食品宅配サービスに思う

 サミットネットスーパーが業務を終了して以降、少し迷って何社か試したものの、最終的に落ちついたのはイトーヨーカドーだった。それ以来の数年間、ずっと週1回程度は利用している。

 そういえば20年ほど前だっただろうか、「大地を守る会」を、とっていたことがある。現在は不明だが当時は配達日などで週に1回程度の縛りがあったこと、料金は郵便口座からの引き落としだけだったということなど、いろいろあって、窮屈に感じて2年くらいでやめてしまった記憶がある。

 そのころ、周囲では「生協か、大地を守る会か、らでぃっしゅぼーやか、あるいは新サービスでオイシックスというのもあるらしいぞ」などの話が出ていたものだった。中でも「らでぃっしゅぼーや派とそれ以外」のような、ざっくりしたグループ分けがネット上であったような気がする。

 ところが…。いまや、大地を守る会、オイシックス、らでぃっしゅぼーやは、グループ企業になってしまった。ブランドとしてはそれぞれ残っているし利用層や方向性が多少は異なるが、運営母体が同じなのだ。
 三社とも、食の安全性などの面から、子育て中の人々、または買い物時間がじゅうぶんにとれない働き世代(ドアの前に置くなどの配達方法)に焦点を当てていた共通点があり、限られた数の客を奪い合うより、協力することで生き残りを検討したのだろう。

 この先、都市部に住もうと買い物が困難になる事例は増えると思われ、そういう時代が来る前からシステムに慣れておこうと、食品宅配サービスやネットスーパーを、ずっと利用してきた。だが、わが家としては無農薬や安全性ということよりも、定期的に購入するという縛りがなく好きなタイミングで呼べるということで、ネットスーパーのほうがありがたい。それに、イトーヨーカドーのネットスーパーは、惣菜が美味しい。利用するとほんとうに楽である。

 将来は都内のどの辺りに住むことになるかはわからないが、ネットスーパーが利用できる程度には便利な場所で、生きていきたいと考えている。

無言電話をかける心理

 事件があると、容疑者の関係先(と思われる場所を含む)に、電話をかけるなどして嫌がらせをする人がいるという。間違っている場合にはより大きな問題だが、仮に正しい場所であったにせよ、いちいち電話をかける心理が、わたしにはよくわからない。
 今日わたしが読んだ記事は、小学生の列に車が突っ込んだ事件で運転手の関係先「と間違われた」会社が、無言を含む勘違い電話の被害にあっているという。

 なぜ、無言なのだろう。言いたいことがあれば言えばいいし、そうすれば自分が勘違いしているとの指摘を受けて、反省して謝ることもできる。だが無言では、何が目的なのかさっぱりわからない。怖がらせたい、気味悪く思わせたいという悪意ゆえか。すると抗議したいとの思いよりは、嫌がらせをしているとう自覚があることになる。

 誰もが文句を言っていそうな相手になら、自分だけではないのだから嫌がらせしてもかまわない、ということかもしれない。強そうに見える相手にはおとなしくして、弱そうならいじめに加担する——人として、やってはいけないことだ。

ワクチン接種の予約サイト

 ようやく64歳以下も予約ができるということで、朝の9時少し過ぎからメールアドレスの登録などをしてみたわけだが、さくさく進んだのは、そこまで。その次の予約画面を押すと「混み合っております」が出る。

 ときどき画面を確認したが「もういいよ、めんどくさい」と放置していたところ、夕方に家族が「押せた」という。わたしもさっそく見てみると、動作がやや不安定ながら、メニューにはいることができた。
 画面がちょっとわかりづらかったが、なんとか、数週間後の予約を入れた。2回目接種はその3週間後を目安にまた予約するのだから、その2週間後に免疫が出来ると予想するなら、初秋まではとくに要注意ということになる。

 操作の画面がどうわかりづらかったかといえば、何度も似たメッセージを出すので、画面が遷移していない(同じページがまた表示された)と勘違いしてしまうこと。よくよく見るとページは進んでいるらしいのだが、それならばもう少し、進んでいるような変化をつけてもらいたかった。

 さらに、たとえば感覚の問題も多分にあるかとは思うが「以下から会場を選んで」と利用者に伝えたい画面でのことだ。そんなとき、選んでほしい候補の会場名を、そっくり薄いグレーで覆うだろうか…その色だと、押せないかのような勘違いを招きかねない。迷いつつも、けっきょくぜんぶがグレーなので、ためしにひとつ押したら画面が動いたのだが、そうするまでのあいだ、押せる場所を探そうとして何回もスクロールしてしまったのは、わたしだ。

