映画「ハリガン氏の電話」

 Netflixにあった作品。スティーヴン・キングの短編を膨らませて映画にしたものらしい。

 主演の少年をジェイデン・マーテル、ハリガン氏をドナルド・サザーランドが演じている。ジェイデン・マーテルは子役から成年になる現在まで作品に恵まれていて、わたしは「ミッドナイト・スペシャル」で名前を覚えた。「イット」にも主演クラスで出演していた。

===== あらすじ =====
 クレイグという少年は、都会を離れて田舎に屋敷を構えたハリガン氏に、本を音読することになった。ハリガン氏は高齢になり家からあまり出ない暮らしをして、細かい文字を読んで読書をするよりも誰かに読んでもらうことにしたのだ。

 ふたりは数年の間、音読の時間を通じて静かに気持ちを通わせるようになる。

 だが幼かった少年が高校にはいるころ、世の中にはiPhoneが出回りはじめていた。少年はハリガン氏からもらっていたくじの当選金額で自分のiPhoneを手に入れ、のちに、ハリガン氏にもひとつプレゼントすることにした。

 ハリガン氏は最初のうちだけ携帯電話というものに警戒していたが、あれこれと教えてもらい、やがてネットから好みの情報を得ることができるようになる。

 少年をいじめている同級生がいた。やがてその同級生は退学になった。
 ハリガン氏は死期が近いことを悟り、クレイグ少年に、自分の身に危険が迫ったときは、早い段階で相手を始末するようにと約束させ、その後まもなく息を引き取った。

 ハリガン氏は、少年に学資を用意してくれていた。
 少年は、ハリガン氏の棺桶にiPhoneを入れて埋葬した。

 ……だがときおり、自分の電話にハリガン氏の電話からメッセージがはいるようになった。

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 ホラーとか、怖いとか、そういう方面の映画ではない。ただし殴るなどのシーンが出てくるため、暴力シーンに敏感な人にはお勧めしない。

 偏屈にしか見えないが実は心にぽっかりと空洞を持った老人から、母を失いどこか陰りのある少年への、長い時間をかけたメッセージが描かれている。

 とくに、iPhoneの利用法をひととおり学んだハリガン氏が、クレイグに語るシーン。
 人にとってスマホが必需品になるまではタダ同然で情報を与えておいて、人の心をつかんだとき、もう自分たちなしではいられないというタイミングになったとき、人の首根っこを簡単に押さえてしまうのだと説く場面は、実に素晴らしかった。あらゆる物事にあてはまることであり、登場人物の背負ってきた重み、人柄と慧眼をよく表している。

 ドナルド・サザーランドは、実によい役者だと、あらためて感じさせられた。

Netflix: Hunger を見てみた

 評判らしいのだが、たまたまネットで予告動画を見た関係で気になっていたタイの映画 Hunger(邦題「ハンガー」)をNetflixで見てみた。

 偶然に飛びこんだ世界で頭角を現す若い女性料理人と、一度はその師となった高名な男性料理人との確執と料理対決を軸に、味はわからないが高名な料理人を雇う成金の醜悪さ、カネがない生活と富裕層などの社会的な話をからめつつ、最初から最後まで「よくある話」の路線を突っ走った作品である。

 見はじめて数分後「これって、こういう話だろうね」、「そうだろうね」と話した内容がまったくブレずにその通りに終わった。意外性はゼロだ。そして出てくる料理も、料理番組として見ると不味そうなものが多かった上に、衛生面でも「厨房でこりゃないだろ」という、見ていてつらい場面がちらほら。

 見て損をしたとまでは言わないし、以下に書くように主演女優の成長が見られてよかったのだが、正直「なぜこれが世界的にNetflixのランキングトップになったのかが不明」である。食べ物対決というのは、話題になりやすいのだろうか。

 さて、主演の若手女優チュティモン・ジョンジャルーンスックジン。

 見ている途中で気づいたのだが、2017年に、秀才ふたりと金持ち同級生らが組んで国際的規模でカンニングをおこなう「バッドジーニアス」で主演デビューした人だった。そのときに高校生役だったのだから、実際もかなり若いのだろう。
 その作品でも、やってきたことは悪くても最終的には人として正しい道を選ぼうとする役だったと記憶している。今回も師のもとを離れるのは義憤に駆られたからだった。こういう役の似合う凜としたイメージの女優さんである。

 個人的には若いころの中野良子に似ていると考えており、今回もそれがきっかけで「数年前に若いころの中野良子みたいだと感じた女の子がいたが、これは同一人物か」と気づいた。また別の作品で出会えるのを楽しみにしている。

