2019年の映画「マッドハウス(原題: 1BR)」

 家族が映画を録画したというので、昨日はこれを見てみた。日本では2020年夏に公開されたらしい。

 わたしは「怖い」とか、いわゆる「ホラー」なものには目がないのだが、これはひたすら「気持ちが悪い」系である。内部で描かれる暴力は、理不尽を通り越し、これを映像化しようと考えた人たちにかすかな怒りを覚えるほど(つまり「これを見させられてろくなオチでもなかったら金返せレベルだ」という、憤慨すれすれ)のものだった。

 主人公の女性はある大きな共同住宅に空室ができたということで、見学にやってきた。当日の訪問客は多く、抽選の倍率は高そうに感じたが、女性は無事に選ばれて、住めることになった。
 だがその家は、住んだら二度と出られないものだった——

 いちおう、見終えたが、カタルシスのようなものはないし、中盤まであれだけ暴力描写がひどかった割には、主人公の内面的な葛藤や、周囲の人々の掘り下げも足らず、何やら中途半端な印象だった。

 見終わったあとで検索してみたところ、かつてアメリカで活動していたカルト「シナノン」(スペルは Synanon)を元ネタとして使っているのだそうだ。
 その団体はもともと薬物乱用など何らかの中毒になっている人々を社会復帰させるとの触れ込みで、リハビリテーションとして人を集めていた。のちに宗教団体となったが、だんだんと行為がエスカレートし、殺人未遂ほかが発覚。最終的には「犯罪集団として認定されたので宗教団体の免除が受けられなくなり、金銭的な理由で解散」ということになったようだ。日本語Wikipediaは見あたらなかったが、英語版はこちら

 ゴールデンウィーク中は、もう少し、明るい映画が見たい。ほかも探してみよう。

 ちなみに原題の1BR(ワンビーアール)とは、寝室がひとつの間取りということ。だが日本の感覚の1DKとは異なる。寝室がひとつでも、台所やそれ以外の部屋がある。

「コブラ会」ほか

 最近のNetflixでは、80年代にシリーズ化されていた映画「ベスト・キッド」シリーズ(原題はカラテ・キッド)の後日談「コブラ会」を見ている。長さが30分程度なので、1話だけ見てもいいし、2話を見ることも。
 出演者は当時のシリーズに主演していたラルフ・マッチオと、初回のライバルであるジョニーを演じたウィリアム・ザブカ。このテレビシリーズでは、どちらかといえばジョニー役が主役といえるかもしれないが、第1シーズン後半から、ラルフ・マッチオ演じるダニエル・ラルーソの家族と、空手の稽古に関して、じっくり描かれるようになる。

 まだわたしは第2シーズンを見はじめたばかりだが、第4くらいまであるそうなので、今後もゆっくりと見ていこうと思う。

 ほかにNetflixで見ているのは「Unité 42」というベルギーの警察ドラマ。これはアメリカのCSIシリーズ(とくにCSIサイバー)のような話で、フランス語の学習が目当てで見ている。字幕はフランス語に設定。

 はっきりいって、わからない場所が多い。よくわかったように感じたのは初回といくつかの話で、わからない回はほんとうに「自分は理解できたのか?」と、首をかしげたくなる。鑑識やコンピュータ関連の場面は意味がわかる(というか推測ができる)が、家族の場面の日常会話やら、同僚同士の何気ない会話が、よくわからない。
 全10話程度で、あと1話で見終えるが、そのあとは最初から見て、どうしてもわからない場所を拾っては、ところどころ字幕を英語に切り替えるなどしようかと思う。意地でも日本語字幕に頼らず、がんばりたい。
 言葉はさほど聞きとれていないが、主演のひとり、元ハッカーの女性警察官の表情が好きだ。

「デッドゾーン」1983年の映画

 クリストファー・ウォーケン主演、デビッド・クローネンバーグ監督作品、原作はスティーブン・キングの「デッドゾーン」が、アマゾンプライムにはいっていて、そろそろ終了するというので、見てみた。

