まさかの「料理通信」休刊

 実に残念なことだが…。

 楽天マガジンに年払いで参加しているのは、料理通信のためだった。他社のオンライン雑誌サービスに、料理通信がはいっていなかったからだ。だが先ほど「今号はずいぶんと力がこもっているな〜」と思ったら、最後に休刊のお知らせ。ああ、最終号だったからなのか。

 創刊号から覚えている。料理王国から独立したメンバーとともに君島佐和子編集長が新しい船出をしたのだ。毎号のように店頭で確認していたが、頻繁には購入していなかった。そして最近では楽天マガジンで読んでいた。こういう似非愛読者が、雑誌にとってよい客ではなかったということも、休刊の理由としては大きいのだろう。

 ただ、紙としてのメディアは休刊をするが、ネット上では活動をつづけていくということなので、バックナンバーの電子版は今後も引きつづき買えるのだろうと思う。そうであってもらいたい。

 ウェブメディアで料金制または有料コラムが出現するのであれば、今度こそ、これまでのお礼として会員になりたいと考えている。

 …さて、楽天マガジンは、今後は何を楽しみにしたらいいのか。年払いだったので、少し様子を見ることにしよう。
 

「一切れのパン」というルーマニアの話

 かつて教科書に載っていたのだが、記憶違いでなければ中学校で読んだような気がする。長いこと勘違いをしていてロシアの話だと思っていた。

 内容を書く前に。

 二重三重に勘違いがあると救いがないが、なぜロシアと記憶違いをしていたかというと、文中にサモワールという言葉が出てきたような気がするからだ。そしてその話の感想を教師に尋ねられたわたしの同級生(かなりの秀才)が、わたしと同じようにサモワールに何か感銘を受けたらしくそれについて語ろうとしたところ、その同級生を指名した国語の教師(中学校時代)が「まぁ、まとめとかするときには、そこはどうでもいい部分だけど〜」と、軽く流したのが残念で、よく覚えていた。

 もしかするとサモワールの出ていた話は別のものかもしれない。だとすると中学校教師とセットで覚えていたが、いつの時代に読んだかも、怪しくなる。
 ルーマニアでもサモワールを使ってお茶を飲むなら、それに越したことはないが、実際のところはわからない。

 さて。
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 ルーマニアからドイツに船で出勤していた男性が、あるとき両国の国交が断絶したのを知らずに仕事に出かけて、捕まってしまう。周囲も大勢が捕まって列車に乗せられ、すし詰め状態の劣悪環境のなか、どんどんと遠くへ運ばれそうになる。
 途中で、男性と一部の人たちは脱走を決意する。
 列車が停まっているときを見計らって、抜け出ることにしたのだ。

 そのとき、列車の中にいた老人が「お守りに」と、ハンカチにつつんだパンをくれる。食べてしまえばあっというまのものだが、いつでも食べられると思って持ち歩けば、心の支えになるはずだと、老人は説く。主人公はその言葉の通りに、何日も何日もつらい日々を送りながら、飢えと渇きに苦しみつつ、家まで帰る。

 出迎えた妻に、これがあったおかげで、帰ってこられたんだよと見せたハンカチの中味は、固くなったパンではなくて、木片だった、という話。
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 この話がよかったと、ネットで書いている人は思いのほか多かった。

 英語でも検索をかけてみようとしたが、この話は日本人に好まれるのか、英語での情報はほとんどない。英訳タイトルは A Slice of Bread なのだが、作者(Francisc Munteanu / フランチスク・ムンティアヌ)は90年代までご存命だったため著作権は切れておらず、著作権切れの本を扱うグーテンベルクプロジェクトなどとも縁がない。ならば有料でもいいから英語の文章はあるのかと検索したが、それ以上は見つけられなかった。

 ちなみに日本語訳でも、当時の教科書に載っていた時代のものは、絶版の書籍(短編集)にあったのみで、現在ではほぼ入手は不可能らしい。

 今日の夕食時にいきなりこの「一切れのパン」の話になったのだが、なぜ自分がこれについて語り出したのか、わからない。きっかけを忘れた。

 それになぜサモワールが中学時代にあれほど魅力的に思えたのか、そもそもネットで異文化の検索が簡単になった現在でも知らない人が多いであろうサモワールという言葉がほんとうに教科書の文中にあったのか(お茶のための熱いお湯の描写をわたしが勝手にサモワールと考えた?)…考えはじめたらきりがない。

