シュラスコか、チュラスコか

 例によってChirperの話だが、シュラスコ料理店を経営するミホさんという女性の説明文を書いていて、どうもうまくいかない。書いた英語をAIが日本語にする際、シュラスコの店(シュラスカリア)のほうはきちんとわたしの指定通りに「シュラスカリア」とカタカナにするのに、シュラスコをチュラスコと書くのだ。もちろんシュラスコも単語として指定している。それでもチュラスコと書く。

 何回やってもだめなので、何か解決策はないかと考えて文章を再確認していた。そして、シュラスコについて説明をもう少し書いたほうがいいだろうと、ブラジル発祥の豪快な肉料理で…と料理の説明で言葉を添えたところ、今度はわたしの指定した通りに「シュラスコ」に。

 狐につままれた気分だったが、Wikipediaによると、スペイン語圏ではチュラスコと発音されるものらしい。ブラジル発祥という表現を添えたことで、ブラジル風(ポルトガル語風)ならシュラスコだと、そう認識したということなのかもしれない。
 なお、言葉の指定はシュラスコ以外ではほぼ問題がなく認識されていたので、書き方が悪かった可能性は低いと思われる。

「大丈夫」ではない件、ふたたび

 以前にある商業施設のエスカレータで、のぼり方向から(リュックの重さでバランスを崩し?)うしろに倒れて頭部が下になった高齢女性の話を書いたが、あのとき驚いたのが助けるため駆け寄った人に「大丈夫です」と答えたことだった。とっさに口から出てしまう事例は知っているが、あれほどどう見ても大丈夫ではない場合にも出てしまうというのは、正直驚いた。

 ところが、つい先日。

 近所の公園近くで、周辺の路上にある落ち葉を集め、ゴミと一緒に拾っていた女性がいた。わたしはその近くを通過中だったのだが、その女性とわたしたちのあいだの路上に、なぜか公園の石垣から道に向けて元気よく飛び出してきた男の子が、文字通り「落ちて」きた。段差を見誤ったのか着地に失敗し、すぐ立ち上がろうとしたものの、かなり痛そうである。

 その女性が何度も「大丈夫なの、怪我していないの」と尋ねたが、大丈夫っすの一点張り。近くで友達らしき男の子たちの声がしていて、その子供も話が大きくならないうちに友達と合流したがっているのはその視線でわかったのだが、どうも(当たり前だが)痛くてすぐには動けないらしい。だが女性はその場でゴミ拾いをしていた立場なので移動する理由はなく、目の前に少年がいる以上は、心配する視線を送るしかない。そして少年としても「大丈夫と答えたのだから、ほっといてくれないかなぁ」的な顔つきで、目を泳がせている。
 わたしたちの出る幕はなかったのでそのまま去ったが、やせ我慢をして友達と遊んでから帰宅し、その後に実は怪我をしていたとわかったら話がややこしくなるだろうなと、ちょっと考えてしまった。

 怪我をしていたら親に怒られるとか、あるいは友達から笑われるとでも思うのか、理由はさまざまかもしれないが——大丈夫でないかもしれないときは、遠慮なく騒いでもいいんだぞと、つくづくそう思う。

とくに出かけず

 タイミングを逸して出かけそびれた。このところ夕方の4時半までに出かけないと帰りが真っ暗で肌寒いため、もたもたしているとどこにも行けない。幸いなことに食品などはたくさんあるので、飲食物としては問題なし。
 気温が下がってきて、ちょっとしたことで体の節々が痛い。体中が凝っているのだろう。

Blueskyの招待コード

 さて、Blueskyの招待コードである。この半年ほど、片っ端からいろいろな知人に「Blueskyの招待コードがあるけれど」と声をかけたが、差し上げようとするわたしの意図が不明なのか、Blueskyというものの得体が知れないのか、あるいはわたしから招待コードをもらってそこでの関係ができることへの躊躇なのか、誰ももらってくださらなかった。というよりも、正面から断ってくる人すらおらず(必要なときに頼むと返事をしてくれた人を除き全員が完全スルー)、何かとんでもなく誤解されているような気持ちのまま消費されることもなく、家族用や自分の副アカウントとして少し使ったが、この数ヶ月でたまりにたまって10もあった。

 このたびやっとDiscord上の知人がもらってくれることになり、ひとつを差し上げたが、たちまちのうちにそのコードは補充されて、また合計で10になった。自分で2アカウント持っているがそれぞれに招待コードが5までもらえて、使えばまた補充されるらしい。

 それにしても知人のみなさんは、旧名Twitterの凋落(もとい意図的とも思える瓦解)とともに、沈んでいかれるおつもりなのか。ほかがあるとお考えかもしれないがInstagramもThreadsもFacebookも同一グループなので、そのあたりで遊んでいる人であれば予備の場所が必要であるはず。そういうことへの危機感はないのだろうか。ひとつのグループにだけ世話になりながらネット上にいることは、わたしにとっては恐怖である。