レモ/第1の挑戦 (1985年)での、韓国人師匠

 先日どこかのチャンネルで「レモ」をやっていたことに気づき、後半を見てしまった(予告動画などを含めてimdb.comに情報あり → Remo Williams: The Adventure Begins

 若き日のケイト・マルグルー(のちのスタートレックシリーズでジェインウェイ艦長で有名)が軍人役で出ていたことは覚えていたし、レモを指導する韓国人師匠がひょうひょうとしておもしろい設定だったなと、ぼんやり見ていたのだが。

 師匠の顔がアップになったとき、目の周囲のメイクが不自然に思えた。記憶ではアジア人だったような誤解をしていたが、どうも西洋系の人が目の周りをメイクで細く加工して、いまでいう「つり上げる」ような状態にしていた。この10年くらいではかなり問題になることが増えてきた、いわゆる「ホワイト・ウォッシング」だ。つまりアジア系やアフリカ系の役者が映画業界に存在しているのにもかかわらず、白人にメイクを施して出演させ、有色人種から仕事の機会を奪ってしまうというもの。

 レモで韓国人師匠を演じていたのは別にアジア系ではないJoel Greyであった。

 昔はこういう事例が山ほどあり、そうした「お約束」に慣れてしまっていたため、とくに何も感じずにいたのだろう。40年近く前のこの映画で実は韓国人ではなかったということに、いまごろになって気づいてしまった。

 後天的なものや社会的立場については自分本人の状況と異なる役柄を演じることは当たり前であるが、人種のようにあきらかに見た目が違うことに関して、役柄設定を変えることなくメイクでなんとかしてしまおうというのは、さすがに21世紀のこのご時世では、減ってきているだろうし、打ち合わせや企画の段階で問題が熟慮され、実施にいたらないことも多いのではないだろうか。

「ラルゴ・ウィンチ」に新作があるらしい

 先ほどIMDBでラルゴ・ウィンチの検索をしていたところ、ジェームズ・フランコ(このところ性的なハラスメント問題により仕事がなかった)と、トメル・シスレー(ラルゴ・ウィンチ)の名前とともに、2024年に新作があるような紹介がなされていた。( → The Price of Money: A Largo Winch Adventure

 そんな話がいつからあったのかと検索してみたところ、フランス語の記事で2020年に制作がほぼ開始されるような話が出ていた。このころはテレビドラマシリーズのルパンで主演したオマール・シーも出演候補に名前が挙がっていたらしい。 (2020年の記事
Largo Winch : Tomer Sisley rempile pour un troisième film !

 おそらくトメル・シスレーはドラマ「バルタザール」のほうが忙しくて、なかなかラルゴ・ウィンチに取りかかれずにいたのだろう。フランス本国では最終シーズンの4が終わっているようなので、そろそろラルゴになる準備ができたということだろうか。

 この話が進めば、ラルゴ・ウィンチの旧作もまた配信されるかもしれないし、楽しみである。

なんだこれは…ベルギー映画「ノイズ・ウィズイン」

 昨日のことである。Netflixでおもしろい作品はないかと探していた。長さが1時間半だというし、フラマン語(フレミッシュ語)は知らないので、きっと字幕を見ながら聞くのが楽しいだろうと、なんとなく見てしまったのがベルギー映画「ノイズ・ウィズイン」。原題は Noise のみ。

 45分ずつ2回に分けて見たのだが、前半は「この先がどういう映画になるのか」と、たとえばホラーなのか、登場人物の心の病なのか、まったく別の展開になるのかといった具合に、楽しみに見ることができた。用事を終えて夜に後半を見ていると…

 …終わった。
 え、ここで終わりか? わたしは何か見落としていたのか、ストーリーの重要部分とか?
 …しばらく考えてみたが、わからない。

 数分考えて…何やらとてつもなく、わからない。伏線のようなものは回収されていないし、そもそも伏線の張り方も中途半端。

 おすすめしない映画であるが、わけわからない気分になりたければ、ぜひどうぞ。

=== いちおう、あらすじ ===
 主人公男性の母が、家(広い屋敷)の前にある大きな沼のようなところで死んだらしい描写で話ははじまる。その後すぐに「時は流れて〜」といった具合で、主人公が成年後に恋人と、そのあいだに生まれたばかりの乳幼児を連れてその広い家にもどってきたところから、ふたたび話が流れはじめる。
 主人公の父親は界隈の入居型施設で暮らしていて、認知症があるのでたまに歩いて家に来てしまうが、体のほうの病気はなさそうである。主人公の職業はなんと「インフルエンサー」で、ネットに何かを載せるたびにスポンサー契約がついたりして、生活用品を送ってもらえたりもする。
 結婚はしていないらしい恋人の女性は、(田舎に引っ越してしまったものの)食べ物のケータリングをしたいと考えており、つねにキッチンで仕事の案を巡らしている。