 好きなのですでに何度か見ているのだが、年代が古すぎてなかなか配信サービスにはいらない。また、はいった場合でも吹き替え版という場合があり、今回のアマゾンがそれだった。英語版はアマゾンの別サービスで有料のほうにならあるようだが、まあ、内容はよく覚えているし、吹き替えでもいいかなということに。ちなみに家族は未見だったようで、楽しそうに見ていた。

(Amazon Primeに、2月末で配信終了の吹き替え版がある)

 交通事故で昏睡状態の長かった男性が、不思議な能力を身につける話。
 目覚めたとき婚約者は、ほかの道を選んでいた。自分は能力により人助けをしたことで世間の注目を浴びてしまう。どうにか体力をもどし、日常生活を送ろうとするころ、連続殺人事件の捜査に協力してくれとの依頼が。
 また能力者として騒がれる日々は困ると思いつつも、協力する主人公。だが彼はあるとき、かつての婚約者が支援している政治家候補と偶然に握手をしたことで、その男の邪悪さを知ってしまうことになる。

 昔の映画らしい適度な短さ、詳細を省いた骨子だけのストーリーライン、ラストの潔さ。
 わたしは、この映画が好きだ。
 
 ただ、この吹き替え版に関していえばだが、テレビ放映時にカットされた部分を英語で流して日本語字幕で補っているので、途中で何カ所か、作品世界から引きもどされた。「ああ、ここテレビ放映されなかったんだぁ」と、つい余計なことを考えてしまい、のめりこむほどには、その世界に浸れなかった。

「凍てつく楽園」というテレビドラマの邦題

 スウェーデンのサンドハムン島を舞台にした犯罪ドラマシリーズがある。1年に数話ずつ放送されていて、現在おそらく10年くらいになるらしい。

 WOWOWのオンデマンドに初期のころの作品がはいっているほか、最近の作品が放送された際に録画したものが手元にあるので、10年くらい前のものと、最近のものを少し見てみた。

 で、思ったのだが…

 サンドハムン島は、夏に出かけるのが有名なリゾートらしい。作品も、たまたま見たものだけかもしれないが、夏が舞台だった。ちっとも「凍てついて」いないのだ。

 それでもねんのためサンドハムン島で画像を検索すると、やはり観光関連サイトも夏の絵ばかりである。

 凍てついてない。
 どこからきたのだ、この凍てつくは。

 もう何話か見たら、とてつもなく陰鬱で、比喩として「凍てつく」感じの内容が出てくるのかもしれないが、現在のところは、寒いかどうかの意味合いで考えると、凍てついていない。

 そういえば、別のドラマのこと。

 2015年に開始したアイスランドのテレビシリーズ(2シーズンまで)は、邦題が「トラップ 凍える死体」である。第1シーズンはほんとうに凍えまくる景色と環境だったものの、第2シーズンは(ぜんぶを見たわけではないが)雪がちょっと残っている程度の街が舞台。季節は冬ではなさそうだ。まさか第2シーズンがあると思わずに「凍える死体」にしてしまったのだろう。
 この番組にかぎらず、もし長くつづいた場合には、その後のフォローがたいへんになってしまう事例というのは、少なからずありそうだ。

 

AXNで、70年代のアメリカのドラマを連続放送

 今日、なんとなくつけたままにしていたテレビ(チャンネルはAXN)で、夕方にチャーリーズ・エンジェルを連続でやっていて驚いた。ひと昔前にドリュー・バリモアがプロデュースした映画版ではないし、もちろん最近のクリステン・スチュワート主演版でもない。70年代にジャクリーン・スミスやらシェリル・ラッドが出ていたあれである。

(下記の画像は英語版のWikipediaからリンク)
Charlies Angels cast 1976

 おまけに今日は、最初のシーズンで去ってしまったファラ・フォーセットがゲスト出演している回だった。
 なんとも懐かしいことだ。あの方が、亡くなってしまったというのは、ほんとうに悲しい。

 そして、この放送が終わったら、次はなんと「バイオニック・ジェミー」だという。3シーズンぜんぶ放送だそうだ。録画することにしたが、二カ国語というのは普通に録画してもあとから選べるんだっただろうか。心配で数分ほどチャーリーズ・エンジェルを録画してみたら、どちらの音声でも聞けることがわかった。さらに最近のドラマで文字の放送に対応している作品ならばだが、録画後に字幕も表示できるようだ。

