訃報: ショーン・コネリー(享年90)

 俳優のショーン・コネリー氏が滞在先のバハマで死去と、ご家族が発表されたとのこと。日時や死因などは不明。謹んでご冥福をお祈りする。

 いろいろな方々が、それぞれに氏の出演作について語っていくことになるだろうが、わたしはひとつ、風変わりなものを。

 わたしがよく覚えているのは、1964年の「わらの女」である。

 原作はカトリーヌ・アルレー。80年代くらいまでは飛ぶ鳥を落とす勢いのフランス人作家だった。
 名作「わらの女」の結末に打ちひしがれて「こんな話(終わり方)があっていいのか」と考えていたころ、たまたまテレビで映画版が放送されたのだ。

 そのころは007シリーズもさほど詳しくなく、ショーン・コネリーをただ影のあるイメージの強い役者さんだなと、ぼーっとテレビ画面を見ていた。

 ところが最後の最後で、原作を読んだとき以上の衝撃が。
 唖然…。
 原作のラストの衝撃と、絶望感が、映画ではまったく違うものに変更されていた。

 あれを、ふつーの映画風にまとめたら、まったく「わらの女」ではないのだが。

 原作を知らない人ならば、それでも面白いかもしれないが、知っている人には衝撃だ。おそらく「あんな絶望を観客に味わわせることはできない、お金をはらって来てもらうのだし」とでも、誰か考えたのだろう。そうして変更されたであろう内容は安易で、安っぽさが感じられた。

 名作は凡作になってしまったが、あれが、当時の映画界の限界だったのかもしれない。
 

砂糖不使用チョコの話

 先ほど何かのはずみに砂糖不使用チョコ関連の広告記事が目にはいった。

 ひとくちにそう言っても、いろいろあるはずだ。たとえば——

  • 厳密に「砂糖」のみを使わずに、ブドウ糖などほかの糖を使っているとか、
  • あるいは同様に甘味料を使っているとか
  • 「砂糖」は使っていないかもしれないが、甘いドライフルーツをぎっしり詰めたものであるとか
  • あるいはほんとうに、砂糖など甘さを感じさせるものを使わず原材料のカカオ中心か

…ピンからキリまでである。

 だが、ネット上で簡単に見つけられる「砂糖不使用チョコ」の記事はいい加減なものが多く、あるページなどは驚くことに「砂糖は使っていないがサトウキビから作った有機砂糖を使っている」とか、原材料に乳化剤と書いているのに「乳化剤不使用」とか、直前の行の見直しすらしていないらしい。書いていて自分で意味がわかっていない人も、いるのではないだろうか。トランス油とトランス脂肪酸を書き間違えている人もいたようだ。

 また「砂糖不使用チョコ」という言葉で人が浮かべるイメージ(期待するもの)がなんであるかの幅が大きすぎるため、そのあたりをしぼらないと、まじめな人が書く場合であっても、全体が漠然としてしまって話がまとまらなくなる。

 砂糖不使用と聞いて、思い浮かべそうなものとしては:

 砂糖は太るから、はいっていないほうがいい → ほかの原材料やカロリーとのバランスで判断すべき
 白砂糖は体に悪いから… → 白砂糖だけを悪者にすることは、あまり根拠がない(砂糖全般の摂取過多ならまだしも)
 甘いものが苦手だから… → 砂糖不使用という言葉にこだわらず、甘くないものを探すと、吉
 チョコはカカオ中心がよい → なるほど、これは砂糖なしチョコを探して正解かと。

 やはり、何か(商品など)を強く勧めたいとか、売りたいといった場合であれば、具体的に話を絞って書く必要がある。

 わたし個人のことを言えば、砂糖がはいっているチョコレートでも(標準より入れすぎていなければ)美味しく食べることができる人間だが、ほかの混ぜ物にはちょっと敏感である。