 きっかけからなにから、謎な思い出話になってしまった。
 ここはひとまず「人生、希望が大事だ、心のよりどころがあることが大事だ」というふうに、まとめておくことにしよう。

夏の風物詩? 「古本を売りたい」衝動ふたたび

 自宅の本が売りたい。
 去年の夏も、これで少し気持ちがざわついた。実際にやるつもりで途中まで検討したが、いろいろあって、いったん挫折。またこの夏に本棚を見て、同じ気持ちになってきた。

 紙の本がありすぎる。売りたい。だがこういうときの「あるある」で、手元に残しておきたい本ならば世間的にも価値があり売れる可能性があるが、表紙を見ただけでどうなってもいいや的な気持ちになれる本は、オンラインのデータとして入力するのもたいへんな手間で、それをやったところで、おそらく売れない。

 また、どこの通販サイトに商品を登録するかで、気苦労が違う。大手サイトに登録すると「お客から注文があったのに、なぜさっさと出荷しないのか」とお叱りを受けることもあるそうだ(例えばAmazon)。かといって自分のサイトに古本情報を書いてみても、気楽でいいし手数料もかからない分だけ、人が見ない。いつ売れるかわからない。

 だが最近になって元気になってきた、これから伸びるであろう販売サービスが、いくつかある。たとえば thebase.in など。ほかにも何種類か耳にしている。

 新型コロナの影響で、通販に慣れていなかった方々があれこれと商品販売方法を模索した結果、サービス提供側も、客を取りこもうとがんばったらしい。そうした会社のサービスを読みにいっても説明はわかりやすいし、とりあえずちょっとやってみてもいいかなと思う人も、これなら出てきそうだ。出店作業への心理的な負担が、少なくなってきているように思う。

 さらに、手数料はもちろんとるけれども、クレジットカードや電子決済の便利さがある。商品販売の際に相手がクレジットカード使用を望んでも、出店者は手間いらずで料金を回収できるのだ。

 以前であれば、通販サイトを開始するにあたって、クレジットカード発行会社や決済の仲介会社に売り手側が申請を出し、認められてからカードを開始するスタイルが多かったように思う。カードリーダーもクレジットカード会社おすすめのものを導入することがあったため、何種類ものカードを使えるようにするには手続きと機材が面倒だったはずだ。だが最近は、電子決済方法の取次業者が増えて、個々人とではなく出店者が利用する通販サービス提供側と契約したため、出店する人は手間が緩和されたのではないだろうか、

 いつか、古本を売ってみたいとは、思っているのだが。。。どうなることやら。

 注意点としては
 ○ 自分が買って自分が要らなくなったから売るというものでないなら、古物商の免許が必要。怖そうな公安に話をしなければならない。だからわたしは自分の本だけを売る。
 ○ 古い本で多少は汚れているものもあるが、売れた場合に発送前に本を拭くための無水エタノールが、いまはほとんど入手できない。新型コロナが落ちつくころまで買えないのならば、いつになるかわからないので、本がなかなか拭けない。
 ○ この件でもたもたしていると、また来年の夏にこの記事を見て「去年もやらなかった」と騒ぐことになる。

 さて、どうなることやら、である。

 

カトリーヌ・アルレーの本を検索してみた

 日本では80年代ころを中心に、フランスの作家カトリーヌ・アルレーの本がよく読まれていた。当時の日本で盛んだったサスペンスドラマ(2時間仕立て)にも、原作としてよく使われていたと思う。

 それから数十年。

 もはや、代表作「わらの女」以外は、絶版らしい。Amazonで検索しても、古本ばかりが引っかかる。

 あれだけ読まれていたのにと、なにやらさみしい。とりわけ「わらの女」は、最後にきっかりと完全犯罪が成立してしまったのが苦しく、悲しく——主人公の絶望はどれほどのものかと、活字で衝撃を受けた数少ない作品だった。同じように衝撃を受けたのは、アガサ・クリスティの「そして誰もいなくなった」だったが、読んだのはこちらのほうがあとで、大人になってからだった。

 こちらは文庫(なんと、2000年代に改訳されているとは…!!)。

 そしてこちらは、ラストが凡庸になってしまった映画版。やはり映画界としては、あのラストをそのまま作品にはできないと思ったのか、大胆に変更。
(字幕はついていない可能性がある)

 Wikipediaによると、最近の活動は知られておらず、施設にはいっているとの情報がかつてあったらしいが、どうされているのだろうか。かつて書店の棚を埋めていた名前が、もはや消えつつあることに寂しさを感じている。