 いつも字幕版の時間を選んで録画していたが、バイオニック・ジェミーは古すぎて字幕があるはずもないから、二カ国語で楽しむことにしよう。

 さらに、ブロード・チャーチの第3シーズンを二カ国語で録画してあるのだが(なぜか第2シーズンを見るチャンスがなくてそのままハードディスクの肥やしにしてある)、いつか見ることができたら、それも英語で見られるし、運がよければ字幕も対応しているかも。

 ああ、よい世の中になったものだ。

森山周一郎さん、安らかに

 つい数日前、何かのはずみに「古畑任三郎のエピソードのなかで、森山周一郎がわがままな年寄りやってたあれ、すごかったな〜」と、思い出したところだった。テリー・サバラスをしぶい声で吹き替えしていた人が、自分勝手な年寄りを快演。さすが大御所だなと、思ったのだった。

 ところが今日のニュースによれば、守山さんは肺炎でお亡くなりになったとのこと。ご冥福をお祈りします。

 そのエピソードは、若い愛人ともめた政治家が、自分のせいで女性が仮死状態になったというのに(←このあたりは記憶曖昧だが、もしや完全に死んでいたのだったか…?)、秘書(小堺一機)を呼びつけて「どうしよう」と、ぜんぶ丸投げで後始末をさせるところからはじまる。
 秘書が必死に自殺偽装などを考え、あれこれと手を尽くしている横で、代議士は「おなか空いたからピザとらない?」と平気で言う。ついにぶち切れた秘書は、ボスをずっしりとしたガラスの灰皿で殴る——だが幸か不幸か相手は死なずに、記憶が混乱した状態のまま、入院になった。

 女性の死体。入院した代議士。混乱が落ちついたら何をしゃべり出すだろうかと焦る秘書。そしてやってきた古畑任三郎が、なかばおちょくるように秘書を追いつめる。そういう話だった。

 古畑任三郎は、よく見ていた。
 そういえばあのころは、ドラマの放映を、きちんと時間に合わせてテレビの前で待っていた。待ちたいほどに、よいドラマもあった。

 いまではもう、わたしにとってドラマは配信か録画だ。自分から放映を待つほどに心躍るものは、ほとんどなくなってしまった。

 森山周一郎さん、やすらかに。

Netflixのベルギードラマ「警部補ジョアン・ペーテルス」

 邦題が、なにやらダサい。フランス語原題はLa Trêve、英語版はThe Breakで、おそらく「停止、休止」の意味ではないだろうか。
(翌日注: それよりも「休戦」がいいのではとコメントをいただいた)

 さらに、オリジナルのフランス語では、主人公の人名は「ヨアン」であってジョアンではない。字幕で見ればヨアンと呼ばれているし、表示されているスペルもYoann Peetersだ。もしやその人名が英語風になったときJで読まれるということなのだろうが、それにしても奇妙に思う。

 初めてこの作品を見たのは、当ブログの過去記事によれば2020年9月のようだ。2シーズンで計20話だが、休み休み見ていた。

 主人公は都会での任務で問題を起こし(職務上のとっさの判断で、民間人は守ったが警察官が犠牲になった)、奥さんも亡くなり、結果として気持ちを病んでしまったらしく、生まれ故郷の小さな警察署に配属になる。だが人には隠れて強い薬を飲んだりして、けっこう精神が不安定のようだ。
 そこに人種差別が絡んでいるのではと思われる事件が発生。閉鎖的な村で起きた外国人殺害の捜査により、あぶり出される現地の人々の秘密や、入り組んだ人間関係。それらをひとつずつ、荒っぽく大胆に調べる主人公。

 話のあいまに、何度も精神科医との面談が出てくる。話の流れと面談の時系列がよくわからず、都会でのことで精神的にまいってしまった時期のものなのか、それとも別なのかが、わかりにくい。わざと曖昧に描かれるのだろう。第1シーズンも後半になってようやく、主人公は最近のことを何日もかけて精神科医に説明している(それを視聴者は見ている)ということが、わかってくる。

