TBSの報道特集: オリンピックで1日あたり数千食の弁当を廃棄

 夕方のことだが、テレビを見ていた家族が早足でやってきた。TBSの報道特集で、国立競技場のボランティア分の弁当が大量に廃棄になっている話をレポートしているという。

 わたしは番組に間に合わなかったが、Twitterでだいぶ話題になっているようなので、ひとつをご紹介。

 これは、ひどい。

 無観客の方針になったためボランティアの仕事がなくなり、自宅待機で連絡待ちの人が増えたというのは、何らかの策を検討する余裕があるタイミングで、話題になっていたことだ。もし契約上の問題で弁当が断れないならば、食べるもののない別の場所に配分するなり、何らかの手段は講じられるだけの日数があった。それを、何もせずに廃棄していたということか。

 実はオリンピックの話題を見たくなくて、普段以上にテレビを見ずに過ごしている。開会式はまったく見なかったし、今後も偶然に目にはいってしまうことがないならば、見ずに済ませようと考えている。

 この弁当の話は、ぜったいに忘れない。
 話題になった以上は、明日からは廃棄せずに策を講じてもらいたい。1食も捨てずに、なんとかしろと思う。

今回の「オリンピック」で、浮き彫りになったもの

 誘致が決まった段階から「せめて10月くらいに変更しなければ、観客や選手の体調不良や、(へたをすれば熱中症で)死者がでる」と指摘されても、組織委員会や政府はアメリカのスポンサー重視のため期日の延期希望すら出さず、その後に何度の不祥事があっても、誰も自ら進んで責任はとらず、昨今のように自分たちの人選ミスに言い訳だけは徹底し、利益があると考える相手には相変わらず忖度する——こんなことだらけの、オリンピックにはうんざりである。

 なかでも、もう絶望的だと思わされたのが、今日だ。オリンピックとは無関係となり役職についていない森元首相が、無観客のはずのソフトボールの試合を観戦したという。2021.07.22 東京新聞 → 森元首相、どんな権限で五輪観戦?ソフトボール無観客試合
 東京五輪・パラリンピック組織委員会の橋本聖子現会長は、前会長の森氏がなぜ観戦したか、いかなる理由と入場手段(関係者用のパスはもらえないはず)でそれが可能だったかに、答えなかった。

 説明する必要がないということなのだろう。
 それで、通ると思っているのだ。
 これを許すわけにはいかない。限度がある。これをさらに追及せねば、この先またいかなることにおいても「特例については、報道陣や一般人にはすべてを話す必要がない」という悪しき前例として、塗り重ねられていくことになる。すでにして、悪しき前例だらけではないか。いい加減にしないか。

 無理やり作られようとしてる「感動」などというもので、人は元気にはならない。逆に、こうしてひとつひとつの事例で麻痺させられていく一般人の心は、この先ずっと停滞していく。希望などない。この先にあるのは民主主義ではなくて「オカミの考え次第」なのだろうと、何度も何度も、泥沼に足をとられていく気分だ。

 怒りすら、無気力に感じさせるほどの横暴。
 このところ何年もずっとおかしいことがまかり通ってきたが、民主主義が力を取りもどすためにも、見えていないふりをするわけにはいかない。

訪れている国の名前を間違える

 何かと話題に事欠かないIOCのバッハ氏だが、日本に滞在中でありながら、日本と中国を混乱したようである。東京五輪・パラリンピック組織委員会の橋本聖子会長を表敬訪問し、チャイニーズピープルの安全をと言ってしまってから、ジャパニーズピープルと言い直したのだそうだ。

 アジアの地名に親しんでいない方々は、悪気のあるなしにかかわらず、よく間違える。これは事実だ。わたしの知人にもいる。そしてわたしも日本人でありながら、前もって何秒か考えないと、島根と鳥取の位置関係を間違えそうになる。つまり、誰にでも多少はあることだろう。

 だが、よりによって滞在中の国で、しかも重大な場面であるのだから、今回は話が異なる。
 ここぞという肝心なところで間違えるとは、緊張感があまりない状態ということかもしれない。

