ときどきあるのだが、ときどきすぎて忘れてしまい、毎回ドキリとする。
近所で飼い猫が行方不明になったとき、飼い主さんまたは代理の人が、深夜や早朝に郵便受けに手作りのチラシを入れにやってくるのだが——それがあまりにも時間外なので「げっ、なんだろ」と、何度も警戒してしまうのだ。
もし昼間に配りに来たらチラシお断りの家に怒鳴られるのではとか、なんらかの事情があるのかもしれない。ドキリとしてしまうのは事実だが、そうせざるを得ないご事情もあるのだろうし、連絡先の携帯電話番号などを書いていることでご本人らにもリスクはあるのだからそのあたりを含んで考えて、猫ちゃんのご無事を祈るしかない。
最近の都市部の住宅事情では難しいかもしれないが、数十年前の田舎では、猫は死期が近づくと家から離れてどこかに行ってしまうと、よく言われていた。年をとった猫がいなくなってどこかで死んでしまうのは、飼い主にとって悲しいことではあるが、実際にそうしていなくなった事例を何度も聞いていた。
もう20年以上前になるが、田舎の家で長生きしたシャム猫も、夜はひとりで過ごす専用の猫小屋(畳に換算して1枚分弱の物置スペース)があった。夕方まで母屋で遊ぶと、夜に母を見て「家に帰る」という顔をしていたのだが、最後の数日、母は猫をその猫小屋に帰さなかったと聞く。「朝になって迎えに行ったとき、ミミちゃん死んでたら嫌だから、ここにいて」と、なぜ連れ帰ってくれないのかと目で催促する猫に、何度も何度も、謝りながら自分の近くにいさせたという。そして看取った。
看取ったあとは「あれほど帰りたかった小屋だから、ごめんね、やっと帰れたね」と、そこにいつもの電気アンカのスイッチを入れて、1日眠らせたそうだ。
チラシを投函しにきた家の猫ちゃんが、無事であってほしいと思うのと同時に、そうしたお手製のチラシを見るたびに、20年以上前の猫のことを思い出す。