コストコ商品のネットスーパーSocToc開始

 杉並、中野、練馬の三区(すべての地域ではないかもしれないが、ほぼそのあたり)で、SocTocが開始になった。コストコのパンや食品が買えるとあって、以前から楽しみにしていたのだが…

 どうやら、わたしは先行登録をしたつもりで、メールアドレスを打ち間違えていたらしい。1000円分のクーポンがもらえるはずが、入手できなかった。

 先行登録時に、ちょっとおかしいとは思ったのだ。メールアドレスを入力し、おそらくそのあとで「受け付けました」とメールが来るものだったのだろうに、わたしはメルアドを打ち間違えていてそれが届かず。だが自分が打ち間違えたとはつゆほども思わなかったわたしは再度入力することもせずに「ずいぶんあっさりした先行登録画面だな」で、終わりにしてしまった。ねんのために確認しておけばよかったのだ。期間は1ヶ月近くもあったというのに、あとは開始を待つだけだと思いこんでいた。

 家族は無事に先行登録ができて1000円分のクーポンをもらったというので、一緒に画面を見ながら、いくつか注文をしてみることに。
 クロワッサン(通常は12個入り)、ロールパン(通常は36個入り)が半量でも販売されていたり、ちょっとした冷蔵の商品も取り扱っている。ただ、全体としてはやはりサイズが大きい。

 送料は440円だが、そのほかに手数料が2種類あり、合計で1500円近くかかってしまったとのこと。だが今回は1000円分のクーポンを使えたので、まずまずである。そうしょっちゅう利用するものでもないし、開始当日に注文ができたのは、話の種としてよいかと思う。

 公式の情報として、3月いっぱい誰でも使える(ただし1回)10%オフクーポンが配布されている。検索すればすぐに見つかるので、ご関心のある方はぜひ。

悪いことばかりではなかった、と思いたい…

 物価のこと、公共料金や税金の負担増や、マイナンバーカードごり押しのあまり健康保険証が廃止になるらしいとの流れで、日々がどうしても暗く感じられる。界隈でも飲食店が閉じてしまう事例が、例年の春よりも多いようだ。景気の悪化がかなり深刻ということに他ならない。

 この3年、とにかく暗い話題が多かった。いつおさまるとも思えない新型コロナのことで先行きが不透明で、あまり先の予定が立てづらかったことも人々の気持ちに影響している。わたしたちは、いまだにほとんど外食をしていないし、映画にもあまり出かけていない。

 ただ、ひとつだけ「運がよかった」と思えることがある。

 新型コロナが深刻な状況になりそうだというのは、2019年の暮れくらいから一般の人間も耳にするようになった。2020年の春には学校の一斉休校、そしてマスクやウェットティッシュといった衛生用品が店頭から消えて、数ヶ月のあいだ品薄になったことで、気持ちが不安定になった人も多いはずだ。

 わたしたちは2019年の夏から義母を特養に入れることができた。その数ヶ月前までに伝え聞いていた空き状況では、いつになるかもわからなかったのだ。長くデイサービスやショートステイで利用していた施設なので、候補者の中では優先してもらえたのだろうと想像する。それにしても、それはとてつもないチャンスだった。

 もしその入所が半年遅れていたら、もしかしたら、わたしたちはいま日々を無事に暮らしていなかったかもしれない。

 2020年からは各施設でデイサービスなどの通所が大きく制限され、利用できなかった人たちがいたと聞く。ショートステイもおそらく同様だったことだろう。もしまだ義母が特養に入れてもらえていない状態であの日々に突入していたら、わたしたちはおそらく倒れていた。
 毎日のように怒鳴り合って、いらついて、心が安まらず——どうなっていたかわからない。それに施設が利用できない状況がつづけば義母の体を拭いたり排泄の世話をしたりと、状況が悪化していたはずだ。コロナ前であってもそれが耐えられなくて、わたしたちが限界だったことに気づいた施設が順番を早くしてくれたのではないかと想像しているほどだ。見たからに、精神的な危険度が高い状態だったのではないだろうかと思う。

 生活は厳しい。暗い話が多い。だがわたしたちは2020年にいったん倒れていたかもしれないとだけは、忘れないようにしていたい。

「芸者」は関東、「芸妓」が京都

 芸者はおもに関東の言葉である。京都では「芸妓(げいぎ、げいこ)」だ。以前に映画「Sayuri」(原題 Memoir of a Geisha)で舞台が京都なのに芸者芸者と乱発したおかげもあってか、外国ではGeishaのイメージが定着。最近では日本人が書いていると思われる観光情報でさえ、京都であっても芸者という言葉が出てくる。

 今日になって目にした毎日新聞の英語版記事や、最近の他のメディアでも、外国人の目に触れる京都情報ではとりわけGeishaが多い。そう書けば人目につきやすいという考えかもしれないが——実際には違っているものなのだから、わざわざ日本国内から「誤解を補強」する情報発信を、しなくてもよいではないか。