 ようやく話の流れが視聴者と同じ「現在」になったとき、事件は終わる。
 だがそのラストで「この人、やっと立ち直りかけていたけれど、もうだめだな」と、主人公にとってのあまりの結末に、同情を禁じ得ない。

 そして第2シーズン。

 あのラストでは、警察官をつづけられるとはとても思えない(精神面でずたずた)状態だろうと思っていたら、やはり辞めていた。警察にコネはあっても、司法関係(警察学校のような?)で、教師をしている設定になっていたようだが、詳細は描かれていない。

 第1シーズンで自分を担当していた精神科医が、相談にやってくるところから話がはじまる。

 道路建設で山奥の森林を破壊することにはなるが経済的に村が潤うので賛成する推進派、その建設予定地の重要な部分を所有する気ままな初老の婦人、彼女と馬が合うために森林で自由に暮らしている怪しげなグループ(こっそり麻薬なども栽培)など、いろいろな人間がいる。

 そこで殺人事件が起こり、すぐさま、ある若い男が逮捕される。
 その男は最近まで冤罪で9年も刑務所にはいり、出所まもない時期だった。主人公を訪ねてきた精神科医は、その男が冤罪だった可能性について主人公に相談し、冤罪だったのならば、前科者への先入観から警察が彼を逮捕したことを問題視できる、今回の犯罪も無関係として戦う突破口になると考えていた。

 だが、主人公の病みっぷりが、このシーズンも半端ない。

 ところどころ「これは本人が病んでいるので妄想シーンと現実を混ぜているのではないか」と考えるしかないほど、はちゃめちゃな行動をとる。
 前シーズンで亡くなった同僚警察官は、誰もいないとき生きた人間のように普通に話しかけてくる。少しも幽霊っぽくないし、心が乱れた主人公がみずから生んだ幻影とは思えないほど、きっちり意見を言う。

 こんな問題行動をとったら普通はドラマが成り立たないはずだと思うものもあるが、全体の雰囲気や脚本から考えて、このドラマは低レベルとは感じられず——ならばいったいこれはどういうことなのかと、見ながら何度も頭を抱えた。

 最後の最後、第2シーズンの終わりに、第1シーズンで主人公が精神科医に語った言葉が流れる。そこでふと、合点がいった。

 見た人がそれをどう解釈するかは、何通りかあるだろう。

 だが、ひとつわたしが考えついたのは、この人物(主人公)は、話の最初からずっと壊れていて、苦しんでいるということだ。何回も何回も、過去を反芻して、医師に語るように自分のなかで話をくり返してきたのではないかと。
 何度も自分や人に語る話だからこそ、突拍子もないシーンが出る。経験したこと、実際にあったことが元になりつつも、一部は脚色され、歯止めもなく激情のまま行動し、ふと、我に返る。それをくり返しているのでは。

 描かれる世界はもちろんだが、つくづく、主人公の陥った闇の迷路は長く、そして冷たい。

スタートレックディスカバリーを英語字幕で

 Netflixのミスなのだろうと思うが、昨日配信されたスタートレックディスカバリーの最新話が、日本語字幕に対応していなかった。仕方ないので英語のまま英語字幕を選んで見たのだが、まぁ、たいへんである。話についていこうとして英語字幕をひたすら読んだため、画面全体になかなか集中できない。

 ときおりこの設定ミス(日本語字幕が選べない)はあるのだが、まさかこれほどの人気シリーズでやらかしてくれるとは、思わなかった。困っている人は多いのではないだろうか。

 こんなに集中力を使ったドラマ鑑賞はひさしぶりだ。「いつも日本語字幕で何気なく読んでいた胞子ドライブってspore driveだったんだ」やら、「さっきのはおもしろい台詞だったんだろうけれど、あーもう次の流れにはいっちゃたよ、そっち読まなきゃ」やら。

 来週分は、日本語字幕もぜひ提供してもらいたい。

訃報: ショーン・コネリー(享年90)