 人それぞれ。
 

「いざ鎌倉」について考えてみた

 書く前に検索してみたら、どうもこれは源頼朝ではなくて北条時範だったそうなのだが——かいつまんで書けば、不遇のため落ちぶれてしまった武士に、旅先で親切にしてもらった権力者が礼をする話。

 北条と知らないまま、質素な食事を分けてくれて、暖をとるために大事な鉢植えまで火にくべてくれたその男が「いまは落ちぶれているが、いざ鎌倉というときがくれば、なんとしてもはせ参じる」と言っていたため、のちに北条は部下に命じて全国の武士らを鎌倉に集めるようお触れを出した。するとほんとうにその男が来たことに感動して褒美を与えた、という内容だ。

 なぜ急にその話を思い出したのかは忘れてしまったが、昔とは違うところが気になった。

 昔は子供心に「その場で名乗ってすぐお礼をすれば、面倒がなかったのに」と、ちらっと思っただけだったが、今日は「あれって、ほんとうに武士らに用事があって、招集をかけたんだろうか」との疑問が。
 その話をすると、家族から「そういえば、ちょっと呼んでみたって感じがする」との返事。

 どのあたりまで実際の逸話に着想を得た話かはわからないが、能などの芸術に採りいれられて発展、定着したのだから、あくまでフィクションである。だから、権力者が「呼んでみた」という態度でも、さして問題はないのかもしれない。
 だがわたしは「実際にそんなことされたら、その人物以外の数十名、数百名は、呼ばれて解散か」と、なにやら気の毒になってしまった。

 北条を泊めたこの人物は現在の栃木県佐野の界隈に住んでいたとの設定だそうだが、よぼよぼ馬では栃木から鎌倉まで1日では無理だったことだろう。それ以外の武士らはさらに遠かったかもしれない。へとへとになって鎌倉にたどり着いたら「はい、解散」と言われたのかと思うと、その人たちがお気の毒だ。本来の話とは違うところだが、それが気になってしまった。

100円ショップの「袋キャップ」

 なんという名前なのかわからなかったのだが、適当に言葉で検索したら「袋キャップ」と書いている人が多かった。小麦粉などの袋で、あまり大きく口を開けずにプラスチックの器具を挟んで固定し、そのあとは器具の蓋(キャップ)を開け閉めするだけで、スプーン要らずなのだ( → 長い言葉で画像検索してみた)。

 半月ほど前だったか、いつも行く100円ショップCan★Doで「新入荷」という棚にあったグッズを買ってみたうちのひとつだったが、その次に寄ったときは見かけなかった。時間がなかったのであまり探さず、それきりにしてしまったが、次回はいくつか買い置きしたい。

 強力粉は2kg以上で購入するし、その場合は袋にファスナーがついていることが多いので、この器具は使えないかもしれない。だが1kgの薄力粉や、いかにも「うちのショップはプロしか相手にしないからファスナー付きの小麦粉なんだそれ」という雰囲気の店から買った場合は、何kgの粉だろうとファスナーではないので、これがあれば重宝しそうである。

思い出の店が、倒産していた

 楽天市場でときどき購入していたお店。そして、なんと人生で最高額ではないかと思う懸賞に当たり、福島の旅館宿泊券(専用露天風呂付き)をくださったお店。
 東日本大震災で多大な被害に遭い、同じ土地での業務再開もままならずに本社や店舗を移転させつつ、少しずつ発展していたお店「もち処木乃幡」(もちどころ このはた)さんが、悲しいことに2019年4月で破産していたことに気づいた。 → 流通ニュース 2019.04.22 木乃幡/餅製品「凍天(しみてん)」製造・小売、自己破産で負債7億円

 ほかの記事も読んでみて、その直前までクラウドファンディングをしていたとわかった。だが不測の事態でキャンペーンを取りやめ、そのまま破産申請の道を選んだようだ。 → 2019.04.12 追加編集 通販通信 楽天SOY受賞店「木乃幡」、クラウドファンディングを中止に