海外文学の著作権切れ

 著作権切れの本を電子データでダウンロードするのが好きだ。だがわたしの読書傾向と同じでほとんどが積ん読である。ハードディスクには大量の「大昔本」がはいっている。

 ジョージ・オーウェルの1984(英語版)は、1〜2年前に日本のAmazonのKindle本で安く販売されていた日があり、ダウンロードしたのだが、よく考えるとそろそろ没後70年なので、ネット上に原文があるのかなと、検索してみた。

 実は2年前に、著作権が作者の没後50年から70年に変更になった関係で、名作「1984」は、いったん著作権が切れた時期があった。より正確に書くならば、たとえばオーウェルの住んでいたイギリスで、イギリス英語でそのまま出版されていた場合などであれば、オーウェル作品の著作権は切れていた(別言語への翻訳がなされた場合など、そのままの状態ではないものは無関係)。そのころに、ネット上で原文が放出されたり、それに基づいた作品などを作る人がいたらしく、いまだネットに残っている場合もある。
 実際の著作権が失われるのは、2021年の元日であるが、わたしのように没日から70年でいいのだろうと勘違いをするうっかり屋もいるので、出まわってしまっているのかもしれない。正しくは没日の年末までから考えて70年後だそうだ。

 日本でも、どなたか出版されるのであれば、2021年元日以降にオーウェルの作品を翻訳発表することは可能となる。

 それにしても、実際の書籍を買う量が減ったかと思えば、現在は「データの積ん読」をしているわたしは、いつかこれらを読む日が来るのだろうか。

ゴルゴ13の連載は、まだつづいていたのか

 新型コロナの関係でスタッフの健康を考慮し、ゴルゴ13が休載になるという記事を読んだ。

 ゴルゴ13いえば、わたしが子供のころ、高倉健の主演で映画になっていた。漫画が原作だと聞いたことはあるが、映像作品として記憶していたのみだ。連載がまだ終わっていないどころか、大昔からなので作者さんもすでに他界されているのではとすら(作者さま、ご無礼のほどを…!!)平気で考えていた。

 調べてみると1968年11月から連載を開始し、それから50年以上が経過したことになる。
 正直、驚いた。

 長い漫画といえば…

 細川智栄子の「王家の紋章」(1976年開始)は、最初の数年ほどはその存在に気づかず、遅れて追いかけたが、それでもせいぜい80年代までしか追っていなかった。数年前に人から聞いた話では、その当時まだつづいていたらしい。いまはどうなっているのだろう。

 

無料(または定額制)に、なびいてしまう

 よくないことだとは思うが、もはや反射的な行動である。
 興味のある本をAmazonのリストに入れておいても、その中のどれかが読み放題(月額制)にはいった途端、ほんとうに読みたいのがどれであるかではなく「いまならタダだから」と、それをダウンロードしてしまう。これでは、もしサービスを提供している会社に悪意があったら——世論を動かすために、ある傾向の本、ひいきの著者ばかりを無料にすれば、わたしはたちまち手中に落ちることだろう。

 雑誌も読み放題のサービス(楽天マガジン、ブック放題など)で読めるものが増えたので、書店で見かけても「うちで読めるものかもしれない」と、購入をためらってしまう。むろん「置く場所がない」という切実な思いがあるので、個別に料金を払っても電子書籍を優先したいところではあるが。

 この数ヶ月の自分が、定額制にかなり敏感になっているのは、間違いなく事実だ。

 こんな風にカネにしばられ、なんでも安くあげようとしてしまうと、そのツケを払う日が来るような気がする。
 そのツケとは、将来的に自分が何かを創造または生産しても、周囲から「お得じゃない」という目を向けられてしまいそうな、さみしい予感だ。そしてその予感は、わたし以外の「安くあげようとしている人たち」も含め、世の中の傾向となって、もしや社会全体の芸術や産業をむしばんでいくことになりはしまいかという悲しい連想へと、つながっていく。

Amazonのkindle Unlimitedに思う

 Kindle Unlimitedは月額制。思いがけないものが画面でおすすめ表示されることがあり、しかもそれがその瞬間は無料なので(その後に定価になる場合もある)、とりあえずはダウンロードして、冒頭を読んでみてから、キープなのか手放すのかを考える。

 おおむねお得感はあるのだが、たまに「○○社の商品ばかり今月は安いな」などなど、気になってしまうことがあり、似た内容で出ている他出版社の本を別料金ダウンロードにするか、定額内のダウンロードでとりあえず読んでみるかと迷うことになる。自分でも情けないとは思うのだが、やはり節約が頭をよぎってしまう。