 主人公は、自宅すぐにある広大な工場跡(かつて父親が所有)について、調べることにする。何かきなくさい事件があったようだが、当時は幼かったので自分が知らないことが多すぎた。それを調べ直すことで、フォロワーの興味をかきたてると同時に、父親との心の交流を持とうとする。
 いっぽう主人公の同居女性は、地元の人たちに受けいれられないことに戸惑いを覚えていた。中には露骨に嫌うような態度を取る人もいるが、なんとか少しずつでも地元に溶けこもうとしていく。

 工場の秘密について調べているうち、主人公の奇行が、その度を増す。同居女性の弟もかなり心配して訪ねてくるほどの壊れっぷりである。
=== あらすじ終了 ===

 …で。

 これほどぽかんとさせられたのは、How It Ends と同じくらいと思ったら、やはりその件もこのブログに書いていた。

“How It Ends” ほか、パニック映画

 今回の映画が、もし、作品のどこか途中から主人公の心の世界にでも飛んでしまったのでないかぎり、平穏なシーンで終わることは考えられない。この主人公カップルに、落ちついた日々がもどるとはとても思えない。少なくとも言いたいのは「なぁ、ねーちゃん(同居女性)、弟のことを考えたら、のんきにしていられないだろ」である。

 いや〜。なんだったんだろ。

通称「エブエブ」と、思い出した別作品

  先日 Everything Everywhere All At Once (通称エブエブ)を見てきた。平日午後で、客の入りはだいたい20~25%だっただろうか。ちょうどチケット予約をしていた日が米国アカデミー賞の発表日で、作品賞がエブエブだとわかってから出かけた。

 見る前から「あんなに賞を総なめにするなどと、かえって期待してはいけない気がする」との警戒感が。

 はたして、開始からまもなくは「大丈夫なのかこの映画」という疑問符が頭の中を駆けめぐる。うるさいだけで、内容も日常生活にあまりに密接していて「映画でこんなめんどくさい話を追体験したくないぞ」との思いが。
 やがてその騒音に耐えていると、やっと話が大きくなってきた。マルチバースである。危険な場面に遭遇するたびに多次元な世界にいる自分に接続し、その能力をもらい、機転を利かせてその場をなんとか逃げ切る。そしてまた次の場面に突入。めまぐるしい。

 だが、最後の最後で、冒頭で感じた「こんな日常生活だらけのシーンが」の流れに、もどっていく。途中であれだけ話を膨らませ、主人公らにはちゃめちゃな行動を取らせておいて、最後はお決まりの「どこにでもある映画」に落としこむ。これは、罪深い。

 別に続編を念頭に置けと願っているわけではないが、大きくなれる余地を見せておきながら最後にしぼませるのであれば、観客は先の世界や今後の可能性に思いを馳せることもない。終わった終わった、で映画館を出る。

 もったいないというか、罪深い。

 さて、わが家が語り草にしている「あれだけ騒いで、最後はこれか」の映画は、ジェフ・ブリッジス主演の「ブローン・アウェイ」である。もっとすごいことするのかと思っていたのに、それかよ、と。
 世間の評価は概ね好評だったのかもしれないが、今後わたしたちは、エブエブとブローン・アウェイを並べて語ることになるのだろう。

「ケイ・スカーペッタ」がドラマ化されるのだが

 2月ころに耳にした情報。検屍官シリーズ(パトリシア・コーンウェル著)がニコール・キッドマン主演でドラマ化されるという。タイトルは「ケイ・スカーペッタ」になる模様。

 だが、共演のジェイミー・リー・カーティスが「妹のドロシー役」であると各社が書いているのだが、これはもう、映像化の際に設定を姉に変えたとしか考えられない。記事を書いた各社も、それを読んだ読者も、なぜ誰も突っこまない。女優としての実年齢もジェイミー・リー・カーティスのほうが9歳上で、役どころとしてまだ母親役があるニコール・キッドマンにくらべて、ハロウィンシリーズでは祖母役も経験しているのがジェイミー。これはもう、妹などと書いている場合ではない。

 英語では sister で済んでしまうが、日本語、中国語、その他いくつかの言語では、年上かどうかで訳す単語が違うので、訳者や編集者はきっちりと確認しているはず。そのことからも、世界の読者は「妹」と認識している人が多いと思われる。

 これはもう「設定を変えた模様」などのひと言がなければ、違和感ありまくりな状況である。そろそろ続報が出るかと思ったが、少なくとも日本語のメディアでは、何も追加情報は出ていないようだ。

