電気料金が大幅値上げ

 あまりのことに言葉がない。地域差があるものの、電気料金が4割くらい値上げになる場所もあるようだ。しかも数ヶ月後とか数年後ではなく、6月使用分からの話( → NHK: 2023.05.16 大手電力7社 6月の使用分から電気料金値上げの見通し)。

 エアコン代の節約として「窓を開けましょう」と官房長官が言ったのだそうだが、ヒートアイランド現象が改善どころかどんどんと加速し、街にかろうじてある街路樹や明治神宮の木々をばっさばっさと切り倒していこうという東京の現状を、なんだと思っているのだろうか。ここで窓を開けたら温風、熱風が直撃するんだということがわかっていない。ご自宅は高原の別荘地にでもあるのか。

 よいニュースがひとつもない。

 立憲民主党の代表は、連合の芳野会長との会談で「共産はずし」、「国民民主との歩み寄り」について語ったのだという。こんな代表は要らないので、立憲民主を枝野氏に返してご自分で好きな「ナンとか民主」を作っていただきたい。ゆずれないはずの野党共闘の理念や、枝野氏に思いを託して応援してきた大勢の人たちを、なんとも思っていないのだ。

 枝野氏ら旧執行部も、せっかく旧民主党の面々と何度も分離してそのたびに小所帯で仕切り直しをしてきたのに、そのたびにまた何度でも人数を増やしてしまうから、現代表のような人物にいいようにされてしまう。「ひさしを貸して母屋を取られる」典型例だ。いまは立憲民主を応援する気持ちになれずにいるが、かつてはほんとうに期待していた。

気になるニュース「いちごジャム」

 横浜駅で白の白いレジ袋の中に赤い液体のようなものが見えると通報があり、警察が調べたところ…(→ 2023.05.15 NHK JR横浜駅ホームに“袋入りの赤い不審物” 中身はいちごジャム

中身は瓶や袋などに入れられていない状態の「いちごジャム」

 これが、やたらと気になる。

 Twitterにあった写真を見たかぎりでは、よほど近づかないと中の赤さはわからないということなのかもしれないが、ただのレジ袋に見えた。

 容器が壊れてしまい、中味があふれてしまったので袋ごと捨てたつもりで、ホームに落としたのか。
 清潔なレジ袋であると自信があり、持ち帰って食べるつもりだったのか。
 あるいは瓶や袋にはいっていないといっても透明パウチで中が見えるいちごジャム製品だったのか。

 何事もなくてなによりだが、やはりこういうものは「勘違いだった」とか「何でもなかったからもう騒がない」ではなくて、きっちりと最後まで(事情がある場合は無理のない範囲で)報道してもらえないだろうかと思う。人が軽く考えるようになって誰も通報してくれなくなったら、それはそれで問題である。常に適度の緊張感が必要。あくまで適度な。

「ロケかな」と思うほど

 銀座でまだ日がある時間帯に覆面の強盗がはいった場面を、通りがかりの人が撮影しているのを見た。ガラス張りの店で、覆面姿で乱暴に店内を破壊している様子が見て取れるのだが、周辺を歩いている人は足を止めつつもまさか強盗とは思わなかったのだろう。「あ、なんだろ」と、きょとんとしている人がほとんどだった。

 その映像によれば、中の状況をどこまで理解していたのか(まさか正確に強盗とわかっていた上でだったのか!?)は不明なものの、正面のガラス戸を複数回にわたり閉めた女性がいた。ネットでは犯人を阻止しようとしたと書いている人がほとんどだったが、ほんとうにそうなのかは、わたしにはわからない。

(後日追加: 最下部)

 わたしが見て感じとった範囲では「何かコトが起こっているようだが、ひとまずドアを閉めておこう」という風にしか見えなかった。緊迫感がなく感じられた。もしやそのビルか店の関係者で、ただ通過することはできないが、いったいこれは何の騒ぎだろうと考えてのことだったのでは、と。強盗とわかっていたら、あんなに落ちついた態度がとれるだろうか。

 それにしても、警察が追いかけて、都内のさるマンション内にいた容疑者ら(報道によれば10代ばかり)4人を逮捕するまでに1時間もかからなかった。自分たちが逃げおおせると思っていたことに驚く。捕まっても10代のうちなら罪は軽くなるとでも考えたのか。だが強盗は重罪なので10代でもそれなりの覚悟が必要だ。
 浅知恵の実行犯らは小遣い稼ぎだったのだろうし、ブツを裁くことはできない。そそのかした人物にすぐ渡す必要があったはずだが、その人物が捕まったという報道はまだないので、当日に受けとらなくてもいいやというくらいの、適当でズボラな犯罪なのだろうか。下手な鉄砲も数打ちゃ当たる方式で、下っ端だけ捕まえさせてブツはあきらめるということなのかもしれない。犯罪に綿密な計画も真剣さも必要ない世の中になったということだから、あきれてしまう。

