高円寺の西友がある場所は、かつて映画館だった

 高円寺に映画館があったと聞いて、北口のほうの話だと思ったが、違っていた。
 北口の映画館(現在は自転車置き場)のほうは記憶していたが、南口のパル商店街の最後のほうでエトアール通りに曲がったところにある現在の西友が、かつて映画館があった場所だと初めて知った。

 というのも、先日たまたま書店で買ったこの本にあったからだ。

 電車網があまり発達していなかったころの名残で、阿佐ヶ谷、高円寺、荻窪あたりから伸びるバス路線が長かったという話も、バス好きとしては興味津々。2時間以上かかる路線もあったのだという。
 かつて野方駅と新宿伊勢丹を結ぶ「宿04」があったというのは耳にしているが、ほかにも経由地または目的地として新宿伊勢丹の人気は高かったようだ。

 30年以上も前だが、晴海の見本市会場で、イベントがあると通訳を兼ねた雑務のアルバイトをしていた。あのころは新宿駅西口から晴海までつづくバスがあって、とても楽しかったのを覚えている。皇居は通る、日比谷は通る、銀座、築地、かちどき、そして最後に晴海である。混雑によっては到着が当てにならないこともあったが、なんとも贅沢な時間だった。

山で暮らす人の豆知識

 今年になってから、3月に複数回、そして今夜またひさしぶりに「不審な音」が屋外で聞こえた。子供の泣き叫ぶような声にも聞こえるし、蝶番がキーキーときしむような(だがそれにしては生き物っぽいような)——あるいはわたしが知らない生き物が住宅街にもやってきて鳴いているのかという考えも成り立つのだが、窓を開けたり玄関から様子をうかがっても、短時間で消えてしまうのでわからない。

 ところで、たまたまこんなツイートを見かけた。
 男がうめくような声は小熊のもの、女の悲鳴に聞こえたら鹿の可能性があるようだ。

 これは、覚えておこう。
 といっても、しばらくは山の近くに住む予定はないが。

絶滅が危惧されている食材(ウナギ)の話

 毎年のほうに7月ころウナギの話を書いている。お時間のある方はこのブログのどこかにある検索窓から「ウナギ」とカタカナで入力されたし。ひらがなだとあまりたくさんは出てこない。

 これまでをざっとまとめると、こんな感じだ。

 わたしは2009年ころ、ウナギに関する本を読んで「このままでは日本人がウナギを食い尽くしてしまう」と危機感を持ったが、世間の様子を見ているとウナギを大切にするどころか市場はコンビニにまで進出。それまでのようにせめて高級品という位置づけで一般に向けては「たまの贅沢」という存在にしていればまだしも、コンビニで少量だけおにぎりに混ぜるなどして庶民に「わざわざ」味を覚えさせるとは何事か、と憤慨してみたり。その後は、そうかわかった、どうせ誰も本気でウナギのことなど考えていないのだろう、こうなったら食い尽くしてやると思うようになったり。

 ウナギの完全養殖は、実現した場合でも価格が高くなりすぎて流通を助けるほどにはならない。外国が日本市場に向けて稚魚を捕獲し、それを日本で育てさせて「国産」と名乗らせるほうが、外国も日本の業者も助かるのだろう。稚魚はもちろん無限ではない。いつかはウナギがいなくなる。

 たとえば奇数の年にはウナギを食べる回数を減らしましょう、といった具合に消費に1年おきの段差をつけ(ウナギ専門店などには補助金を出して売り上げ損失をカバー)、偶数の年には別の絶滅危惧種を指定し、5のつく年にはさらに○○を〜という具合に、10年くらいやってみたら資源も持ち直すかもしれないし、問題意識を持つ人が増えて養殖などの技術に光明が見いだせるかもしれない。

 とりあえず、この数年のわたしは「売られていれば買う」ということで、ウナギを食べている。

行動範囲が狭い日々

 明日は数ヶ月ぶりに、薬の処方を受けるため隣駅へ。去年の春に「担当医がいる日なら電話で頼めば処方薬を薬局に手配してもらえるらしい」と聞いたが、度胸を出して出かけていた。

 だがそのころよりも何倍もの数で発表される陽性者と重症者の知らせに、昨今では感覚が麻痺したのか、「いったんそんな風に電話で頼んでも、次回が改善されているとは限らないから」と、明日もまた自分で出かけることに。

 というわけで、数ヶ月に一度の「やや都会」な場所へのお出かけである。最近は予約システムがしっかりしているので診察まで数時間も待つようなことはなくなり、病院にいることそのものが、会計も入れて1時間くらいになった。だからそのあとは少し界隈を歩くこともできる。