 以前は周囲に「テレビ欄と特売のチラシがわかればいいから、家では安い新聞をとる」と豪語している友達が複数いたものだったが、あの危険性は、当時はさほど気づかなかった。だが、やはりみょうな新聞を毎日毎日見ていたら、影響を受けてしまわないだろうかと、いまは心配だ。

 Kindle Unlimitedも、できるだけ、料金のことを考えずに中身で本を選ぶようにしたいとは、思っているのだが…。どうなることやら。

吉祥寺のシャポールージュ跡地に、個性的な古本屋

 吉祥寺のZARA近くに、棚単位で個人に貸し出す古本屋(月額使用料のほか、その棚から本が売れたら手数料を取る仕組み)ができたと聞いた。なぜだかすぐに「昔アーノルドドーナツがあったところか」と、当てずっぽうに答えてから検索してみると、その隣の、わたしがよく食事に出ていたシャポールージュ(旧店名バンビ)の跡地だった。
 当時の外観もそのままに、内側を改装して、本のあるフロア、喫茶やワークショップなどのフロアを作ったらしい。これはさっそく出かけてみなければ。

 仕掛けたのは隣接区域にすでに無人古本屋を開設していた個人の男性、中西さんであるとのこと。インタビュー記事はこちら → 2019.07.17 無人古本屋さん、今度は吉祥寺に「ブックマンション」をつくる

 今回の吉祥寺「ブックマンション」のオープンに際し、クラウドファンディングで資金を募ったそうだ。気づいていたら参加したかった。というか、いまからでも本の棚のレンタル枠が空くことがあれば、ぜひ参加したい。食べ物の本ならば売るほどあるし、それ以外もあれやこれやと、たくさんある。

文章の「オチ」を予測しながら読む

 今日のことだが、アイルランドの新聞The Irish Timesにあった記事を読んでいた。通常ならば英語の新聞で読むのは事件や政治経済などの欄が中心だが、たまたまFacebookで、生活欄にあった記事が紹介されていたのだ。

 長い文章だが、Paddy Mcmahon(パディ・マクマホン)という男性について書いてあった。その人は、あるとき霊感のようなものが強まって、周囲で声が聞こえてたいへんな目に遭ったのだそうだ。数か月かけてようやくそれを聞こえないように制御したものの、落ちついて考えてみると言われている内容が思慮深かったり的確だったりしたので、メモをとることにした。そうこうするうちに本を書いたりスピリチュアルな相談に応じるようになったとのこと。

 で、あまりに長いし、読んでいる途中で「そのおじさんが本でも書いて、その内容にこんなのがあって、霊感を信じるかどうかはともかく、これこれは印象深かったなどのオチだろう」と勝手に想像した。
 だがパディさんの描写や、別のスピリチュアルな方々との出会いが登場し、さらには氏がどれほど周囲に献身的にアドバイスをしてきたかなど、先が読めなくなってきた。いくら生活欄とはいっても新聞であるから、スピリチュアル礼賛という終わり方はしないはずだと、我慢して読みつづけると…

 なんと、わたしのような読者のために「事実に基づいたことを書く新聞という場所で結論めいた表現をするのはとても難しいが…」という言葉が。嫌な予感。
 どうも、その男性が3月に亡くなったので、半生をまとめてみたという話だったらしい。

 いや〜、新聞でそういうこと長文で書くか?
 10分以上を読んでしまって、唖然とした。

 たとえば、具体例をあげて申し訳ないが、一般向けのテレビに出てお茶の間でも人気があった、霊能者の宜保愛子氏が亡くなったときのことを考えてみよう。一般の新聞が氏の半生や著書について、ほかのスピリチュアルな方々との話も交えて長文を書いただろうか…おそらくそれはないだろう。週刊誌ですら、それほど書かなかったと記憶している。

 一般紙でそれはないだろうと思っていたからこそ、オチを求めてぜんぶ読んでしまったのだが、う〜む、これは意外だった。アイリッシュ・タイムズは歴史ある新聞だが、今後も、ちょっと注意しつつ読んでみよう。

 念のため補足:
 わたしは宜保愛子氏の出ていた番組はよく見ていた。話術の巧みな人で、個人的には好きだった。人を不安にさせて壺を売ったりしなかったし、これこれこうすると生活が上向くような話が多かったように記憶しており、そういう意味ではいい人だったと思う。