かないですか」やら、余計な言葉が付いてくる。これがもう、気持ちが悪い。
 あるいは「死や自殺について考えることがありますか」も出てきたサイトもあったが、なぜ死と自殺を一緒にするのかがわからない。死についてあれこれ将来を想像したり、自分は長患いだろうかすぐ死ぬだろうかと考えることはたくさんあっても、自殺などみじんも考えていない人間は、もうここで回答を選べなくなる。

 どうにかこうにか、だましだましで回答すると、どこのサイトでも「軽度のうつかもしれない」で終わる。

 こんなことが気になりすぎるのは、うつより発達障害のチェックを探したほうがいいかもしれないと、ネットで検索すると、こちらはどこのサイトもほぼ同じ設問を使っていた。信頼できる設問セットがあまりなくて、どこも同じものを使っているのかもしれない。
 うつ病チェックとは違って、それらの質問に求められるのは、わたしの好きな「度合い」の回答ばかりだった。うれしくて回答してみると、ASDの可能性ありと出た。ああ、さもありなん、である。

 ともあれ、老後や死について想像したり考える時間はあるが、自殺についてまったく考えていない点では、うつ病でないことは間違いなさそうである。

新宿に遊びに行くつもりが

 小田急本館が解体予定となり、小田急ハルク内部にぎっしり小田急食品売り場が移動したとあっては、わたしとしてはなんとしても見に行かねばと、今日は予定を立てていた。家族も乗り気で、昼過ぎに出かけようかと相談していたのだが。

 わたしが、バテた。
 見事に、動けなくなった。

 あとになってみれば数年前までは10月ころになると起こしていた体調不良だったのだが、この数年なかったのでそれを忘れてしまい「いったいどうしたんだ、風邪か、食中毒か、またもやコロナか、まさか持病関連ではないだろうな」と、気持ちがパニック。だが体を温めて横になってみると「ああ、前によくあった、足湯か暖房で足首を温めるとおさまるアレか」…と。

 体はふらつく、胃はムカムカする、過度ではないがそこそこ腹を下す。なぜか足首を万全に温めると治るのだ。

 思い出すまでのあいだは「ああ、人間は年を取ると不安になって、あれこれ疑心暗鬼になり、こういう状況でツボ売りが来ると騙されるんだよな」などなど、不安になりながらも考えていたのだが、それで済んでよかった。数時間で復調。ねんのために外出は控えて家にいた。明日は近所くらいなら歩けるだろう。

 そういえば東急吉祥寺にワークマン女子と3coinsが入店したというので、そちらにも出かけたい。
 また、なぜかユーハイム商品を買うときには荻窪ルミネのユーハイムが好きなので、荻窪も出かけたいところだが、そうそう外出もままならない。どこかのユーハイムで焼き菓子を調達したいのだが、どこにしよう。

 来週は後半に東京駅に遊びに行けるはずなので、それだけはなんとしても予定を守りたい。

猫の夢を見た

 たまには可愛いものも夢に出てくる。もっとも、その猫が出てくるシーン以外はよく覚えていないが、全体としては暗い夢だったかもしれない。

 昼間に2階のベランダを開けると、目の前(つまり上空ということになるが)に誰かがいた。1階の草むらを見るようにと、ニコニコしながら合図している。そこで下を見ると、小さいのに茶色くてふさふさした猫が、わたしがいる2階のベランダまでジャンプしようとして、助走のようにお尻をふるふるさせているところだった。

 その茶色い(ポケモン風に表現するならイーヴィ風)猫は、往年のドラマ「バイオニック・ジェミー」でもあるまいし、お尻をふるふるさせただけで、1回のジャンプで飛んできた。なんという跳躍力。わたしはキャッチして、両前足の付け根部分(つまり両肩)をうしろからかかえ、家の中にいる家族に「猫が来た」と伝えた。
 家族も猫が好きなので、にっこり笑っている。

 どうも猫の世界でも不景気らしく、ツンデレしている場合ではなくて、人間に愛想よくして餌をもらうほうが得策ということになったらしい。何やらひっきりなしに愛想よくしてきたので、なでたり、何か食べ物を出した。
 こちらは借家なので完璧に飼うことができないのだが「夜だけ外でおしっこしたり、軒下で寝てくれるなら、昼間はベランダでご飯をあげるし、ちょっとなら中で休んでもいいけれど、それでいいか」と尋ねると、背に腹は代えられない様子で、猫は真顔で了解した。

