母語について思う

 数日前、日本語について質問を受けた。似ている単語があったときどう使い分けるのかと。その件はそれほど手こずらなかったのだが、自分なりにその後もあれこれ考えてみた。無意識に使ってしまうことが多いが、言葉というのはつくづくおもしろい。

 気持ちのいい朝だ、とだけ聞けば、天気がよいか何かそういう話だろうと、人は勝手に補って考える。
 気分のいい朝だ、とだけ耳にすれば、やっかいな事情がなくなって息抜きができるのかなと、考える。あるいはこのところ体調を崩していて復調したのだろうか、など。

 気持ちよい店だと聞けば、接客かインテリアがよかったのだろうと思う。
 だがその反対語は「気持ち悪い店」ではなくて、「雰囲気が悪い店」だ。気持ち悪いを使うと、店にとてつもなく問題がある(気味の悪い店主とか!?)というニュアンスにもなりかねない。

 人がおだやかでリラックスしていそうなとき、あの人はご機嫌なようだとは言えても、あの人は気持ちがいいはちょっと言えず(言えても意味が異なる)、あの人は気分がいいもまた、かなり不自然に響く。

 けっきょく言語習得の基本というのは、「場数を踏む」しかないのだと思う。

 わたしなど、何十年も英語を学んでいるつもりでも、それがいまだにできなくて苦労をしているのだが、外国にいながらにしての日本語習得というのは、英語があふれている日本で英語事例を収集するわたしよりもはるかに機会が少なく、ハードルが高いことになる。なんらかの規則性を発見または文法のような理屈づけをしながら頭を整理していかなければ、時間がかかりすぎるのだろう。
 そんなとき、日本語ネイティブである自分にちょっと質問をしてもらうことは、まるでかわないし、むしろ歓迎である。わたしも以前は人に英語を尋ねていたし、恩返しにもなる。

 明日からも気持ちのよい朝をむかえ、日中を気分よく過ごして、穏やかな心で就寝できるよう、適度にがんばっていきたい。(←文法的には問題ないだろうけれど何が言いたいのかよくわからない文章 ^^;)