日曜は、地元の投票日

 選挙は、残念ながらほんとうに盛り上がらない。わたしのように国政選挙ならば熱くなる人間でも、今回の地元の選挙は、盛り上がっていない。

 その前までの区長がすごい人だった(←多選禁止を自分から言い出して、かなり強い言葉で周囲を牽制しておきながら、自分が再々立候補しようとして全国紙に載ってしまった!!)ので、現区長はその人物へのノーを突きつける形で出てきた人。思いっきり違うことをやってほしかったという人たちにしてみれば、独自カラーを出していないじゃないかという話にもなるのだろうが、対抗馬は、ひとりのみ。このふたりでイエスかノーか決めるのか、という話に。

 さらに、区長選の対抗馬は数日前まで区議だった人なのだが、同じ日に投票がおこなわれる区議補欠選挙のこともある。その人が抜けたのが今回の区長選の直前なので、もっと余裕をもって辞めておいてくれたら区議選の補欠選挙が一緒に出来たのにという意見もあるようだ(←もっとも、辞職が何週間前だったならば今回の補欠選が一緒に出来たのかという具体的な情報を、わたしは持ち合わせていない)。

 それにしても、今回はとくに、盛り上がっていない。

公務員の過失は、誰が穴埋めするのか

 亡き親が公務員だったし、義父母も公務員だった。公務員が真面目に仕事をしていることは承知している。

 だが、4630万円を間違えて振り込みした人は公務中の過失ということで、内部で叱責を受ける程度で済んだのであろういっぽうで、いくら使いっぷりが悪質とはいえ誤振込されたカネを使った男性は、実名公開で逮捕となった昨今の事件——それを誘発することとなった自治体の責任を考えると、釣り合いがとれないように思う。

 民事裁判の費用もまた、タダではない。もともと裕福ではなかったという今回の逮捕者に、民事裁判の費用まで含めた返済を求めるのは無理というものだ。

 公務員の過失は、通常はどういう方式で穴埋めされるものなのか、気になるところである。

不可解な事件: どちらが面倒か

 引っ越しのサカイで、本来なら社内でシュレッダー処理されるべき顧客データを、社員が自宅に持ち帰って一般ゴミに出していたという。共同の集積場にあって発見され、問題になったくらいだから、おそらくは目につきやすい量だった。1顧客あたり数ページ以上の分量がありそれが400人分以上ということだったならば、1回で家に持ち帰るのは難しく(電車通勤はもちろん、仮に車通勤であっても面倒そうな量だ)…数回に分けて持ち帰ったのではと考えてしまう。

 社内で少しずつシュレッダー処理したほうが、その持ち帰る手間を考えると、はるかに楽だったのではないだろうか。あるいは違反と知りつつも、自宅で内容を見る心づもりでもあったのか。それならデータとして持ち帰ったほうが楽なはずだ(←犯罪を推奨しているわけではないが、一般的感覚として)。

 そのあたりを、一般人に公表するしないはともかく、社内で徹底調査し情報を共有しておかないと、今回の件だけで済むとは思えない。

笑いと、嗤い

 Facebookには投稿に対してリアクションするボタンがいくつかある。そのうちのひとつが、big laugh (大笑い)の 😆 だ。

 おもしろい投稿、楽しい投稿にこれを使うのは、ごく自然にことであるが、最近「どう考えても真面目な話題」に、これを押す人が大勢いる。これでは、笑いではなく嗤いだ。意図からも、数からも、これは暴力になりうる。

 このところ連日報道されている俳優の元夫婦ジョニー・デップ氏、アンバー・ハード氏の裁判だ。かつて短い期間を結婚していたふたりは、離婚した。その後にアンバー・ハード氏がワシントンポスト紙の記事で、家庭内暴力の被害に遭ったと表現したために(誰によってとは書かれていないが)、直前まで結婚していた相手であるデップ氏が5000万ドルの損害賠償を求めて訴訟を起こし、それに対してハード氏が倍額で訴訟を起こして応戦している状況である。

 数日前までは、デップ氏が「こんなことをされた、精神的に不安定で暴力もあったし、こちらを苦しめていたのはハード氏」だ」と連日証言。つづいてハード氏が「これこれこんなことをされた」と証言を開始。どれも笑える内容などないのだが、これらが記事になるとFacebookでリアクションの欄に 😆 があふれる。
 デップ氏のファンらが中心ではないかと推測するが、ハード氏を映画「アクアマン」新作から降ろすようにオンラインで嘆願をしている人々もいる。その理由の一部には、離婚で手にした金額のうち多くを寄付すると言っていたにもかかわらず、さほどの額を寄付していないハード氏は信頼ができないというものも含まれているようだ。