映画「コーダ」の曲が耳から離れず

 数日前の夜中に、どこかのチャンネルで「コーダ」を放送していた。途中から最後までをちらちらと見ていたが、歌が耳に残った。翌日も、その翌日も、歌が頭から離れない。
(ちなみにこういう状況を英語で earworm という。耳にこびりついてしまって離れない状況)

 曲名すらわからなかったのだが、家族がApple Musicにあると教えてくれたのでリンクしてみる。映画のオリジナル曲ではなく、「耳にしたことはある」という懐かしさとセットになって耳をくすぐる。

 聴覚障害がある家族のなかで主人公の女性は唯一の健常者であり、子供のころから家族と世間をつなぐ通訳の役割をになってきた。だが歌が好きで、才能があると気づいた人たちの応援もあって、少しずつ自分の人生をつかんでいくという話だ。

 話題になったときには見るのに気が重かったが、偶然にも放送中に出くわした縁で見ることができた。自分の夢をつかむ決意をした主人公、背中を押してくれた家族。終わり方もよく、見てよかった。

英ドラマ「ブラック・ミラー」

 近未来か、設定の違う奇妙な世界を描くイギリスの作品「ブラック・ミラーは1話完結。順番に関係なくどの作品を見てもよいドラマらしい。

 Netflixにあったので、ふたつほど見てみたのだが、今日見た「1500万メリット」という作品には驚かされた。

Fifteen Million Merits (2011) on IMDb

 練られた脚本、風刺。そして見終えたときに重くのしかかる暗さと、悔しさ、歯がゆさ。これはまさに「世の中」なのである。
 描かれているのは社会にがっちりと組み込まれた一般人だ。身動きがとれないほどにがんじがらめの世界でありながら、そこに暮らす一般人がランクの上下を意識して「下には下がいる」、「上に行けばああなれる」と、見せかけの選択肢の中で自由に生きているように感じている悲しさ。そして、それを指摘しようとした人間もまた…。

 Netflixに加入している方は、ぜひこの話(第一シーズン2話目)だけでも、ご覧いただきたい。主演の男性は「ゲット・アウト」などで活躍のダニエル・カルーヤ。
 

仏ドラマ「バルタザール」は5まで

 U-Nextでずっと最後の2話を見ずに溜めていた「バルタザール」のシーズン4だが、思い出して見てみた。

 シーズン3までは「妻を殺したのは誰か」が主軸。最終話では法医学者である主人公のバルタザールは心身共に傷つき、死亡してもおかしくないほどの重傷を負った。心の問題として考えても、生きつづけることが困難なほどの衝撃を受けたはず。これで終わりにするのかなと、そのときは考えた。こんなことがあっても立ち直れて、同じ職業を継続できるという主人公を、わたしは思い描くことができなかったのだ。

 だがとりあえず、シーズン4は作られた。

 3まで登場していた女性警部はパリを離れて引っ越してしまった設定で、新たに別の女性警部がやってきた。前者はシーズン3の最後でバルタザールと思い合っていることが確認されたが、新しい警部はかつてひとときの火遊びをした間柄という設定。それ以降は恋愛関係になく、物語の中でも別に特別な関係とはなりそうにない展開。

 バルタザールは自分が検視する相手(死んでいる人)と脳内会話をする。シーズン3までは殺害された妻がその当時の服装で好きなときにやってきては話をした。これは霊能力とかそういった話ではなく、バルタザールの頭がわかっていることを相手に言わせて自分の考えを整理するような扱いだ。だから誰に殺されたのかを妻は(幽霊ではないので)言わなかったし、実際に殺人者がわかってからのシーズン4では、服装も変わってはっちゃけた姿でにぎやかに登場するようになった。

 どう話をつづけるのだろうということが心配だったが、シーズン3のラスボスだった人物が刑務所内からストーカーであるかのごとくこまかく連絡をしてきたりと、心身共に不安定になってカウンセリングを受け、服薬をする主人公。新しい警部のほうにも何か秘密があるようで、そのふたつを描きながらもストーリーは個々の事件を描いていく。

 これまでのような大きな軸はないのかと思ったが、最後の2話で、話が動いた。最後の数分間まで「え、黒幕だれ」と首をかしげているうちに、シーズン3のころに少しだけ出た話がここにつながるのかと、合点がいった。とってつけたような黒幕像ではなく、ああそういえばそういう話があったっけと、いちおう準備されていた印象だ。

 しかし、シーズン4の終わり方では、最終シーズンであるという次の話が、どうはじまるのか皆目見当がつかない。本国では1月に放送されたようなので、半年くらい待っていればまたU-Nextにでもはいるだろうか。そのときを楽しみにするとしよう。」