 不測の事態というのは、こういったものらしい。

クラウドファンディング実施期間中に、不動産業者の変更による内容の変更が余儀なくされ、予算の再構築が必要になったり、東電の和解金の実際の振込金額は、差引き額が有り、当方の想定より低い金額であった事がその後発覚、そして未だに振り込まれていない事。震災と原発事故以降、多くの重い課題が矢継ぎ早に起こり、悩み考えながら都度選択を重ねてまいりました。その結果での今日なのだというご批判も、甘んじでお受けする所存でございます。

 2006年から翌年にかけて、わたしは体調を崩して複数回の入退院があり、その後の数ヶ月は「もう人並みな暮らしはできない」やら、「人と同じようなものは食べられない」やら、かなりジメジメとした気分で過ごしていた。やっと一般人と近いものを食べても大丈夫というところまで回復した時期に、木乃幡さんから「懸賞に当たりましたので福島に来てください」と連絡があり、おかげでだいぶ気持ちが明るくなったのだった。

 その数年後に東日本大震災で、数ヶ月は状況もわからなかったが、やがてホームページが復活し、どうにか店を引っ越し先で開店させると読んだのだが——そのうち、そのちと考えるうち、気づいたら1年半も前に閉店していたとは。

 気持ちを明るくさせてもらったお店であるのに、たいへん申し訳ないことをした。
 
 看板商品の「凍天(しみてん)」のみは、お店がなくなっても味が引き継がれているらしい。→ 2020.09.30 Jタウンネット 失われていた福島県民のソウルフードが帰ってきた 材料も作り方も味わいも以前のまま…「おかえり凍天!」

 好きな店、大切な味は、いつも気にかけておいたほうがいいと、つくづく思う。

気遣いのレベルが高かった友達

 高校の卒業後に東京に出てきた。進路を熟慮したかといえばそうでもなく、学部もばらばらで一貫性に欠ける選択の末に受験した大学はどれも不合格。それでもわたしは東京に住みたかったため、最初は外国語の専門学校にはいって学び、そののちに大学を受験しなおした(←けっきょく大学は卒業せず)。

 最初の学校で2年目の通訳コースに進んだとき、やたらと気を遣ってくれる友達と出会った。
 どう気を遣うかというと、たとえば「さっき言っていたお店は、いま通り過ぎたそこでは?」と言ってしまうと、わたしが店を見落として歩きつづけていることを自分が指摘してしまうことになり、わたしが気を悪くすると考えるらしい。その代わりに出てくる言葉が「わたしはおなかが空いていて、これ以上を歩くのは無理なので、このあたりの店にはいるのはどう?」である。言われて立ち止まると、そのすぐ近くにわたしが寄ろうとしていたのにうっかり通過した店がある、という具合だ。

 その友達と身近に接していたのは卒業手前までの1年弱だったが(——のちにわたしは大学を受験するため、それまでずっと出席率だけは優等生レベルだった立場を捨てて、卒業が危ぶまれるほどアパートにこもってしまった)いろいろな会話を通じて、ほんとうに気を遣う人だなあと、実感した。いっぽうわたしはおおざっぱな性格で、いろいろ迷惑をかけていたのだろうと思う。

 年代や、育った環境が違うと、ときにそうしたひとつ間違うと「まわりくどい」言葉は、理解されないことがある。だがわたしにはその友達の意図はよくわかったし、自然とよどみなく出てくる言葉には、深い思いやりを感じた。

 その後その人は何回かの転職の末に外国のエアラインで乗客に接する仕事に就いたが、おそらく持ち前の明るさと、自然に行動に移せる思いやりとで、すばらしい仕事をされたはずと信じている。

清里は山梨県だったのか

 先ほど、文春のサイトで、90年代ころまでドラマのロケや漫画などでももてはやされた清里が、何やら寂れているという記事を前後編で読んだ。

 https://bunshun.jp/articles/-/40979(ここが前編のトップページ)

