100万円を超える支援金と、物品での差し入れ

 安倍元首相を殺害したとして現在は鑑定留置中の身である山上徹也容疑者に、現金や物品の差し入れがあるという。現金の額は100万円を超えるのだそうだ → 2022.09.08 jiji.com 山上容疑者に支援金100万円超 事件正当化に識者警鐘―安倍氏銃撃2カ月

 殺害を実行に移す以前に、長年たいへんな家庭環境にあったというのはネット記事等で目にしているが、現在の本人にそういう支援をするという発想は、わたしにはない。そして正直なところ、意図もよくわからない。

 本人は現在のところ現金をもらっても、使い道がない。日用品や食品を買うことはできるかもしれないが、先のことがまだわからない状態である。ねんのために鑑定はしているが、責任能力なしという判断にはおそらくならないと思われる。そのあとで通常の裁判をすれば、裁判も長いだろうが、その後もしばらく出てこられない。なぜ現金を、と思う次第である。

(たまたま合計額が100万円を超えただけで、ひとりひとりは少額を送ってきたという可能性も、あるかもしれないが)

 留置施設は狭いので、送られてきたものは弁護士を通じて親族宅に転送しているとも聞く。

 宗教団体のことで苦労をした人が他人事とは思えずに何かしたいと思ってのことかもしれないし、まったく違う理由かもしれないが、もしこれまでの人生に同情したということであるならば、被害者支援をしている団体等への寄付もまた、検討してはいかがだろうか。

洪水でパキスタン国土の1/3が浸水

 8月末ころからパキスタンの洪水の話はネットで何度か目にしていたが、国土の1/3が浸水という衝撃的な表現を目にするまでは、自分の内部で緊迫感がともなっていなかった。このところわたしの頭の中は「国葬反対」、旧統一教会と政治家の話題で満たされ、その一部に「なぜこの国は歌舞伎役者に甘いのか」が割りこんでいたのだが、これはただ事ではない。

 2022.09.04 毎日新聞 パキスタン、洪水で1290人死亡 「国土の3分の1」が浸水

 さっそく少額ながらもTポイントで寄付できるサイトを利用して支援をしたが、この「具体的な数字を書いてもらうまで何も見えていない」現象は、どう考えたらいいのだろう。これはわたし個人の話ではなく、英語メディアでも「アジアのことだからといって無関心になっていないだろうか」という記事を目にしたので(URLは失念してしまったが、思い出したら記載予定)、ほかにも同じように「これから衝撃を受ける」人がいるかもしれない。

 国土の1/3が浸水。これでは、日常生活がおぼつかない。

コロナ禍と統一教会関連話題にまぎれて

 …さらっと内閣改造がおこなわれた。さらっとである。(2022.08.10 首相官邸のサイトで閣僚のみなさんの集合写真
 いまやることかと思う。やるのならば「統一教会がらみのスキャンダルがまったくない人を閣僚に選びました、ほんとにとんでもない話ですね、今後も与党として統一教会とはきっぱり手を切ります」とでも言ってもらいたかったが、岸田首相が発したのは「自分は関係していなかったです(し、自民党全体としても関係していません)」のみ。もっと具体的なことを言えないのか。

 新型コロナは8月になってから過去最高の陽性者数(発覚し保健所に連絡がいった数)を更新する日が何度もあり、以前は重症化しないとの話も聞かれた子供や年少者も含めて、重症者が増えこそすれ減っていない。お盆の移動シーズンにも何も手を打たず、内閣改造である。お盆が近づいて陽性者の前週比が減りつつあるが、これがほんとうに「減っている」のかどうか。
 もしや、お盆が終わって大勢が都市部にもどったとき、受診や検査を控えて往復した人がいた(あるいは大事をとってどこにも行かず家から動かなかった人もいた)可能性もゼロではない。お盆のあとで検査や医療機関へ駆け込む人がいるかどうか、それがわかるまで、ピークアウトしたのではと想像するのは希望的観測すぎる。

 7月末には、救急隊員が高齢者の家に到着し、100件以上の電話をかけても搬送先が見つけられなかった件が広く報道された。男性は在宅のまま亡くなった。

 2年半もあって、政府は何をしているのか。
 それに対して、もっと怒ってはいけないのか。

新型コロナ感染者数の増加で

 2020年の段階からずっと、新型コロナをインフルエンザ並みの扱いにしたら医療が逼迫せずに済むという意見がある。最終的にはそういうのが理想ではあると、多くの人が思っていることだろう。わたしも(最終的には)そうなるのだろうと考えてきたが——いまの状況では無理だろう。

 もっと一般の人にアクセスしやすい距離に薬があり(←受診可能な医療、入手手続きの両方の意味での「距離」が近い)、軽症者はすぐにそれらを一般的なクリニックや薬局で手に入れられる…という状況が整ってからでないと、現状で放り出されたら、知識、コネ、カネのある人のみが有利になり、情報入手が困難な人、自分の足で動き回れない人が、とことん不利になる。