=== 2023.05.18 ===

 逃走を遅らせるためにドアを閉めたとご本人がおっしゃっていたことが判明。失礼いたしました。

偶然とはいえ、金曜日午後2時40分台に地震

 石川県の地震速報は午後2時42分だった。2011年3月11日の東日本大震災は金曜日で、午後2時46分。連想するものが多すぎて、しばらくは落ちつかない時間を過ごした。
 その後にネットでみなさんの情報を拝見していたかぎりでは、死亡や負傷などの被害が少なく済んでいるようだ。被害に遭われた方々にはお見舞いを申し上げるいっぽう、規模の割に少なめの被害で少しほっとしている。

 現地のみなさまには、ぜひ余震に気をつけつつ、安全にお過ごしいただきたい。

 それにしても、いまさらながら書くが地震の多い国である。大きな地震が起こり、少しずつ人々の暮らしが整いつつある状況で、また別の場所で次が起こる。関東直下の大型地震も以前から来ると言われてきたが、それでもなお多くのものが東京に集中してきている現状では、もはやそのときに何がどうなってしまうのか、一般人には予想が立てにくい。

 怖さや不安はもちろんある。だがまずは、ひとりでも多くの人間が生き残ることだ。
 自分もそのときどれくらいの年齢になっているかはわからないが、まずは着の身着のままでも逃げる、なんとか生き抜くということだけは、肝に銘じておきたい。

「子持ち様」という言葉を知った

 検索したところ数年以上前から掲示板などで使われているようだが、「子持ち様」という言葉を今日になって知った。きっかけはこちらの記事( → 2023.04.21更新 毎日新聞 スープストックトーキョーが離乳食を無料提供 SNSに心ない反応)。

 駅など人気のエリアで見かけたことがあるSoup Stock Tokyoだが、入店したことはない。安くはなさそうなのにそこそこ混雑していて、みなさんそんなにスープが好きなんだと思っていたが、どうやら独特の雰囲気(ひとりでも入店しやすく、おしゃれ)がその人気の大きな部分を担っていたのではと、関連記事を読んでいて考えた。

 いくつかの記事をネットで見てみたが…。

 同社の発表により、一部店舗で提供していた離乳食(無料)やキッズメニューをすべての店舗で導入すると知った利用者の方々が、子連れの人たちによる雰囲気の変化への懸念と同時に「無料」部分にも反応を示した。高めの価格設定でも店の空間とそこでの時間をともに買っていた方々にとっては(全員ではないが)、自分たちが落としてきた料金で繁盛してきた店が、その蓄積を従来客への感謝と還元ではなく他者の子供への無料提供につなげるのか…という悔しさになった可能性がある。

 それにしても「子持ち様」とは。子育てしている人がそんなに偉いですかといった思いがストレートに感じられる、強い言葉だ。
 自分とは違う人たちについて強い言葉を投げるのはめずらしいことではないが、今回のことに関して言えば、子育てをしている人たちが騒ぎを作ったわけではなく、店の方針でそうなったというだけである。普段から日常的に「子供が苦手」と感じてきた人もいるのだろうが、子育てをしている人たち全般への思いに話がずれていっては、何もよいことがない。

 どんな店でも、いつかは雰囲気は変わるしメニューも方針も変わる。
 自分に合わなくなったと考えたら、黙って退場してほかの店や場所を探すのが精神衛生上よいことである。これまでよいお店だった、もう利用しないかもしれないが、思い出はあるということで、次を探せばよいことである。

ダライ・ラマの衝撃

 英語で流れてきた記事を自分の読み間違いかと目を擦りながら2回チェックし、ネットでその映像を見た際には「ディープ・フェイクな映像ということはないんだろうな」とまで考え、CNNとBBC、そしてロイターまで確認してしまった。

 チベットの高名な宗教的指導者であり人望も厚く、お高くとまったところもなく世俗のことにも通じていそうで…と、素晴らしい人なのだろうと考えていたダライ・ラマ14世が、実は世界のどこにでもいるおっさんと同レベルだったとわかった瞬間である。動画はリンクしないのでネットで検索されたし。