 だが、名誉毀損の裁判で、しかもまだ進行中のことであるのに、ハード氏をおとしめるような流れがあっていいはずもない。しかも、寄付すると言っていた額より実際がまるで少ないというのが事実であっても、それは家庭内暴力があったかないかとは関係がない。切り離すことがたいせつだが、ネット上ではすっかり、😆 で嗤うことにした人が、増えているようだ。

 これは、数による暴力である。

ルペン氏の写真を見ていて

 フランスのマクロン現大統領と決選投票で争っているルペン氏だが、写真をじっと見ていて、そのうっすらと笑みの浮かんだ自信たっぷりの表情に「あー、この人、誰かに似ている」と、考えること5秒。

「あ、片山さつき氏か」

 似てませんかね、おふたり。

 ……と思ったら、すでにsokkuri.netにあった。マリーヌ・ルペンと片山さつきは、似ている?

 上記リンクに写真があるので、ぜひご確認を。

動画があっても客観的な状況説明にならないとは

 ほとんどの人がスマホを持ち歩き、何かあったら撮影しまくるこのご時世に、仮に動画が撮影されていても解釈の違いがあることが嫌というほどわかった。

 詳しくは「八王子駅 撮り鉄」で検索されたし。

 4月4日の昼過ぎに初めてネットでニュースを見たかぎりでは、4月2日にJR八王子駅のホームで、撮り鉄が撮影のため大勢で移動したため、よけようとして一般客が落ちたという話だった。

 ところが同日の夕方になると、落ちた人は自身も撮影のためにやってきていた撮り鉄で、救助されてまもなく帰ってしまったため状況がよくわからないという話になっていた。

 同じ駅で同じ時間帯に人が落ちるとは思えず、どちらのニュースで見た画像も同じ位置だったので、同じ人物のことなのだろう。動画を撮影してインタビューに答えていた人(別ホームから撮影)と、落ちる直前にカメラを構えていたという目撃証言があったこと、そしてJRによれば本人が自分で落下したと言ってから立ち去ったらしいことで、「動画があってもやはり解釈は慎重に」と、考えざるを得ない。

 ただ、この事件は4月2日で、テレ朝系メディアで報道がなされたのが4月4日である。二日もあったのだから、ちゃんと裏をとれなかったのだろうかとの思いがあるのだが、どうなのだろうか。

ある意味で「忠臣蔵」な、米アカデミー賞

 俳優ウィル・スミスがアカデミー賞の発表の場でプレゼンターを平手打ち。直後から「あーこれは忠臣蔵になるか」と思ったのだが、1日様子を見ていたかぎりでは、実際にそうなってきたようだ。

 きっかけを作った側(浅野内匠頭は吉良上野介に粗末に扱われていたという説がある)に、手を出した側が罰せられる。それを我慢できない家臣らが敵討ちに出る。そして討ち入りののち、赤穂浪士らは切腹を命じられる——というものだ。

 プレゼンターをしていたクリス・ロックというコメディアンがどういう人物か、アドリブであんなきわどいジョークを言うほどウィル・スミスと親しかったのか、あるいは逆に仲が悪かったのか、そのあたりはわからない。わざわざ本番で出す意義があったとも思えず、むしろリスクが高いと考えなかったのは残念だ。

 だが、カメラがクリス・ロックを向いているあいだに、ウィル・スミスの側には、大きな気持ちの変遷と葛藤があったものと想像する。ジョークの瞬間、ウィル・スミスはそれを周囲の流れに合わせて笑おうとしたように見えた。だが隣のジェイダ・ピンケット・スミスはまったく笑っていなかった。おそらく彼は妻の表情を見て、これは何か言っておかねばと思ったのだろう(←そのときカメラはクリス・ロックを向いていたので詳細は不明)。

 そして彼は言葉よりも、思いあまったのか、手を出してしまった。

 赤穂浪士の討ち入りを、主君の仇として吉良上野介を討ち取ったと喝采する描き方は古くからある。そういう描き方をするテレビ番組等を、わたしは子供のころから見てきた。だが、実際に浅野内匠頭と吉良上野介のあいだに何があったのか公的な資料が残っていない以上、切りつけた方を罰するのは、妥当なことのように思える。もし、吉良の側にも落ち度はあったはずなので罰せよと願うならば、吉良家への討ち入りではなく、それを問題としなかった側にこそ刃を向けるのが一般的な考え方だ。

 結果として「屋敷を大勢で夜間に襲い、相手の側は死傷者多数で自分たちは負傷数名のみ」というのは、異常な事件である。これをもてはやす描き方には、わたしは賛成できない。