 バッハ氏はオリンピックの特例で3日間のホテル内自主隔離で済んだが(普通の人には自主隔離14日間というのが、まだつづいているはず)、そのあともせめて最小限の行動をとるのかと思えば、広島を訪問したがっているそうだ。当然のこと、氏がひとりで行くわけではない。お供や報道陣などの大移動になるだろうし、現地もまた混雑するはずだ。

 不要不急の移動は避けるようにと1年以上も前から耳タコ状態で疲れきっている一般民には、田舎に帰省してよいものかどうか判断に迷う人もいる。だが外国から入国して2週間以内に東京から広島への大移動。ご自身への反対運動がまったく通訳されていないとは思えないので、おそらく周囲からの声は気にかけない人なのだろう。

 わたしは東京オリンピックについて、誘致が決まる前から反対だったが、やると決まった以上は積極的には反対しないと決めていた。だが延期が決まった去年から最近まで、機会があれば、開催反対の署名に協力している。

 いまからでも、開催をやめてもらいたい。

都議会議員選挙

 前々日だというのに、ときおり「あれ、日曜日は何の予定があったっけ」と思うほど、今回はよく忘れる。もちろん、選挙会場は徒歩数分だし、当日になれば最低でも日に数回は、投票に行こうと町内の放送が流れるのだから、行くことは間違いないが——それにしても盛り上がらない。

 オリンピックはマジでやるのか、やら。
 この国はワクチンの在庫確認やまともな配分の予測も立てられないのか、やら。
 そのくせ、飲食店がきちんと衛生管理をしているかどうか一般利用客に投稿してもらおうなどという悪知恵だけは思いつき、すぐさま実行に移す。

 あきれてしまう。
 都議会や、地方自治体など地元の生活に密着した立場の議員さんらは、国よりまともであるだろうと信じたいところだが、人がどんどん政治不信に陥っているのは、疑いのない事実だ。

 主権者の意見を尊重して、市民目線の政治をおこなう。それがそんなに難しいことなのだろうか。

無言電話をかける心理

 事件があると、容疑者の関係先(と思われる場所を含む)に、電話をかけるなどして嫌がらせをする人がいるという。間違っている場合にはより大きな問題だが、仮に正しい場所であったにせよ、いちいち電話をかける心理が、わたしにはよくわからない。
 今日わたしが読んだ記事は、小学生の列に車が突っ込んだ事件で運転手の関係先「と間違われた」会社が、無言を含む勘違い電話の被害にあっているという。

 なぜ、無言なのだろう。言いたいことがあれば言えばいいし、そうすれば自分が勘違いしているとの指摘を受けて、反省して謝ることもできる。だが無言では、何が目的なのかさっぱりわからない。怖がらせたい、気味悪く思わせたいという悪意ゆえか。すると抗議したいとの思いよりは、嫌がらせをしているとう自覚があることになる。

 誰もが文句を言っていそうな相手になら、自分だけではないのだから嫌がらせしてもかまわない、ということかもしれない。強そうに見える相手にはおとなしくして、弱そうならいじめに加担する——人として、やってはいけないことだ。

ベニグノ・アキノ氏のニュースに、どきり

 日本では歌舞伎など伝統芸能の面で「襲名」があるが、外国では親子(とくに父から息子)が同じ姓名を引き継ぐ場合がある。通称のレベルでは、姓名ののあとにシニア、ジュニアなどをつけて、親子であって同一人物ではないことを周囲にわかってもらうことが可能だし、姓名の変更システムが日本ほどガチガチに固まっていないアメリカでは、おそらくジュニアやシニアを正式に名前の一部としている人もいるのだろう。

 たとえばフランスの名著「三銃士」の作者「アレクサンドル・デュマ」の息子であり作家は、「アレクサンドル・デュマ・フィス」だが、フィスは息子という意味である。

 さて、今日は驚くことがあった。フィリピンのベニグノ・アキノ前大統領死去のニュースだが、最初にネットで見たとき「それって80年代にお亡くなりになっている人だ。しかも政治家ではあったが大統領ではなかった」と頭が混乱した。見なかったことにしようと思ったら、数時間後に家族が「ベニグノ・アキノが亡くなった」と、今度はすぐ近くで言った。
 いや、待て。ベニグノ・アキノは80年代に殺害されたはずだ。その死を悲しみ、悪政に我慢がならなくなった国民が、数年後にマラカニアン宮殿に大挙してマルコス夫妻を追い出すきっかけとなったのだ。

 そうだ。それはぜったいに記憶違いではない。その後に妻のコラソン・アキノが大統領になり…えっ、じゃあ、亡くなったベニグノ・アキノさんというのは、どういう血縁関係なのか!?