 こうして、ようやく秋から冬にかけて人が注射をするころ、真冬に次の注射の順番が(医療関係者や高齢者等に)まわっていくことになるのだろうな。

 しばらくは、気が抜けない。

英語圏では、ユーラシア大陸と呼ばないらしい

 先日、外国語の話題で「英語では、すべての大陸名で、最初と最後が同じ文字です」という奇妙な話が流れ、英語以外を母語とする人間たち一同「ユーラシアはスペル違うだろ〜」やら「オーストラリアって大陸だったんだ(オセアニアとしてまとめて考えるんじゃなかったんだ)」やら、さまざまなコメントを発していた。

 厳密には、アメリカ大陸も北アメリカと南アメリカが別々の大陸であるため、Americaとしてまとめるのはちょっと違うかなとも思うのだが、だいたいにおいて、英語圏での一般的な感覚としては、こういう分類らしい。

 アフリカ大陸 Africa
 ヨーロッパ大陸 Europe
 アジア大陸 Asia
 アメリカ大陸 America
 オーストラリア大陸 Austraria
 南極大陸 Antarctica

 これならば、たしかに最初と最後のスペルが同じであるので、最初に紹介したような話になるのだろうと思う。

 ざっと検索した範囲ではあるが、ヨーロッパ大陸とアジア大陸という具合に厳密に大陸を分けるのは地学的に意味をなさないが、おもに一般人の感覚として、文化的なものを語る側面を重視する際に、ヨーロッパ、アジアを分けて考えることが広くおこなわれているのではないかと思う。このあたりは、どなたか詳しい方がいらしたらぜひコメントをお願いしたいところである。

 Eurasiaという単語や大陸の概念が英語にないわけではなく、専門的な場面では、もちろん使われている。

語ることは有意義だが、好きではないものの広告

 バウムクーヘン専用アカウントのほうで、コオロギのバウムクーヘンについてツイートしたところ、わたしが昆虫食を好んでいると判断したのか、Twitter社がわたしに昆虫食を語る他者ツイートを「いかがですか」と表示してきたことがつづいた。幸いなことに二日程度でおさまったが、わたしは別に昆虫食は好きではないし、けっこう苦手である。(食べる以外の要素、たとえば「見る」などであれば、昆虫も爬虫類も問題なし。「昆虫食」だけは、敬遠している)

 なんの話題でも、情報交換や語ることそのものは有意義だ。苦手だからといってその話題だけ避けて通るわけにはいかないだろうし、どうせならば適度に、遠巻きにしながら状況を見守りたいとは思っている。だからどんな話題でもとりあえず、おもしろそうと思えばツイートしている。
 ただ、ツイートしたからといって好きと見なし広告を出してくるのは、遠慮してもらいたいといった心境だ。

 TwitterもFacebookも、どんな広告を表示させるかにおいて、おそらくその人物がフォローしたりされたりしている間柄の人がどんなことに関心をいだいているかを、かなり参考にしているのだろう。以前は芸能人がらみ、バラエティ番組に関係していそうな話題、あるいや野球を表示させて「この話題(もしくはこの人)をフォローしませんか」と誘うことが多かったTwitterが、わたしが片っ端から×をつけていくと、最後にはゲーム、IT関係、家電を中心に出すようになった。

 いつだったか、裁縫をまったくやらない知人のFacebook画面に、手芸の広告が増えたことがあったようだが、その人がいいねを押した記事の書き手が、関係などしていたのかもしれない。

 広告を出さないわけにもいかないだろうが、心理的な問題で拒絶されることの少ない、その人にとってピンポイントのものを表示させるためには、もう少し技術と時間が必要なのだろう。

 いまちょっと心配しているのは、このブログの記事をあとでFacebookに貼りつけたとき、コオロギとか昆虫食の話題が広告に出てくるのではといったことだ。おそらく出てくるだろうが、それも一興か。

小平市「あじさい公園」、花小金井「パティスリードゥネル」

 あじさいの見頃を見極めるのは、ほんとうに難しい。それだけでなく、今年は小平市による見頃のページをチェックしていたにも関わらず、花の量が少ないとの事前情報があった。
 それでも外出を楽しみにしていたことには変わりなく、今日は午後に「あじさい公園」と、その後に隣駅の「パティスリードゥネル」へ。