高円寺にもコメダ

 高円寺駅北口を出てすぐのところ(2016年まで24時間営業の紳士服「三並」があった場所)に、コメダができたらしい。そこは三並が店を閉じたあとで建て替えられ、1階にセブンイレブンがはいっていた時期もあったが、駅の近くとはいえあまり歩かない場所なのでコメダの開店準備をしていたことすら気づかなかった。

 ちなみに2016年の三並閉店の記事は、こちら。

高円寺北口すぐ「洋服の三並」が、閉店セール

 コメダは最近パン類だけでなくパスタのようなプレートもあるようで、どうせならライス系も置いてくれたらありがたいのだが、どうなのだろうか。

 これで、中野、高円寺、阿佐ヶ谷と、近隣のJR駅にすべてコメダがやってきたことになる。また、まだ入店していないが南口すぐのトリアノンの上にはドトールの系列で食べ物がけっこうある店ができたのだった。そちらも出かけてみたい。

メールは企業からの連絡で受信するが

 バウムクーヘンのサイトを10年以上前からやっていたおかげか(この数年はほとんど更新が減って申し訳ない)、年に数回バウムクーヘンが話題になる時期には、最近は使っていないメールアドレスに1日で100以上のスパムが舞いこむ。関連サイト上でのメルアド表記はすでに変えているが、10年以上前の記事やそのころにお渡しした名刺には昔のものが表示されているので、いちおうタイトルくらいは見えてからまとめ消ししているが、ほんとうにやっかいだ。

 メールは用件別に10以上を使っているものの、「主に楽天の買い物」、「家族のものを代理で買ったとき用」、「利用頻度の少ない通販サイトやAmazon用」、といった具合で分けているほかにスパムかどうかの判定を経て振り分けているため、あまり振り分けそのものへの苦労はない。内容が立派そうに見える文体でスパムフィルタを通り抜けてしまうことがあっても、該当しないメールアドレスに無関係な差出人のものがくれば、それが判断基準となるので問答無用で捨てることができる。

 ただ、量なのだ。気が滅入る。
 パソコンのほうでメールを見るのは1日ほんの数回。たいていはiPhoneで先に見る。スパムフォルダに溜まっていくてんこ盛りのその量に、気が滅入る。
 ほぼ間違いなくスパムしか来なくなったメールアドレスは、iPhoneで見ずにときおりパソコンで見ればいいのかもしれない。近いうちに決断しよう。

 知人らからメールが来ることも、ほぼなくなった、だいたいはSNSである。多くの人とはメッセンジャー、一部の人とはDiscordだが、こちらは緊急性のない用件が多くてほっとする。

 いつか、管理するアドレスそのものを、ざっくりと減らしてしまうのもいいかもしれない。

市販の食べ物は味が濃いが

 この半月ほど外出の機会が増えて、以前なら週に1回程度ネットスーパーで買っていたような惣菜や弁当類、すぐ食べられるものを口にする回数も増してきた。

 市販の惣菜や冷凍食品は、概ね味が濃い。だがまったく利用しないわけにもいかないので、わが家では1人前に相当するものを分け合って、それ以外の味が薄いものと一緒に食べることがある。たとえば冷凍の弁当があれば半分に分けて、家にあるロールパンや麺類を少しと、サラダなどのさっぱりしたものを足して食べるといった具合だ。

 そもそも年齢が高くなってきてからは、ひとり用として売られているものを食べると飽きることがあり、たとえばハーゲンダッツのアイスも1カップを分け合うし、ちょっとしたおやつ類もそうだ。ひとつ食べると考えただけで飽きてしまう。市販弁当も小さめサイズが残っているとほっとする。

 先週と今週はとくに弁当や出来合いのものを食べる機会が多い。気をつけたいと思う。

AIよ、そこを削るのか

 相変わらずChirperで遊んでいる。4月下旬くらいからだったと思うのでもう半年遊んでいることになる。いろいろなことに慣れてきて、AIについてもあまりたいしたことでは驚かなくなったつもりだが、今日は違った。

 日本語と英語でイベントを作ったのだが——

 その前にまずイベントについて説明しよう。イベントとはできたばかりの新機能である。「これこれこんな感じのことを語り合おう」と書いておくと、日に数回くらいログインしている人(または日々アクティブではないにせよちょうどそのタイミングでログインしている人)の作ったボットがそれに反応して集まり、指定された話題について語り合うのである。その時間はせいぜい30〜1時間程度がピークで、そのあとは話題にレスポンスすることはあるが熱心に語り合うということはない。

(わたしは日に少なくとも3回程度はChirper画面を見ているが、自分が見ていない時間帯でもボットがイベントに参加をすることがあるようなので、あまり厳密にイベント開始直後のログインでなくても、遊べるということではないかと想像する)

 で、イベントである。
 まずは日本語で「気持ちのよい朝、目覚めてカーテンを開けたら目の前に、なんと!!」という驚きがあったことにして、それは何だったのか、誰かに相談したいのか、あるいは自分が相談に乗ってあげたい人もいるだろうから、わいわい語ってくれと書いておいた。
(その後「カーテンを開けたら庭で忍者が修行をしていた」などの目撃談や相談が寄せられていた)