 しかもTwitterでの言い訳が、いたずら心があるとか、わるふざけしてしまうことがあるといったもので、救いようがない。

 ネットでは、どういうわけかチベットの文化を代弁するような方々が現れ「あれは挨拶です」などと書いている例も見受けられるが、500歩譲って少年とのキスが挨拶であるとしても、相手に舌を出してsuck my tongue(舌を吸え)などという文化があってたまるかである。

 動画で周囲の笑い声が聞こえるのが、たまらなく気味が悪かった。

 相手が男児であることによる(一部の方々の)事態軽視、そして本人の公式アカウントが「悪ふざけ」的な言い訳で済まそうとしていることから考えて、根はほんとうに深い。

 日本に限らず政治はアホだらけ、そして宗教的指導者もそこらの俗人となると、この暗い世の中において、人の希望はいったいどこにとどまっていられるのだろう。ひとりひとりが胸に溜めてきたそれぞれの小さな憂いが、こういうことをきっかけに全体にかかる大きな黒い雲になる。

 ダライ・ラマについて別に詳しくもなく、ただなんとなくの好感をいだいていただけの人間でもこうして衝撃を受けているのだから、世の人々の心が簡単に晴れることはそうない。

ボートマッチとは

 統一地方選がはじまることもあって、ネットでニュースを読んでいると「ボートマッチ」という言葉を目にする機会が増えてきた。
 これは共通の質問を候補者にぶつけてその回答をデータにし、ネット上などで一般公開することだ。投票する側が同じ質問を読んで「自分と近い候補者」を探すことができる利点があるが、日本では民間の用意したサービスはあっても、公的なものはなかなか実現が難しいらしい。杉並区は導入を断念した。

 これを英語のスペルで書くと vote match (voteは投票、matchは一致だが、自然な英語ではない)であるが、カタカナで見るとまずはboatかと迷い、「手こぎボートの競技だろうか」と、違うものを連想してしまいがち。

 なかなか選挙の投票に、ひとりでも多くの人が参加することを祈っている。

マイナンバーカード包囲網

 マイナンバーカードは2年前の春に申請して4月か5月くらいから所持しているが、この2年で使ったことは、1回くらいだったように思う。

 先日ソニー銀行の口座を開設しようと思い、マイナンバーカードを指定された2方向から撮影し、つづいて自分の顔をその場で(指示された縮尺で画面を移動させながら)撮影して、撮影済みではなくその場での撮影と認めてもらったところ、まもなく口座が開設され、デビットカード付きのキャッシュカードが送られてきた。

 ほかには、なにかで使っただろうか…。

 実はマイナンバーカードを取得した年に、それを入れたままの財布を落として1時間以内に交番に出かけたことがある。ところがマイナンバーカードに写真が添付してあっても、警察官もわたしもその写真とわたしを照合するという発想がなかった。

 警察官「自分の証明が(本人とわかればこれから返却する)財布にはいっているわけだから、ほかに証明がないですよね、どうやって証明…ま、いっかな〜落としてすぐだし、話も合っていて、申告してもらった中味も同じだし」
 …と返してもらったのだが、帰宅途中で「マスクを取って顔を見せればよかったのか」と気づいた。それくらい、意識としてあれは身分証明とは遠いものだった。取っておかないと何か不都合がありそうな予感が少しずつ芽生えていたのだが、その心配は約2年でとんでもなく重いものになってきている。

 もともとは、運転免許証を持っていないことで、わたしには「身分証明書」がないという焦りがあった。さらに何でもかんでも写真付き身分証明書をという話が聞かれるようになってきていた。これから高齢者に近づくのにいまさら運転免許は持てないし、府中のほうまで朝から出かけて試験を受けるのもたいへんである。どうしよう、どうしようと思ううち、マイナンバーカードを選ぶしかなかったのだ。

 だが、健康保険証まで廃止してマイナンバーカードに一本化するという話が出てくると、自分の決断で早めにマイナンバーカードを作ったわたしよりも、さらに困る人がたくさん出てくる。

 たとえば施設に入居している義母は、自分の名前すら言えるかどうかわからない、いつもうつろな目でぼんやりと日々を過ごしている状態だ。そんな人に、仮に写真撮影をしてマイナンバーカードを持てと手配を代行した場合でも、自分で所持や管理ができるはずもない。そして施設に預けるのは施設でも困るらしいので、作成しても置いておく場所がない。2024年秋以降に健康保険証が廃止になってマイナンバーカードに一本化されるのであれば、急な体調変化で医療機関のお世話になるのも、一苦労である。