 一般の人(とくに軽症者)が日常的なクリニックで相談し、必要に応じて薬が処方されたら、重症者向けの医療にもう少しの余裕ができるはずだ。だから一日も早く、まずは内服薬の手配を充実させるべきではないかと考える。

「美しすぎる○○」という表現があった

 いまも言われているのかどうかは不明だが、かつて青森県で「美しすぎる市議」という言葉が生まれた。類似表現も生まれた気がする。最近の傾向はどうなのか不明だが…いまもこういう表現はあるのだろうか。

 テレビをほとんど見なくなったいま、あらためて思うに、非常に失礼な表現ではないか。

 市議というのは公職である。人に選ばれて議員になった人だ。
 議員の職にあっても、自分から望んでタレント的な活動をしている人もいるかもしれないが、その青森県の市議が騒がれた際には、別にご本人はタレントではなかった。なにかで市議会が話題になったときに、容姿が美しいためにメディアでの露出度が増えたのだと記憶している。

 公職の立場に容姿は関係ない。いや、あえていうならどの職業にも容姿は関係ない。たとえば人と接する職種(大企業の受付業務など)では、うつむいて考えこんでしまう人よりも、テキパキと相手の顔を見て応対する人を配置する判断があるだろうが、それも別に「美しいかどうか」で判断されるべきではない。

 どんな職についていれば、「美しすぎる」ことがないのだろうか。そういうことをひとつひとつ考えて自分で潰していくことで、無意識に人を判断してしまうことへの戒めになると思う。

ヴォルデモートな話

 かつての統一教会(現在は通称として使われる)が記者会見を開くと発表してのち、それでもなお大手メディアは「宗教団体」などの表現を使用して、その名称を使わずにいた。記者会見ののちにようやく現在の正式名称と過去の名称を併記で報道を開始。なぜなら先方が大手メディアのみ記者会見に招待したためで、それを報道せずに無視する選択肢はなかったのだ。

 会見直前までの(匿名での)流れを見ていたTwitterの人々は「あれはヴォルデモートだったのか」、「名前を書くと何かあるのか」と、奇異な目で見ると同時に、嘲笑していた。ヴォルデモートとは、ハリー・ポッターのシリーズで、名前を口にしただけで災いがあるように描かれていた登場人物である。

 おそらくこの摩訶不思議な現象は、日本の記者クラブ制度と関係があるのだろう。警察が発表した以外のことを勝手に書くと次回からつまはじきにされるから、はみ出すことができないのだ。以前から外国メディア等に笑われている(あきれられている)悪しき慣習であり制度で、警察がどこまで記者クラブに求めているかではなく、記者クラブ内で誰もはみ出さないように相互に牽制しているのかもしれない。

 外国メディアや、日本で100年以上の歴史を持つ英語メディアJapan Timesなどはこれに属していないため、書きたいことが書ける。だから今回は先に米国大手メディアWashington Postが先に旧統一教会の名前を出して記事にし、それを読んだ日本人らが狂喜した。やはり外国では書けるんだ、と。

 誰もはみ出さないようにという、このがんじがらめが長くつづく日本。ちょっとしたときに目にするこの「きつい」空気が、たまらなくつらい。

 なぜ統一教会の話がタブーに近い存在になっているのかといえば、政権与党(とくに安倍政権)とつながりがあると以前から目されているためだろう。自分たち(大手メディア)はそのことを掘り下げないまま長い年月が過ぎ、まったく知らなかったわけでもないだろうに、あたかも初めて聞いたかのような態度を取るのもどうかという迷いがあるのか。

 いずれにせよ、高名な人物(首相経験者)が殺害されたにしては、この落ちつきぶりはなんなのだろう。現在の世の中が乱れるよりはと、とりあえず落ちついた態度をとりたいのかもしれないが、その影で事実がつぎつぎにうやむやになる。大手メディアは、いま大きなものを目にしながら、それをどうしたらいいのか扱いに迷っている。

参院選の投票日

 いつも開票速報がはじまると同時に不機嫌になったり、いらいらするのだが、今回は事前に覚悟ができていたため気持ちが穏やかなまま、その時間を迎えることができた。

 安倍氏が殺害された件については新しい情報があり、容疑者は政治的な思想ではなく、みずからの家庭が壊れた原因と考える宗教団体(通称:統一教会)への恨みから、それを支援していると考えた安倍氏の殺害を計画した…という話があるそうである。これを受け、同団体は11日に会見を予定しているそうだ。
 この件は最初に奈良県警の発表で「ある特定の宗教団体」となっていたため、混乱が大きくなったように思う。週刊誌などがつついて書かなければ、曖昧なままの誤解がもう少し長い時間をかけて広がっていたのではないだろうか。