 日本語の分を作ったので、次に英語である。同じネタを英語のChirper向けに作ってみることにした。同じ日本語のままコピペしてイベント編集画面を英語の文字設定にしておけば翻訳してくれるのはわかっていたが、万が一にも誤訳をされたら困るからと、自分の知識と各種アプリを総動員して、完璧に英語にして設定。

 ……ところが、である。
 日本語の語りとしては欠かせない「気持ちのよい朝に目覚めてカーテンを」がぜんぶ除去されていた。「思ってもみなかったことがあって、あなたはおろおろしています」という英語に。

 思えば日本語でわたしが書いた通りの設定が通ったのは、AIが日本語をいったん英語で解釈しながらも「日本語ネイティブがそこそこ適切な文字数で何か書いたんだから、このままでいいだろう」という横着な発想でしかなかった可能性がある。
 実際に、こちらが個性的な日本語を使うと平凡な表現に書き換えられてしまうこともけっこうあることを思えば、今回の件で日本語がそのまま通ったのは「そこそこ普通に読めて長さもちょうどよい日本語だから直さないで通してやった」ということなのではないだろうか。だから英語になった途端「こことここの文章、いらないから短くしとこう」と、わたしがもっともイメージとして欠かせないと思っていた朝の描写が消されてしまったと、考えられないだろうか。

 気持ちのよい朝に、目覚めてカーテンを開け、そしてそのとき…!? というのは、気持ちの落差が手に取るようにわかって欠かせないものと思ったのだが、AIには関係がなかったのかもしれない。

区役所で、待たなかった

 ちょっとした用事で区役所に出かけたのだが、これまでの記憶ではまず希望の書類を申請するために手で紙に記入し、近くに立っている係員さんに見せるとその人がディスプレイを操作してくれて、○○窓口の前で待つと呼ばれますと言われ……その言われたあとで20分くらい待たされて、しかもそのあとに会計で10分以上待たされる、というのが定番だった。

 係の人に紙を見せると「○○番窓口へ行ってください」と言う。その後、その窓口はどこだろうかと目で番号を追っていると、窓口の人がわたしたちを見て手で合図をしていた。待ち時間ゼロというのは想定していなかったので「手を振っているよ」と家族に伝えたものの、通り過ぎようとしてしまうので「手を振っているよ」とふたたび伝え、窓口に出かけることになった。

 それからほんの数分で書類が出来て、会計窓口へもすぐ呼ばれ、合計で30分くらい待つつもりでいたのに拍子抜けをして、すぐさまその足で買い物に出かけた。

 本人に手で書かせるところは仕方ないのかもしれないが(書類の内容によっては事前に申請して受け取りに来るだけというのも可能らしい)、それ以外は区役所内でオンライン化が進んでいるのだろう。よいことである。

客も店も、それぞれ変わる

 何ヶ月か前に、有名なスープ屋さんチェーンが離乳食を全店舗で提供しはじめるという話題に、子供がいない店が心地よかったと考えた人々が残念がったと聞いた(←ここでは控えめに書いているが、怒っているコメントもけっこうあったらしい)。

 客も店も、つねに変わっていく。自分に合わないと思えば去って別の場所を探すしかない。客の方にしても自分の歩くルートが変わったり経済状態の変化で、それまでの店に行かなくなることはじゅうぶんに考えられる。店が努力したかどうかに関係なく、客は増えたり減ったりする。それぞれに事情があるのだ。

 わたしがイトーヨーカドーネットスーパーを減らしてほかの会社を利用しているのもそう。数ヶ月前までのイトーヨーカドーネットスーパーは素晴らしかった。だがわざわざ会社にメールをしたりはしない。ひとりの人間が「変化」について不満を言っても何も変わらないが、もしわたしのような人間が多ければ客単価や利用率が減る可能性があり、自分たちの変化にその原因があったのかを考えた企業が、そのとき何かを決断することになるだろう。

 こちらは、楽天でときどき買っていた店の話だが:
 人気商品は型落ちなど余ったものを適当に詰めて格安で販売する、日用品の福袋だった。洗剤や日用品が5個程度はいって約600円だった。その激安商品が、数週間前から予告をしていたとはいえ約1000円になったとき、レビュー欄が荒れた。

 かつて1000円前後で売られていた別の福袋商品と間違えたと堂々と書いている人もいたが、それはさすがに店に落ち度があるとは思えない。買ってみてがっかりしたので腹立ち紛れに勢いよく書いたのかもしれないが、値上がりそのものが許せないと読めるレビューが複数あったことには、なぜ注文したのかと読みながら考えさせられてしまった。

 平均して5品で約600円だったころ、そのうちのひとつだけで600円か700円する洗剤がはいっていたこともあったし、当時が安すぎたのは誰の目にも明らかだった。だから人気だったのだ。値上げ予告は数週間以上前からなされていて、注文時に間違えたのが買い手側である以上は、値上げについてどうこう書くべきではない。

 相手が悪くないのにレビュー欄が荒れるのは、見ていて気の毒になる。