 まずは、西武新宿線の小平駅に到着して、降りてから駅前で1枚。

西武新宿線の小平駅(駅前)

 …広い。そしてこの周辺には個人商店のほか、駅前のSeiyu内には各種店舗、そして見まわせばファミレスなどもあった。うらやましい。空間の使い方が贅沢だ。
 西武新宿線、池袋線は、山手線から遠ざかるほどに、駅構内も駅前も広い。そして雰囲気が似ている。

 そして、駅前からほんの少し歩いただけで、この小道が。
あじさい公園へつづく歩道

 きちんと整備されていて、道の両隣には民家が並ぶが、舗装されている中央部分は自転車用で、車は進入できない。歩行者用とわかる舗道もあるが、それでも全体として、歩行者が優先と書かれていた。

 到着。
小平市「あじさい公園」

 入り口のすぐ脇には、蛍が飛ぶとのお知らせも。
小平「あじさい公園」、蛍のお知らせ

 中はご近所の方々や、高齢者施設から付き添いとともにお越しになっている方々、そしてベビーカーを押しながら散歩する若いご家族も。

小平「あじさい公園」内

小平「あじさい公園」内

(まとめ画像。クリックすると拡大表示)
小平「あじさい公園」内

 名前が「あじさい公園」で、園内はほんとうにあじさいだけだが、この季節が終わったら普段はどんな雰囲気なのだろうかと、かえって興味をいだいてしまった。
 公園のすぐ近くには民家があり、おそらく普段から静かな場所なのだろう。帰り道では、もうすぐ駅前に到着というとき、ビルの脇に張り紙があり、自転車の利用者用に「無料の空気入れです、どうぞ」と書かれていた。なんだか人に優しそうな場所である。

 ところで今日ちょっと気になったのだが、小平駅では「自転車駐車場」と書かれていた。駐輪場のほうが短くていいと思うのだが、自転車駐車場のほうが正式とか、そういう用語の違いがあるのだろうか。帰りに利用した鷺ノ宮駅の近くでも、そういえば自転車駐車場という表示があった。

 さて、その次の予定があったので、また電車に乗って、今度は隣駅の花小金井へ。

 お目当ては、こちらの「パティスリードゥネル」さん。

東京都「パティスリードゥネル」の外観と焼き菓子

 実は、岩手県に親戚がいる(いた)関係で、ドゥネルさんは気になっていた。現地でドーネルといえば100年以上もつづく菓子店で、こちらの洋菓子店が同じ名前だったので、何年か前に検索して名前を覚えていたのだ。その際、店主さんについて、岩手県のお店の息子さんではあるが、外国で修行ののち東京でお店を持っているとわかった。いつか訪れたいと思っていた。
 それに、公式サイトで焼き菓子の説明一覧の中にバウムクーヘンの写真があり、買えるとうれしいなという、思いもあった。

 今日になり、わくわくしながら歩いていくと工事の人たちが見えたため(写真左上)、「おぉ〜なんということだ、工事していて店休なのか」と、顔が真っ青になったが、近づいてみたら商品は販売していた。おそらくティールームの部分を工事していたのだろう。ほっと胸をなで下ろし、買い物。
 バウムクーヘン(ホームページに書いてあった四角いもの)と、小金井公園ピレネー、小金井公園バームクーヘンという商品があり、バウムだけで3個も買えた。よかった。

 お店は不定休。焼き菓子は200円前後が多めで、支払いは現金のみ。袋はとくに何も言わずに名前入りのものを入れてくれたので、環境に配慮した袋なのだろう、おそらく。(普通のレジ袋は無料で配ることはできないはずという、昨今の事情を考えれば)

 また、花小金井から歩いてみてわかったのだが、以前に立ち寄った小金井公園隣接「江戸東京たてもの園」のすぐ近くだった。前回はバスで行ってしまったが、こうして歩いてみてもよかったのだと、今回ようやく気づいた。

 このお店の通りを挟んで真向かいに、740軒が入居できる巨大マンションが建設中だった(…正確には740邸と書かれていたが、邸宅が740もはいるマンションというのは想像ができない…)。そこに入居する方々は、小金井公園、江戸東京たてもの園のほか、おしゃれな菓子屋を日々利用できるのだなと、自分とはあまりに縁遠い話ではあるが、あれこれと思いを馳せた。