 無事に機能している保険証を、何のために取り上げるのだろうか。
 マイナンバーカードの広範囲活用の流れを止めることはできないのかもしれないが、健康保険証だけでも、残してほしい。

戦地を訪れ「しゃもじ」を渡す

 あまりのことに、目の前に何が書かれているのか理解するのに時間がかかった。誰かがテレビで発したネタがTwitterで話題になっているのかと思ったほどだ——。日本の首相がウクライナのゼレンスキー大統領に、広島県のしゃもじに「必勝」と書いて持っていった件である。

 しゃもじを渡すなとか、どうせなら○○を持っていけとか、そういう発想すら浮かばないほどに、わたしはしばらく呆然としていた。おそらく「何かを持っていく」という行為、あるいは手土産を考えに考える人がいるというのが、わたしには想像の範囲外だったのだろう。

 たとえば甚大な災害の現場で物資や労力を提供する、あるいは政情不安で治安が大きく悪化している場所を訪れ情報を交換するのに、手土産のことを考える人はまずいない。相手がそれを見てどう思うかを考えたら、ましてや民芸品は出せない。

 これは、首相が図らずも連発してきた「異次元」の発想ではないだろうか。

BBC: J-POPの捕食者 秘められたスキャンダル

 BBCの番組で、ジャニー喜多川氏(故人)による少年らへの性加害に関して特集が組まれたと聞き、日本で見られる日を楽しみにしていた。ケーブルテレビや配信サービスと契約している人であれば、3月18日に1回、3月19日に3回の放送を見ることができた( → BBC: J-POPの捕食者 秘められたスキャンダル)のだが、わたしはうっかり忘れていた。3月18日が終わるころになってからBBCの視聴方法を確認して、どうにか19日の再放送を録画予約することができた。

 氏は自身運営の事務所に所属する少年らへ、最初は労をねぎらうためと称してマッサージを通じて体に触れ、それ以上のことも、長年おこなってきたという。立場がよくなる、悪くなるといった含みを感じとった少年らはそれを表沙汰にすることなく我慢をしてきたし、愛情ゆえと感じた人もいた。

 それがなぜ刑事裁判になることもなく、被害に遭った当時の少年らの多くもまたことを荒だてず、マスコミは事件を追うどころか不気味なほどに沈黙を貫いている——そのあたりの謎が、番組の大きな柱だった。

 わたしも詳しくは知らなかったが、氏による性加害の存在そのものは、20年前にジャニーズ事務所が週刊文春を訴えた民事の裁判において、かえって大筋は事実と認定されてしまう結果となったそうだ。そのため、そのあたりは争いようのない話なのだが——判断能力も自分がされていることの理解もじゅうぶんではない子供たちに氏は何ということをしてきたのかという視点が、その後も社会全体からまったく感じられない。

 被害に遭った当時の少年ら(現在は20〜40代くらいかと推測)が、カメラの前でインタビューに答えた。体に触られたくらいだから自分はすごいことまではされていないと言う人、いろいろあったがジャニー氏は憎めないところがあったという人、もし自分が性行為を求められていたら、それで仕事をもらえるのなら応じていたかもと答える人もいて、驚かされた。だが同時に、これが若い/あるいは幼いうちから人をゆっくりと染めていく、グルーミングの典型なのだろうと実感できる。

 短期滞在でインタビュー等を集中しておこなった記者が、日本以外の人に見てもらう視点から「なぜこれが刑事事件にならないのか、なぜ誰も大きな問題と思わないのか」というストレートな疑問をぶつけていく。犯罪という認識が気迫な被害者らや街頭インタビューでは、それこそ「21世紀でもまだあるカルチャーショック」的な記者の表情が、何度も大写しになる。そのため、日本の社会にどっぷり浸かっている内側の人々には、なにやら「すごくかき回す人」といった印象に結びつきやすく(←日本はとかく「物腰やわらか」が好まれるため)、すぐには心に響きにくい内容であるかもしれない。

 ただ、これは「すごいこと」なのである。数十年にわたり、日本の誰もが知っているようなタレントを野津事務所の運営者が、子供たちに手を出していた、そしてこれが放置されてきたことは、異常でしかない。その認識をまず、できるだけ多くの人が共有しないと、いくら外部からの指摘があっても、前には進めない。

 実を結ぶまでに時間がかかるかもしれないが、記者は「引っかき回す人」ではなく、「引っかき回してくれた人」である。