 年上のみなさんが読んでいた70年代ころの漫画雑誌では、若いカップルが出かけるといえば清里。東京を夕方から発って翌日の晩に帰ってくる小旅行のような展開は、たいてい清里。ソフトクリームを食べて山を歩いて、ちょっとしたセレブ感覚を味わえる場所のような扱いで、かなりよく出現した。

 文春の記事では、強調もあるのだろうが、ほんとうに寂れて見えた。出かけたことがないとはいえ、あれほどもてはやされた時代を記憶していると、何やらさみしい。

 実は何県だったのか知らなかった。山梨だったと、あらためて検索してみて、いま知った。イメージとしてはずっと、「どこかにある、若い人が行く場所」だった。
 そういえば以前に軽井沢にならば出かけたことがあったが、そちらも何県だったのか(軽井沢というのは大部分が長野県らしいが北軽井沢というのは群馬県らしい)、わからないままだった。まあ、高校時代に引率付きのイベントで宿泊した程度だから、わかっていなくても、往復してこられたわけだが。

 例年どこにも出かけずに過ごしているが、今年はとくに大きな国内移動の予定もない。近日中に近隣の古めかしい喫茶店(名前だけ知っている)に出かけ、その界隈を歩こうかと話しているところだ。相変わらず外出は少なめだが、近所にくらいは出かけないと、店が傾いてしまってからでは遅すぎる。

人の顔を、連想で記憶

 そもそもわたしは、実生活で人の顔の覚えが悪い。週に何度もやってくる配達の人たちもインターフォンの声で覚えて「よく来る人」という認識だが、玄関を開けたときには伝票に三文判を押すか、あるいはほんの少し「これでお間違いないですか」と言われて会話をする程度。そのときにちらっと見るドライバーさんの顔はあまり覚えられず、声で記憶する。

 こうした実生活でのことは、おそらく人との接し方が下手であるため覚えきれないのだろうと思うが、これが画面の向こうの役者だったりすると、まったく話が違う。相手はディスプレイの中にいて、自分がガン見をしても迷惑がかからない。ましてや話しかけてもこられない。安心して見ているから、記憶の仕方がまるで違う。

 さきほどNetflixのドラマを見ていて「この女優さんは90年代にアメリカのドラマX-Filesの第一シーズン前半で、○○の役で出た人じゃないだろうか」と思ったのだが、あとで検索をしてみたところ、顔立ちと年齢はなんとなく似ていたものの別の女優。だがその人もやはりX-Filesの第一シーズンと第二シーズンに別の役で出ていたことがわかった。取り違えたとはいえX-Filesで、しかも最初の年と翌年である。記憶のなかでごっちゃになったのだろう。
 それにしても、ふたりともざっと芸歴を拝見した範囲では、主役を演じるような方々ではない。なにかわたしの頭に残りやすい表情か、ストーリー上の設定があったものと想像する。あるいはとっさに「○○さんに似ている人」などと考え、記憶に残りやすかった可能性も。

 ジョディ・フォスター主演の「羊たちの沈黙」は1991年の作品だったが、主役ではなく誘拐被害者だった女性を演じた人が2017年にテレビシリーズのベイツ・モーテルで保安官として赴任してきたとき「あ、羊たちの沈黙」と、すぐにわかった。これもどうしてなのかはわからない。

 さまざまに思い出してみた範囲では、とくに女性に関して、覚えやすい傾向にあるのかという気がする。

 例えば、最近「アクアマン」(2018)主演のジェイソン・モモアを見ても、まだ10年も経っていないのに「コナン・ザ・バーバリアン」(2011)と同じ人だと気づかなかった。ただジャスティス・リーグに出演したアクアマンを見たとき「北村一輝が少しふくよかになったような顔」と感じ、「前にも同じことを考えた役者がいたけれど誰だっけ」とまでは考えたので、もう少し思い出すつもりがあれば、なんとかなった可能性もあるが。

 ところで、まだ誰も似ていると書いている人が見つからないのだが、わたしは個人的にヴィクトリア・ペドレッティが、若いころの大路恵美に似て見えて仕方がない。

 