 …検索してみると、息子さんだったらしい。

 同じ名前だと気づいておらず、かなり混乱した。正式にはベニグノ・シメオン・コファンコ・アキノ3世という伯母前で、80年代に殺害された政治家の父は、正式には “ニノイ”ベニグノ・シメオン・アキノ・ジュニア(ニノイは通称)さんであるとのこと。

 東京に暮らしながら、高校時代まではさして関心が高くなかった時事問題に少しずつ親しむようになっていた時期と、テレビのニュースでベニグノ・アキノ氏暗殺(最初は暗殺とは断言されておらず、フィリピン政府としては空港職員を装った一部の人間による犯罪としていた)を知り、のちにマルコス政権が終わっていくまでの数年間は、ちょうど一致していた。
 わたしにとって、ニュースでもドラマでも自分ひとりでテレビのチャンネルを選べるようになった時期だ。そのころ関心を持った大きな時事問題ということで、ベニグノ・アキノ暗殺については、かなりの情報がいまも頭に残っている。

 だが、コラソン・アキノの時代から少しずつ関心が薄れてしまった。さらに、数年前まで大統領をしていたというベニグノ・アキノ3世については、名前が父親と同じだということも気づかずにいた。

 名前が同じ親と間違えて混乱するのは、わたしのように一部の人間かもしれないが、今後もこういうことは、起こるのだろう。

(ベニグノ・アキノ3世氏のご冥福をお祈りします)

ある行方不明事件のこと

 今日、あるきっかけで「失踪事件」という単語を検索していた。すると、日本の失踪事件を紹介したサイトがあった。見ているうちに「あれ、この事件はいつ解決したのか…?」と、驚いたのが、1996年に発生した坪野鉱泉の行方不明事件だ。テレビや活字でも話題になっていて、よく覚えていた。

 それは19歳女性ふたりが、夜に「肝試しに行く」と言い残して車で出かけ、車も本人たちも発見されないまま、20年以上が経過していた富山の事件である。坪野鉱泉に出かけた可能性が高いということで、坪野鉱泉の行方不明事件と、呼ばれてきた。それが2020年に、乗っていた車が富山湾の海中で発見され、車内には人骨があったという。

 文春オンライン 2020.04.11 心霊スポットに出掛けた“少女2人”が謎の失踪……伝説の廃墟・坪野鉱泉を巡る「神隠し事件」24年目の真実

 これがもし事実ならば、とても憤ろしい話だ。男3人が富山湾で駐車中の女性ふたりに声をかけた。それを疎ましく思ったか恐怖を感じたのかは不明だが、女性たちの車は後方に進んで、海に転落したという。それを誰も通報しなかったのだ。
 その証言の通りであるならば、すぐ救助を呼んでいればたすかったかもしれない。それをせずに20年以上も黙っているというのは、それ以上に何かあった(車が落ちた原因にもっと深く関わっていたか、そもそも話に虚飾が含まれていた)可能性も、捨てきれない。

 しかも、事情を知っていそうな男3人を特定してから話を引き出すまでに、県警がかけた時間というのが年単位で、あまりに長すぎる。

 これでは、見殺しにされた被害者は浮かばれない。ご家族もさぞ無念だろう。

訃報: 松山樹子氏

 98歳でいらしたという松山樹子氏。松山バレエ団の創設者で、日本のバレエ界の草分け的な存在だった。

 2021.05.22 朝日新聞 日本バレリーナの草分け松山樹子さん死去 松山バレエ団

 わたしがバレエを見ていた時期(80年代後半から90年代前半)は、松山バレエ団が自主公演を年に数回もおこなっていた黄金期だったのではないかと思われる。あのころ購入するパンフレットにはいつも松山氏と、夫であり同じく創設者の清水正夫氏のお姿があった。