 猫の世界もたいへんなんだなと、そんな風に思った夢だった。

台風が連続でやってきて

 少しの間隔で台風がつづいたせいか、どうやら今日は低気圧の影響を受けたらしく、動くのがつらかった。

 昼から「首が痛い」、「少し頭痛もあるか」と感じていたが、雨が弱い合間を縫って散歩に行けたらおそらく気分転換で治るだろうと期待していたところ、雨は大粒になり、首や肩の重さはおんぶお化けでも乗っているかのよう。首に湿布、額に冷却剤、バファリンを服用して様子を見ていたが、ついに夕方の4時近くになって雨が激しい雷雨になったころ、めまいまで起こしそうになった。

 仕方なく外出をあきらめて横になっているうちに、薬が効いたのか楽になった。

 今回の連続した台風では交通機関や住宅への被害もあった人が多いだろうが、わたしのように普段はあまり低気圧と頭痛の関係を意識していない人間でさえこれほどの影響を受けたので、普段から低気圧の予想におびえている方々は、さぞかしご苦労があったのではと考える。

ワクチンの夢を見た

 ねんのために書いておくが、わたしはよく悪夢を見る。とくに昼間に疲れて目を閉じたときの夢がすごい。今日も配達の予定が2件あったのでできるだけ目を開けていようとしたものの、座椅子でうとうとしていたところ予定外の「エホバの証人」までやってきて、短時間に3回もチャイムが鳴った。

 さて、ワクチンの夢である。

 実は先日「まだ60歳以下だが、そのうち接種推奨年齢が低くなって、呼ばれるのだろうか」と考えていた。
 わたしは副反応が強めに出る。実際に新型コロナにも罹患したことがあるが、ワクチン接種の3回とも、副反応は実際の罹患と近い程度に不快だった。発熱と平熱が交互にやってきて調節ができず、突然に起き上がれないほど体がつらくなることもあり、二日ほどは不安で予定が何も入れられない。3回目のとき「もう、4回目はやりたくない」と、かなりまじめに考えた。

 気が乗らないと思っているうちに、60歳以下でも4回目の話が出てくるかもなぁと、そんなことを考えていたところだが、それが夢に出た。

 わたしは現実社会での医療関係者や、認可を受けた製薬会社の製品を信頼しているし、それぞれが高い職業意識で従事してくれていることを疑ってはないのだが、以下は夢である。

 接種会場を探していたわたしが迷いこんだのは、まるで普通の事務所のような雑然とした場所、なぜか勧められたハーブティには小さななにかが浮いていて(上澄みをうっかり飲んでしまったが底の方はさらにすごいものがはいっていた)、説明を求めたところ医師らしい男性が「最新式のワクチンですから、事前にそれを飲んでいる人のほうが効き目は抜群なのでお茶をだしました。おそらく詳細を説明してもわからないくらいの技術なんですが——あ、そうそう、接種から4〜5日は、蛇口からしたたり落ちる水がドロンとした液体に見えたり異物に見えたり、とにかく精神的におかしいことがありますが、気にしないでください」

 ——気にするよ、それ。

 とにかくこんなヤバい人の前からは消えなければいけないのだが、どうやって逃げようかと身構えていたら、玄関のチャイムが鳴った。それが佐川急便だったのかエホバの証人だったのかは忘れたが、とにかく起きることができた。

 ほっとした。だが、同時に感じた。

 ワクチンが怖いと思っている人(副反応がどうのという具体的な意味ではなく、なんだか得体が知れなくて怖いと感じている人)は、もしやこれくらい、怖いのではと。わけがわからず、納得ができず、それでもせかされるのが怖いのではと。

 そういう人たちが、陰謀論の話をする人たちに耳を傾けてしまうのか、あるいはせかされながらも自分の考えをまとめられるのかは、微妙なきっかけで左右されていくことかもしれないが、それにしてもこの「不安」は、社会全体として緩和の努力をしたほうがいいだろうと、自分の夢で考えさせられた。