 帰りは鷺ノ宮駅で降りて、散歩がてら帰宅。以前ならともかく、8000歩以上も歩いたのは、ひさしぶりだった。

ベニグノ・アキノ氏のニュースに、どきり

 日本では歌舞伎など伝統芸能の面で「襲名」があるが、外国では親子(とくに父から息子)が同じ姓名を引き継ぐ場合がある。通称のレベルでは、姓名ののあとにシニア、ジュニアなどをつけて、親子であって同一人物ではないことを周囲にわかってもらうことが可能だし、姓名の変更システムが日本ほどガチガチに固まっていないアメリカでは、おそらくジュニアやシニアを正式に名前の一部としている人もいるのだろう。

 たとえばフランスの名著「三銃士」の作者「アレクサンドル・デュマ」の息子であり作家は、「アレクサンドル・デュマ・フィス」だが、フィスは息子という意味である。

 さて、今日は驚くことがあった。フィリピンのベニグノ・アキノ前大統領死去のニュースだが、最初にネットで見たとき「それって80年代にお亡くなりになっている人だ。しかも政治家ではあったが大統領ではなかった」と頭が混乱した。見なかったことにしようと思ったら、数時間後に家族が「ベニグノ・アキノが亡くなった」と、今度はすぐ近くで言った。
 いや、待て。ベニグノ・アキノは80年代に殺害されたはずだ。その死を悲しみ、悪政に我慢がならなくなった国民が、数年後にマラカニアン宮殿に大挙してマルコス夫妻を追い出すきっかけとなったのだ。

 そうだ。それはぜったいに記憶違いではない。その後に妻のコラソン・アキノが大統領になり…えっ、じゃあ、亡くなったベニグノ・アキノさんというのは、どういう血縁関係なのか!?

 …検索してみると、息子さんだったらしい。

 同じ名前だと気づいておらず、かなり混乱した。正式にはベニグノ・シメオン・コファンコ・アキノ3世という伯母前で、80年代に殺害された政治家の父は、正式には “ニノイ”ベニグノ・シメオン・アキノ・ジュニア(ニノイは通称)さんであるとのこと。

 東京に暮らしながら、高校時代まではさして関心が高くなかった時事問題に少しずつ親しむようになっていた時期と、テレビのニュースでベニグノ・アキノ氏暗殺(最初は暗殺とは断言されておらず、フィリピン政府としては空港職員を装った一部の人間による犯罪としていた)を知り、のちにマルコス政権が終わっていくまでの数年間は、ちょうど一致していた。
 わたしにとって、ニュースでもドラマでも自分ひとりでテレビのチャンネルを選べるようになった時期だ。そのころ関心を持った大きな時事問題ということで、ベニグノ・アキノ暗殺については、かなりの情報がいまも頭に残っている。

 だが、コラソン・アキノの時代から少しずつ関心が薄れてしまった。さらに、数年前まで大統領をしていたというベニグノ・アキノ3世については、名前が父親と同じだということも気づかずにいた。

 名前が同じ親と間違えて混乱するのは、わたしのように一部の人間かもしれないが、今後もこういうことは、起こるのだろう。

(ベニグノ・アキノ3世氏のご冥福をお祈りします)

立花隆氏の訃報に

 氏の名前を耳にして、どういった書籍名を思い浮かべるかは人それぞれと思うが、わたしはおそらく「臨死体験」以外に、最後まで読み終えた本がない。それが読み通した唯一のものであるため、氏について人物は語れないが、本はかなり印象深いものだった。厚い本で、処分した記憶はないので、家のどこかにまだあると思われる。

(画像はAmazonから、Kindle本へのリンク)

 本の構成としては、かなりの分量を、臨死体験のインタビューに割いていた。そしてさまざまな考察を、これまたあちこちの書籍や著者インタビューなどを通じてつづっていた。読み手であるわたしは、頭にはいりやすい状態になったデータベースを文字で見せられているようで、「いったい何人で働いているのだろう(著者名は立花隆氏ではあるが、協力スタッフは何人いるのか)」など、氏の取材力と人脈とに、圧倒させられた。

 80年代ころだったと思うが、日本ではやたらと「ユングとフロイト」が流行った。わたしも何冊か本を買って読んだ。小此木啓吾氏(フロイト研究)、河合隼雄氏(ユング研究)の本もかなり出版され、わたしはそれらも何冊か読んだと思う。いや、何冊かどころではなく、かなりはまっていた。とくにユング派とされる研究者の本(翻訳本)も、書店で見かければ購入していた。