 松山樹子氏の、ご冥福をお祈りします。

 

 

ヘビの行方不明事件といえば

 毎日たくさんの人が探しているという横浜市戸塚区のヘビだが、どうなるのだろう。ヘビの気持ちになってみると、なんとも哀れだ。日本に連れてこられて、狭いところで飼われて、逃げ出したら何十人体制(最初は10人だったらしいが)で、日々追いかけられている。どこにいるのだろう。

 住民の方はとても心配だろうし、わたしもまた自宅近くに大きな生き物がいると言われたら落ち着かない気分になるのだろうとは思うが——。ついつい、ヘビについても、気の毒だと考えてしまう。

 そういえば、1990年に青森のデパートで爬虫類展からいなくなったニシキヘビを、木村藤子さんという方が場所を言い当てて見つけたという話を聞いている。それまでは地元でのみ(占いや霊能力で)有名だった木村さんは、その後は全国的に知られるようになったのだそうだが…そのとき、ヘビはどこにいたのか。

 検索したら、いなくなった場所から近い駐車場にいたようだと書いている人がいた(これは「木村藤子 ヘビ どこにいた」で検索したら上のほうに出てきたので、よろしかったら検索を)。
 今回の件で、ネットでは「木村さんに聞けば」と書いている人もいるようだが、当時の木村さんの言葉は(書いてあることが実際にものであればだが)かなり常識的だ。「遠くには行っていない、車が動くと怖がって出てこない」というのは、人生経験のある人の推察としては、「あり」なのではないかと思う。

 やはり、今回のヘビも、「近い場所」にいるのではないかという気がする。警察や関係者が、元飼い主(現在は引っ越して別の爬虫類らも譲渡済み)の自宅のあった建物を、何度も捜索したというのは、かなり妥当と思われる。残念ながら発見には至っていないわけだが、動けば目立つ大きさであるため、近くにいるのではないだろうか。

 行方不明のヘビが早く見つかりますように。

生活必需品は、人によって違う

 25日からの緊急事態宣言では、東京都は大規模な場所(たとえば百貨店など)では食品と生活必需品以外の売り場を「休業要請」し、広くない場所(たとえば小売店など)では、同様の業種に「協力を依頼」するのだそうだ。

 だが、不思議なのは、こちら。読売新聞の記事によれば… 2021.04.24 → 「古書店」は対象で「書店」は対象外?…休業要請「線引きわかりにくい」

 混雑するしないで考えれば、どちらの店も空いている。あちこちの娯楽が利用できなくなれば書店が混雑する可能性も否めないが、それにしてもたかがしれている。その上、新刊を売る店と古書を売る店で休業のお願いを出すかどうかに差があるのは、納得がいかない。

 そもそも、生活必需品とは、なんなのだろう。なければ困るものは、人によって違う。線引きは難しいはずだ。
 まずもって肝心なこととして、できるだけ人々に自宅にいてほしいということであれば、最低限の食品や生活に直結する物資を、買い物弱者(たとえば高齢者のみの世帯)に、公的な機関からの依頼で配達ができるシステムを構築しておかないと、弱者はなおのこと不便になるばかりだ。だがどうも話の流れが、「好き勝手に歩きまわらせない、娯楽や楽しみはあきらめてもらいたい」といった、日々のうるおいを奪う方向でばかり検討されているように、感じられてならない。

 この1年、国や自治体、とくに東京のような大都市は、何をしてきたのだろう。何か少しでも対策で前進しただろうか。自粛をお願いしてもだめだった、だからもっと厳しく「要請」すると、そんなことのくり返しだ。現状について、一般人が悪いとでもいうのだろうか。

 昨夏にいったん落ちついたかに見えたコロナ禍が、初秋からぶり返す気配を見せたとき、GoToトラベルだGoToイートだとやっていた、そのツケが一般人をずっと圧迫しつづけている。そして最近はオリンピック聖火リレーだ。オリンピックのムードを盛り上げるために、緊急事態宣言を(首都圏で)取りやめてから、1ヶ月でこの騒ぎ。

 それなのに、オリンピックをやめるとは、政府も関係者も、誰も言わない。
 どうかしているとしか、思えない。