「もらったものは返す」発想

 子供のころは、テレビも小説も大好きで、なにか「この話いいなー」と思うと、似たような感動を生むものが自分にも作れないかと文章をノートに書き殴ったが、書いていて自分でわかるくらいに元ネタが透けて見えた——つまり、何の話のどこのシーンがよかったから同じようなのが書きたいという狙いが、はっきりわかるほどの二番煎じだった。あとから思うと、恥ずかしいものが多かった。

 感動したら感動したままでもいいのだろうに、なぜ「こういうものを自分でも書きたい」と思いつづけてきたのかは、わからない。もらったものは返す、自分でも人に同じようなものをあげるという考えが、なぜかずっと染みついたまま育って、いまに至る。

 だが最近、自分は消費型の生活を送り、おもしろそうな軽いものを読んでは、そこで終わりにしている。同じようなものを作りたいという気持ちはわかず、あるいは気持ちがわかないで済むような軽いものを選んで読んでいるのかもしれないが(そういう発想はそれを書いた人たちに対して失礼かとも思うが)、自分が何かとても軽い存在になっているような気がしてしまうのだ。

 せめて感動したら「よかったですよ」と素直に本人に伝えられる性格であれば、同じようなものを作って誰かに見せようかと、まわりくどい方向で時間を使い、軽い挫折を味わいながら生きることもなかったのだろうが、どうもわたしは人づきあいが苦手である。