甘酒と目分量の話

 甘酒は一年を通じて飲むのだが、秋冬は自分で作る。スーパーや食材店で美味そうな酒粕をまとめて買い(だいたいは小林春吉商店のブランドがあればそれを選ぶ)、飲みたい気分になったら鍋に水をだだーっと入れて酒粕を大量に投入。塩を少しと、砂糖や甘味料を入れて火にかけ、加熱しながら泡立て器で酒粕を潰しながら混ぜる。そして沸騰直前に止めて器に盛る。

 だいたいが4杯分になるようにしているが、分量を事前に量ったことはない。

 今日はちょっと驚いたことがあった。

 2杯分をカップに入れて、ふたりで1杯ずつ飲んだ。冷めたあとで、残る分量を容器に入れて冷蔵庫に移動しようと思ったのだが、たまたま手にしたのは目盛り付きの円筒形タッパーだった。入れてみたところ、残りはぴったりと400mlのところを指し示していた。

 最初に飲んだカップもだいたい200mlくらいが適正容量なので(満水時ではなく実際に飲む分量)、わたしは適当に作ってそれが800mlだったということになる。

 味はだいたいいつも同じに仕上がる。好きなものはこうして目分量で作れるものなのだ。

医療機材の進歩

 今年は受けずにしらばっくれようとしていた大腸検査へ出かけたのが火曜日。なんと医師のほうから「あれ、今年はまだですね」と言い出したので、逃げられなくなった。
 毎年わたしのほうから6月ころ「やるとしたら○曜日があいています」と告げていたのだが、今年は新型コロナの影響で疾病関係の書類更新もなく、更新しなくていいのだから検査の話はもちろん言わなかった。だがとぼけていても気づかれてしまったのは、おそらく今年は通院患者が減ったため、ひとりひとりのカルテをじっくり見る時間でも、できたのだろう。

 迎えた検査当日。
 腸を空っぽにするための液体を1リットル以上も飲まなければいけないのだが、あれが嫌である。この数年は最後のほうで「もう飲めない、匂いを嗅いだだけで吐くので、ぜったい無理」とスタッフの方々に断言している。その報告を受けた医師の方で、では検査をしながら腸内を洗い流すと言ってもらえることがつづいているため、この数年は検査を受けてきた。
 今年も同じような「ぜったい無理」の展開だったのだが、今回は病院ではなく自宅で薬剤を飲んでいたため、精神的なダメージはそこそこ低く済んだ。家にいる安心感からだろうか。病院に「1リットルまで飲んだら胃の中の、飲んだばかりのものも含めて思いっきり吐いた」と電話連絡してから、どうにでもなれと出かけたが、到着するころまでには体調が回復し、検査を受けることができた。

 検査機材は年々よくなっている。
 10年以上も受けているが、以前は「ここで足の向きを変えてみてください」など、器具がはいっている状態で体の向きを変えなければならなかったし、腹部へ空気をたくさん入れてカメラを通りやすくさせるため、腸壁がどうにかなってしまうのではと思うほど圧力がかかり、苦しかった。そして終了後に数分のあいだ器具を入れたまま「ガスが出るのを待つ」こともあった。

 どんどん改善されてきているのがわかる。いまは自分で向きを変えなくていいし、医師が空気を入れる量も少ないので腸は張らないし、もちろん終了後の腸内にガスも溜まっていない。終了後にすぐ自分で歩いて休息用ベッドに移動できた。

 検査そのものに不安はないのだが、来年は、薬を変えてもらえないだろうか。いや、もう頭で考えるだけで体が拒絶してしまうのだろうから、薬剤が違っても無理かもしれない。以前は「どれにしますか」と各社の薬を3種類くらいから選ばせてくれたのに、数年前から一択になった。来年もきっとあれを飲むのだろうな。

 来年こそ、ばっくれよう。10月中旬に検査したのだから、来年になって例年のような初夏に検査というのは、期間が短すぎる。来年の書類は先日のものを出してもらえばいい、よし、決定。