ASAHIネットがIMAPに対応

 本年の1月以降にIMAP対応と聞いていたが、お知らせがまったく来ないまま2月に。いったいどうなっているのかとASAHIネットのトップページからIMAPというキーワードで検索したら、サービスがいつのまにか開始になっていた。( → ASAHIネット: IMAP受信機能

 さっそく申し込みし、1時間以内程度で確認メールが届いたので、それを見てから設定を開始。

 iPhoneのほうからはIMAPサーバのアカウントでメールにアクセスし、パソコンのほうでは従来の通りにPOPで読もうかと考えている。それならばこれまで通り、受信時にダウンロードしたメールは日時の新旧に関係なくパソコンに残る。受信後にある程度の日数が経ったものはサーバから消すという設定にしてあるので、メールサーバ上でも内容の整理になる。

 パソコン以外の端末からはIMAPを読むようにしておけば、そちらはサーバに残っているものだけを読むので古すぎるものは消えており、見た目もすっきりだ。

 iPhoneに最初からインストールされているメールクライアント「メール」は、popで設定したものをIMAPに変更することはできない仕様らしい。そこで新規に、受信サーバをIMAPとする以外は設定(パスワードやユーザ名)をそのままにアカウントを作成した。そしてそれが無事に動いたのを確認してから旧POPアカウントを消した。

福岡の老舗旅館: 大浴場の湯を入れ替えず

 年に2回入れ替えていたというのは、地域の条例が「週に1回」と定めている以上、入れ替えを怠るといった軽い表現ではなく、「入れ替えず」でよいかと思う。

 asahi.com 2023.02.24 大浴場のお湯換え、年2回だけ 塩素注入も怠る 福岡の老舗高級旅館

 運営会社は、のんきなことに「公表を控えさせていただく」というコメントを出したそうだが、これは集団で訴訟が起こってもおかしくないというのに、そんな言葉で済むと思っているのだろうか。

 不衛生なことにより体調不良になった人は、おそらく確実に存在する(発覚のきっかけとして、利用客がレジオネラ属菌により体調不良を起こしたという話もあるそうだ → 東京新聞 2023.02.24 福岡の老舗旅館、湯の交換年2回 レジオネラ菌検出、虚偽報告疑い)。それを考えれば
 ○ 実際に体調不良になった
 ○ せっかく利用した思い出を汚され、不衛生な設備利用で精神的に苦痛を受けた
 ○ せめて利用料金を返せ

 ……これくらいは、個別だろうと集団だろうと、言われることは想像に難くない。顧客あっての商売は初動がなにより大切であり、間違っても「公表を控えさせていただく」ではないのである。

思わず読みふける「#コオロギ食べない連合」

 Twitterに「コオロギ食べない連合」というタグができていた。読んでいてかなり共感できた。多くの人の意見に共通するものとしては…

○ 酪農、畜産をないがしろにして補助金も出さないのに、コオロギ養殖や関連事業賛同の会社には金をだすのか
○ あらゆる努力をしたあとで「やっぱり虫を食べないと食べるものがありません」というのならばともかく、努力していないではないか
○ ほんとうに安全なのか
○ ぜったいに無理。食べない。
○ これまで食糧難でも、コオロギに手を出したという人や地域の話を聞かない。かなり食に不向きなのでは。

 …といったところだ。

 わたしはコオロギを食べたくない。だが食べてみたい人が増えてくることがあるかもしれない。必ず今後も食品ラベルへの明記をしてもらいたいし、それに加えて、同意のない人への手土産や、不特定多数の人への試食で「クッキーいかがですか、コオロギはいってます」というのは、強く強く遠慮していただきたい。自分がよければ相手も大丈夫と思ってはいけないはずだ。

 実はこれまでもミドリムシ(ユーグレナ)でこの流れを危惧してきた。生理的に嫌であることは事実だが、それ以上に「主義として」今後も食べたくない。

のちに解決: 気づいたらVenturaになっていた

 MacのOSを近いうちにVenturaにしようとは思っていたのだが、アップグレードの手順を踏んだ記憶がまったくないのに、いつのまにかVenturaになっていて、かなり驚いた。

 マイナーなバージョンアップならば寝ているあいだに勝手にやってしまうこともあるかもしれないが、OSに関してはそんなことがあるとは思えない。今日はOSのマイナーなアップデート(セキュリティ関連)で4GBがあると出たので、それを10分ほどかけて更新した。再起動すると各種の設定画面がやたらときれいにすっきりして見えて「何かおかしいな」とは感じた。だが作業の途中だったので、そのまま気に留めずにいた。

 するとしばらくして、作業中にポップアップが。そこには「Venturaの使い方について」とお知らせが表示されている。
 …はぁ!?
 わたしはMontereyだったはずなのにと、確認したところVenturaになっていた。

