國村隼

 Netflixで日本が舞台のB級アクション映画(!?)Kateというものを見た。内容はつぎはぎ。予算がなかったわけではなく、あえて注ぎこまなくてもいいだろうと思ったのだろうが、セットが安っぽすぎる。

 いちいち書けばきりがないが、たとえば料亭のようなシーン。隣室で和太鼓、歌舞伎の連獅子の白いほう「みたいな」ものと、さらに何かが踊っているのだが、ヤクザ幹部な方々の前に出ているのは、スシめいた何かの皿盛り。その場には仲居さんではなく、なぜか白塗りの芸者さんぽい誰か。
 そこに主人公が飛びこんできて銃を向け、大乱闘になるが、周辺の障子は、ニスも塗っていないような白っぽいむき出しの板に、安そうな和紙。その紙にはところどころ皺や浮きが見える。声を大にして言いたいが「どうせアクションで壊れてしまうからと適当なものを使うんじゃない、いまどき障子は貴重な存在で、店では高級品を使うんだぞ」。

 内容は、東京の夜がブレードランナーの世界、主人公の設定はニキータ(少女時代から殺害を仕込まれる)、最後の方はジョン・ウィックに出てきたようなガラスの多いビル内。見たことあるシーンが多すぎた。

 さて、そんな映画であっても、役者として美味しいところをかっさらっていったのは、國村隼。この10年くらい国際的にも「日本が舞台の映画ならこいつを呼んでおけ」的な位置づけの、強面だがどこか人情味のある人である。
 わたしが初めてこの人の名を覚えたのは20年以上前のテレビドラマ「アフリカの夜」だった。心が広く、犯罪者かもしれないと気づきながら内縁の妻をかばう惣菜屋の主。誰だろうこの人…と、気になったのはあれが最初だ。

 その後、ハリウッド映画の「キル・ビル」にも出演し、韓国映画の哭声/コクソンでは、文字通りの怪演。

 今回も、英語を話すのがうまい出演者に混じり、できるだけ日本語で台詞を押し通していただけでも渋さと重みがあった。ほかの出演者に関しては、これも声を大にして言いたいが「日本では、普通の人間はアメリカ人みたいな英語をペラペラしゃべらないぞ」。とくに主人公と心を通わせる少女は、演じたのが外国人ということもあるだろうが英語がうますぎた。設定が日本育ちで、外国人の母とは死別しているので必要に迫られたわけでもないだろうに、どこで英語を身につけたのか。

 ドルフ・ラングレンの迷作「リトルトウキョー殺人課」にもう少しで届いてしまうほどの作品だったが、國村隼だけは、まあ、よかった。
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