 俳優のショーン・コネリー氏が滞在先のバハマで死去と、ご家族が発表されたとのこと。日時や死因などは不明。謹んでご冥福をお祈りする。

 いろいろな方々が、それぞれに氏の出演作について語っていくことになるだろうが、わたしはひとつ、風変わりなものを。

 わたしがよく覚えているのは、1964年の「わらの女」である。

 原作はカトリーヌ・アルレー。80年代くらいまでは飛ぶ鳥を落とす勢いのフランス人作家だった。
 名作「わらの女」の結末に打ちひしがれて「こんな話(終わり方)があっていいのか」と考えていたころ、たまたまテレビで映画版が放送されたのだ。

 そのころは007シリーズもさほど詳しくなく、ショーン・コネリーをただ影のあるイメージの強い役者さんだなと、ぼーっとテレビ画面を見ていた。

 ところが最後の最後で、原作を読んだとき以上の衝撃が。
 唖然…。
 原作のラストの衝撃と、絶望感が、映画ではまったく違うものに変更されていた。

 あれを、ふつーの映画風にまとめたら、まったく「わらの女」ではないのだが。

 原作を知らない人ならば、それでも面白いかもしれないが、知っている人には衝撃だ。おそらく「あんな絶望を観客に味わわせることはできない、お金をはらって来てもらうのだし」とでも、誰か考えたのだろう。そうして変更されたであろう内容は安易で、安っぽさが感じられた。

 名作は凡作になってしまったが、あれが、当時の映画界の限界だったのかもしれない。
 

人の顔を、連想で記憶

 そもそもわたしは、実生活で人の顔の覚えが悪い。週に何度もやってくる配達の人たちもインターフォンの声で覚えて「よく来る人」という認識だが、玄関を開けたときには伝票に三文判を押すか、あるいはほんの少し「これでお間違いないですか」と言われて会話をする程度。そのときにちらっと見るドライバーさんの顔はあまり覚えられず、声で記憶する。

 こうした実生活でのことは、おそらく人との接し方が下手であるため覚えきれないのだろうと思うが、これが画面の向こうの役者だったりすると、まったく話が違う。相手はディスプレイの中にいて、自分がガン見をしても迷惑がかからない。ましてや話しかけてもこられない。安心して見ているから、記憶の仕方がまるで違う。

 さきほどNetflixのドラマを見ていて「この女優さんは90年代にアメリカのドラマX-Filesの第一シーズン前半で、○○の役で出た人じゃないだろうか」と思ったのだが、あとで検索をしてみたところ、顔立ちと年齢はなんとなく似ていたものの別の女優。だがその人もやはりX-Filesの第一シーズンと第二シーズンに別の役で出ていたことがわかった。取り違えたとはいえX-Filesで、しかも最初の年と翌年である。記憶のなかでごっちゃになったのだろう。
 それにしても、ふたりともざっと芸歴を拝見した範囲では、主役を演じるような方々ではない。なにかわたしの頭に残りやすい表情か、ストーリー上の設定があったものと想像する。あるいはとっさに「○○さんに似ている人」などと考え、記憶に残りやすかった可能性も。

 ジョディ・フォスター主演の「羊たちの沈黙」は1991年の作品だったが、主役ではなく誘拐被害者だった女性を演じた人が2017年にテレビシリーズのベイツ・モーテルで保安官として赴任してきたとき「あ、羊たちの沈黙」と、すぐにわかった。これもどうしてなのかはわからない。

 さまざまに思い出してみた範囲では、とくに女性に関して、覚えやすい傾向にあるのかという気がする。

 例えば、最近「アクアマン」(2018)主演のジェイソン・モモアを見ても、まだ10年も経っていないのに「コナン・ザ・バーバリアン」(2011)と同じ人だと気づかなかった。ただジャスティス・リーグに出演したアクアマンを見たとき「北村一輝が少しふくよかになったような顔」と感じ、「前にも同じことを考えた役者がいたけれど誰だっけ」とまでは考えたので、もう少し思い出すつもりがあれば、なんとかなった可能性もあるが。

 ところで、まだ誰も似ていると書いている人が見つからないのだが、わたしは個人的にヴィクトリア・ペドレッティが、若いころの大路恵美に似て見えて仕方がない。