 今後はしばらく国政選挙がない。今回はもう少し(別の意味で)賑やかになるとよかったのだが——。もっとも、前回よりは投票率がよさそうだとの話も聞こえている。その次こそ、もっと大きな動きに。

 感想としては、自分が心配していた候補は当確が出たし、出つつある。東京では「山添拓さんが落ちたら嫌だな」という思いが強かったが、早い時間で当確が出ていてよかった。いろいろ応援したい人がいたが、自分には東京の票と政党の票しか入れられないので、考えに考えた。

 自民の当選者が多いのはいつもの通りだが、枠がひとつしかない県で自民が勝った場所が、以前より増えたのが気になる。なんとかならないものだろうか。この先もずっと自民が強すぎるのは、心配でならない。

日常のすぐ先にある、非日常

 最初に「安倍元首相が倒れた」というニュースは、NHKのワールドニュースが発信している英語記事の見出しで目にした。暑いから倒れてしまったんだなと、ねんのために日本語で検索したところ、襲われた、しかも銃撃だ——とわかった。

 信じられなかった。
 自分の周囲にあるいつもの空気と、パソコンの画面から伝わってくる空気はまったく異なり、だがそれでもすぐそこにあった。

 わたしが記事を知ったのは、氏がすでに病院に運ばれた直後だったようだ。街頭演説という衆人環視であったことから、出血があって心肺停止との話もおそらく噂ではなく事実と考えるのにじゅうぶんで、おそるおそる事態を見守っていたが、夕方になって死亡が発表された。
 ご本人はもちろんだが、ご家族、周辺で当日も一緒に働いていたスタッフなど、たくさんの方々にとって、どれほどの驚きと悲しみであったことだろう。

 ご冥福を心からお祈りする。

 そして同時に、今後の世論や、目前となった参院選についても憂慮している。

 どんな人であれ理不尽に命を奪われてよい理由はない。
 だが安倍元首相には複数の疑惑があり、それらは今後もずっと、どれほど時間がかかっても検証されていかねばならない。だが今回の衝撃が大きすぎてその追及が立ち消えになってしまったり、あるいはご家族への配慮による沈黙が長引けば、いつのまにか存在が美化されてしまう(神格化されてしまう)懸念もある。

 今回の件に関してはとくにテレビで情報を得ないようにしたが、局によっては倒れている姿を何度もくり返して画面に出すところもあったそうだ。1〜2時間おきに自分からネットで情報を検索して読むようにしていたわたしでも、個人の意見や想像のようなものがたくさん画面に雪崩れこんできて、気持ちが落ちつかなくなった。

 逮捕された容疑者がどんな人物か、どんな理由で今回の蛮行を計画したのか、それを推察して伝えるメディアや、個人の意見などが、今後もしばらくはあふれることだろう。

 だが肝心なのは、今回の衝撃のあまりに恐怖に駆られて、大きな話に飛びつかないことだ。街頭演説をどう安全におこなうかの検討、不審な人物がいないかどうかの警戒は急がれることだろうが、ひとつひとつ危険の種を潰していくしかない。万能薬のような、安心できるものを求めることは、全体主義への一歩である。

選挙の事前予想的な報道

 投票率がただでさえ低いというのに、事前に「○○党が倍増の予想」などと書く大手メディアがあることに、いらいらしている。予想を事前に書きすぎれば(あるいは書く必要があるかどうかも疑わしいが)、何割かの人は影響を受け、「自分ひとりが□□党に入れても、もう関係ないんだ」と、投票率が下がりかねない。

 行き過ぎた事前予想の発表は、誘導にはならないのか?
 節度ある報道を、いまさらながらだが、メディアに望みたい。

左車線からの追い越し

 横断歩道で通行人のため一時停止してくれる車は少ないが(東京の住宅街でも少なく、停まってもらうと恐縮して会釈してしまうレベルである)、最近どこぞの有名企業のマークを付けた車が、歩行者のため一時停止している車の左側から追い越し、つづいて他の車も「よっしゃーっ」とばかりに追い抜き、最後に歩行者が最初の車に挨拶をしながら横断するという動画が話題になった。

 運転免許試験の教本を読んだことがあるレベルで運転できないわたしが書くのもどうかと思うが、左車線からの追い越しは違反ということは、ぼんやりわかっている。だがその動画を見るかぎり、追い越している場所が「車線にすら見えない」のだ——もしやこれ、路側帯とか、なんらかの、道ではない部分ではないだろうか。

 アイリスオーヤマがなにかを謝っているということがわかったので動画を探したが、見てみるまで意味がわからなかった。見るまでは、とても広い道に信号機がなくて、なぜか右車線にいた運転者が自主的に停まっていたところを左から追い越した——のかなと思ったが、事情が違った。

 けっこう田舎の道って、歩行者にとっては怖いんだなぁ…。東京もだが。