 さて、今回の件で「クリス・ロックにも罰を」というご意見があるようだ。
 これはアカデミー賞側に言っていただきたい。

 またアカデミー賞側にも、ひと言。
 当日すぐに、その場で「授賞式をいったん中断します」などの対応がとれなかったことで、傷を大きくしているように感じる。あれは大事件である。世界中の人々が、とくに日本時間のように昼間だった地域では生中継で見ていたというのに、生放送で有名人が人を殴り、ののしりの言葉を叫んだことは、かなりの問題だ。あれでよく、いったん普通に授賞式を終えたものだと思ってしまう。せめてウィル・スミスの該当する賞だけでも「この賞の発表だけはのちほど」と言えなかったことは、ことの重大性よりも「予定を優先」させた人がいるということになり、今後の賞のあり方に疑問を投げかけ、禍根を残すことになるだろう。

成人年齢の引き下げ

 生まれてこの方「成人は二十歳(はたち)以降」が変わるという想像はしていなかったため、選挙権などではそれが特例のように考えてしまっていた。だがまもなく4月から、飲酒や喫煙など一部を除き、多くが「18歳から成人」という扱いになる。

 これまで「二十歳」と考えてきた人たちにとって、たとえば親族間の取り決めで「現在○○歳のこの子供が成人になったときに、これこれがおこなわれる…」と念書など交わしていた場合は、どういうことになるのだろうか。もめそうである。それにからんだ調停や裁判が、増えるかもしれない。

 今回の成人年齢引き下げは、国にとってはとれる税金が増えるというメリットがあるだろうが、対象年齢の方々(18歳、19歳、つい最近まで19歳で成人になったばかりの層)が大量に増えることで、当事者や周囲にとって、しばらくは戸惑いや混乱があるかと思う。

東電と経産省に見る危機管理

 関東地方(東電管内)の深刻な電力逼迫だが、1時間に1回程度「でんき予報」を見ていて、おや…と思ったことがある。

 まず午前11時から午後1時くらいまでのあいだ、電力の使用が上限を超えて103〜107%と表示されていたこと。数字の調整が間に合わずに仕方ない状況であったかとは思うが、供給能力の100%を超えて表示させるのは、意味が通らない(←夜になって正式に「実際には100%は超えていなかった」旨のコメントが経産省の資源エネルギー庁から出された)。

 また、午後3時くらいから、あきらかに「供給可能」の電力が大きく増えていたこと。どこかから借りたのだろう、ありがたいと思っていたものの、Twitter上でも、テレビ等をを通じた公式コメントでも「このままでは午後8時過ぎに大規模停電」と発表をくり返した。

 電力を借りたことをいちいち語っては誰も節電してくれなくなるという思いがあったのかもしれないが、それならば数字を公開している意味がない。電力は借りたけれどそれでも節電をしてくれと、言えばいいのだ。
 数字を見ている側は「なぜ借りた分を発表しない」と不審に思い、数字に整合性がとれずに不安に思う人は「節電の効果で余裕が出たのか、やはり一致団結は大事だ」と間違ったメッセージを受けとってしまう(←実際には供給可能の数字が増えていたので、残念ながら個々人の家庭における節電が功を奏したわけではない)。

 そして夜の8時になってようやく「大規模停電は回避」と発表があった。

 これは、どうなのだろう。待たされた5時間のあいだ、不信感が募った。回避できそうなことはあきらかなのに、大規模停電、大規模停電と、煽られている思いだった。

 節電できるところはしている家庭がほとんどで、あとは大口の商業ビルなどで照明の明るさを落としてくれと頼むくらいしか、できることはなかったはずだ。それなのに5時間ものあいだ、脅されつづけた気がしてしまう。

 もう少し、一般民を信じたらどうか。電力は借りたけれど綱渡りですと正直に言えばよいのに、煽ったことが、わたしにはどうしても、納得がいかない。

(貸してくれた電力会社さん、ありがとうございます。たすかりました)

「地下鉄サリン事件」から27年

 あれから27年になる。あちこちに活動拠点があった教団だが、わたしが当時よく利用していたJR高円寺駅の近くにも、そして現在では馴染みが深くなった西武線野方駅の近くにも関連する場所があった。事件の報道がなされるたびに、表向きは普通の顔をしながら、あの団体は地域社会に店や施設を持っていたのだと気づかされた。

 お亡くなりになった方や、後遺症に苦しんだ方を思うと、いまも胸が苦しい。人生にとって何でもなかったはずの普通の日にあんなことが起こるなど、ご本人たちやその周囲に、想像できたはずもない。 

 まだ後継団体が存続していることにも注意すると同時に、あれを過去にしてはいけないと、毎年きちんと事件について報道がなされるべきだと切に願う。事件後に生まれた人たちにも、知っていただきたい。