 その後、ユング関連本からは、少し遠ざかっていた。

 2000年代はじめに、この「臨死体験」を読み、否応なしにその世界に引きずりもどされた。やはり心理学的な話とは切っても切れないものだからだ。
 体験をした人々は、それまでその人たちが意識していなかったはずの、不思議なことを語りはじめる。それはご自分たちの意識していない深層心理、あるいは周辺の人々やコミュニティに語り継がれてきた、集合的な記憶によるものかもしれないが、なんらかの共通項があった。そしてその「不思議」を整理していくと、光るもの、飛ぶものなど、どこかUFOめいたも話も、混じってくる。
 UFOだなんだといっても、著者はオカルトな流れに読者を安易に誘導するのではなく、体験者の住環境、年代、性別、宗教観などがさまざまな場合でも、話に何らかの共通項がある体験が語られるはなぜだろうと、またもや膨大な書籍や、体験事例を紹介していく。

 読みやすい本だった。楽しめた。
 20年近く前に読んだので記憶違いもあるかもしれないが、わたしにとって立花氏の「臨死体験」は、複雑であるはずのものを平たく可視化してもらった印象だった。

 家の中を探すか、Kindleでまた買って読むか。ひさびさに読んでみたくなった。

(最後ではありますが、立花隆氏のご冥福をお祈りします)

どうやら、噛んでいる

 この数ヶ月、週に1回くらい口内炎ができることがある。いったんできると二日は痛い。

 以前ならば「食事バランスが偏っているのかな」くらいで、さほど気にしなかったのだが(なにせわたしは、20年くらい前のことだが、半年以上も口内炎が治らない経験をしたので、たいていのことは驚かない)——今回は、ちょっと勝手が違う。

 起床した時点で唇の内側がすでに腫れていたり、今朝などのように「腫れてきそうな気がする」と考えはじめて半日後から実際に悪化することも多々あり、ああ、これはどうやら、明け方に自分で噛んでいるのではないかと。

 心と体が疲れているときは、食事の最中にでも同じ場所をガンガン噛むので、もうそれはストレスだろうと思うようにしているが、この数ヶ月に関しては、治りかけている同じ場所を食事中に噛みなおすことは少なく、明け方に夢見が悪く歯ぎしりでもしていて、その際に噛んでいるのだろう。

 昨日の早朝は鳥に起こされた。今朝は明け方に暑くて目が覚めたとき、ちょうど悪い夢を見ていて「もう、しばらくは眠りにつけないだろう」と考えた。どうひどい夢だったのか頭を整理する時間がないまま、やっと眠れた早朝の夢もそこそこひどかったため、記憶が上書きされてしまった。とにかく、つらかった。

 そして今朝から「唇の内側、痛くなりそう」と注意していたところ、夜になってはっきりとわかる口内炎(中心が白いもの)に成長してしまった。

 また二日ほど耐えるしかない。二日耐えれば、だいたいは治る。もちろん口内炎の薬は各種たくさん買ってあるし、ビタミンBサプリは、普段から飲んでいる。

翌日追記:
Facebookで知人らの経験を参考に、歯科医に相談することにした。
夜間だけ使うマウスピース(ナイトガード)を使うと、改善されるかもしれないとの助言。

鳥はなぜ、規則正しく鳴くのか

 犬も猫も、鳴き声には抑揚があるし、聞いていれば速さも変わる。ときには演歌のように声を溜めてみたり、壊れてしまった蛇口のように鳴きつづけることもある。生きているものが意思伝達や威嚇のために音声を発しているわけで、そういうものだろうと思う。

 だが、鳥は違う。規則正しく鳴く。いい加減に飽きて終わりにするだろうと思っても、鳴きつづける。

 今朝のことだ。ふと眠りが浅くなった瞬間に、鳥の声が聞こえはじめた。最初は寝ぼけた頭で「鳥だろう」と、わかっていた。だが聞いているうちに「こんなにしつこく、同じ間隔で鳴く生き物が、はたしてあるだろうか。もしやこれは生き物ではなく電子音で、数軒先の家でホームセキュリティが”火事です”などと言っている可能性はないのか」と、どうにも耐えられなくなって、起きてしまった。

 すぐ窓を開けたが、きな臭さもなく、遠くの電子音も聞こえてこない。さらに耳を澄ますと、近くの木の枝あたりに鳥らしき気配。やはり鳥であったか。

 鳩時計といういうものがあるくらいだから、鳥というのは同じ間隔で鳴くものなのだろうとは、思う。だが朝のぼんやりした頭に、あれはこたえる。