 こんなことがあるのだろうか。だいたいOSというのは、仮になにかと勘違いしてアップデートボタンを押したにせよ、30分くらいかかるのが普通なので、その間は作業ができないからイライラする。そしてそんなイライラ時間を過ごした記憶が自分にまったくない。

 寝ている時間帯になにかのアップデートをしていることもあると思うが、OSのレベルでそんなことがあるのだろうか。不思議だ。

 なぜこうなったのかはまったくわからないが、楽しみにしていたVenturaの機能が使えるようになった。Facetimeの画面からiPhoneのカメラと連動を設定できるのだ。
 たとえば襟首や背中など自分で見ることができない場所に傷や湿疹ができたら、iPhoneのカメラを向けるだけでいい。それで普段は見えない場所がMacの大きな画面に表示できる。これをやってみたかったのだ。

 なぜVenturaになっていたのか、この謎はしばらく解明できそうにない。

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追記:
家族が言うには、Venturaへのアップデートは、なぜか4GBになっていたという。以前に見たときは12GBと書いてあってダウンロードが混雑していたので断念したという話だったが、なぜか4GBで、あっというまに終わったとのこと。

つまり、わたしが「マイナーなセキュリティアップデート」と思いこんでクリックし、4GBをダウンロードして、10分程度で終わったあの作業が「Venturaへの道」だったのか。なんということだろう。驚いた。

英ドラマ「ブラック・ミラー」

 近未来か、設定の違う奇妙な世界を描くイギリスの作品「ブラック・ミラーは1話完結。順番に関係なくどの作品を見てもよいドラマらしい。

 Netflixにあったので、ふたつほど見てみたのだが、今日見た「1500万メリット」という作品には驚かされた。

Fifteen Million Merits (2011) on IMDb

 練られた脚本、風刺。そして見終えたときに重くのしかかる暗さと、悔しさ、歯がゆさ。これはまさに「世の中」なのである。
 描かれているのは社会にがっちりと組み込まれた一般人だ。身動きがとれないほどにがんじがらめの世界でありながら、そこに暮らす一般人がランクの上下を意識して「下には下がいる」、「上に行けばああなれる」と、見せかけの選択肢の中で自由に生きているように感じている悲しさ。そして、それを指摘しようとした人間もまた…。

 Netflixに加入している方は、ぜひこの話(第一シーズン2話目)だけでも、ご覧いただきたい。主演の男性は「ゲット・アウト」などで活躍のダニエル・カルーヤ。
 

次は葛西臨海公園か

 明治神宮の次は、葛西臨海公園。まさかの21世紀にまかり通る環境破壊。

 Twitterのリプライでも何人もの方が書かれているが、広い駐車場の上に太陽光パネルを設置すれば直射日光も避けられてよことづくしである。駐車場利用者も喜ぶし、木々も伐採されずに済む。パブリックコメントでも伐採の反対意見が多かったのに、強行されつつあるそうだ。

 葛西臨海公園は、たいして何もなかった殺風景な場所(失礼)に木々を植えて慈しみ、周辺環境と調和させながら育ててきたものであり、ようやくこれから評価が高まっていくものであるはずだ。どんなものでも壊すのは短期間だが、同じものを手に入れるのには数十年かかる。それがわからないのだろうか。

 これほどのものを壊してまで、何が得られるのか。

「手順」の強引さは、しこりを残す

 任意ですよと開始しておきながら実質的には強制に近くなってきているマイナンバーカード取得や、国内の酪農で保護や支援ができていないのに、国内で牛乳を減産や廃棄させた上になぜか外国から買っている日本の現状(それなのに「食品ロス」という言葉だけは使う政治家や行政)、そして防衛費は湯水どころか打ち出の小槌ほどにも使い倒していながら個々人の生活は支援せず——こうした例を見ていると、何が国や国民にとって大切なのかを、誰もまじめに考えていないのではないか。

 日本は以前からこうだった。決まっていないから決めておくだけ、強制するわけではないと言いながら、法案を無理に通した途端に「国旗・国歌」を強制。強引な手順や、強制しないという言葉を反故にする態度が、別に嫌いになりたいと思っていた人ばかりでもないだろうに、君が代や日の丸に、幅広く影を落としてきた。

 マイナンバーカードがなくても運転免許証や保険証で用が足りている人たちに、原則としてマイナンバーカード使用を保険証がわりとし、希望者には保険証を持つ資格のある人という制度を設けるとは、何事か。無駄であるだけでなく、そうまでしてマイナンバーカードを推し進める方針に嫌悪感、そして「裏がある(関連業界から何かもらえる)のでは」という疑惑を膨らませる結果にしかならない。

 マイナンバーカードを個人が所持しなくても、個々人に番号は割り振られている。だが取得を選ばざるを得ないような状況に人々を追いこんでおきながら、取得したのだから情報の紐付けなども納得しているんだよねとばかりに推し進める強引さ。国民をなめている。

 ほんとうに「誰のための決まり事か、誰のための方針か」を、与党政治家のひとりひとりは、まるで考えていないのだろうとしか、言いようがない。