 あまり混雑していなかったら、買い物をしてこよう。可能ならアイスコーヒーの1杯くらい飲めるかもしれない。それを楽しみに出かけるとしよう。

日本の夏は、蒸し暑い

 今回のオリンピックでは、出場選手やスタッフの方々から、暑さへの悲鳴が上がっているという。また、誘致の際に「温暖で」という言葉を使った日本と、それを受けいれたIOCに非難の声が上がっているとも聞く。

 わたしは誘致とその開催予定時期が決まったとき、時期の変更が無理ならば、種目によっては自国の選手を出さない国があるだろうと思っていた。かなり暑いし、立っていればいいわけではなく激しい運動をするためにやってくる方々なのだ。体が持つはずがない、と。そしてそういう反応が事前に何カ国かからあれば、日本としても開催の時期や時間を変更することになるのではと。

 だが、暑さを理由として自国の選手を出場辞退させた国があったようには、聞いていない。

 IOCを含む各国関係者は、日本の蒸し暑さを知らない人ばかりではなかったと思う。そして選手やその周囲の人々のなかにも、自分たちが日本に来るのだから気温など詳細を調べた人もいるはずだ。だがおそらく「気温は高く、湿度もすごいと聞いているが、正式に決まった以上はスポーツができる環境ではあるのだろうから、行く」という流れだったのではないかと想像する。競技が難しいような気温や湿度で外国から選手を呼ぶ国はないだろうと、誰しも思う。

 多くの競技が無観客となったが、選手らに不調が相次いでいるとのこと。
 火を見るよりも明らかだったというのに、誰も本気で7月開催を再考しなかった。

 選手や、関係者の体調よりも、決めた予定をそのまま押し通すのは、実に恥ずべきことだ。

なぜか目にはいった、関東大震災で助けてくれたUFOの話

 表題の件はネットで検索するといくつかヒットするので、ご関心がある方はぜひ検索をされるとよいかと思うが、わたしにしても狙っていたわけではないのになぜか目の前に出てきたので、意外さからけっこうまじめに読んでしまった。

 関東大震災のとき、どの道を逃げればよいものやら見当もつかず、あたり一面が火の海というときに、目の前に低空飛行のUFOが現れ、道順を教えてくれたというものである。周囲の人たちに「ついていこう」と誘いかけたがご自分を入れて7人しかあとをついていかなかった。だが、1時間ほどして安全な場所に移動できたそうだ。
 ほんとうに低空で、ときおり窓から手を出してくるので(白人ぽい見た目の二人組)、もしや引っぱられてさらわれるのではとも感じるほどに、距離は近かったという。

 まあ、それがUFOだったかどうかは、この際よいとして。

 人はとても大変なとき、何かを見ることがある。
 どうやって切り抜けたのかわからないほどの災難や苦痛ののち、あとから記憶をたどって、思い出したような気分になるが、もしかすると頭の中で話を再構成しているだけのこともあるだろう。

 15年ほど前になるが、自分が初めての入院で高熱を出していた数日間に、目の前に出てきたものや、「ラリッた」感覚を、わたしは忘れない。世の中のすべての真理がわかったかのような全能感も味わった。恍惚とした。幸か不幸か、頭が冴えたときにすべて消えてしまったが。
(ちなみに全能感を表示させようとして最初に出たのが前納、次が全農だったので、いかにいまの自分が全能からはほど遠い庶民であるかがわかるというものだ)

 いま、鬱屈しているこの世の中で、何か光があるとありがたいと思う。
 かといって目の前にUFOが出てきたらちょっと引くが、何らかの光が、見えたらうれしい。そしてただついていくのではなくて、その光とは対話をしたい。

馬橋通り(杉並区)を歩く

 夕方に高円寺の駅周辺を歩いていた。人が多いばかりであまり見て歩くものもなく、そうだルック商店街の三平ストア跡地はどうなったか見に出かけようという話になった。ルック商店街とはパル商店街を越えた先にある長い商店街で、青梅街道まで延びている。そこまで歩けば、地下鉄の新高円寺駅がある。

 さて、三平ストア跡地はまだ工事中だったので、その先のCan★Doまで歩いてから、喫茶「七ツ森」までもどって西へ移動し、やはりこちらも長く伸びている馬橋通りから北上し、終点の早稲田通りまで歩いてみることにした。

 わたしが東京に出てきてまもなくに住んでいた場所が、実はJR高円寺と阿佐ヶ谷のあいだに位置する高架線の近くで、いまはJR社員寮が再開発されてすっかりおしゃれになってしまったあたりである。いまはすぐ近くの高架線下に格安スーパーのビッグAもできていて、あのころこれがあったら買い物が便利だっただろうなと、つい考える。
 あのころは高架下を高円寺駅まで歩くほか、近所を歩くのに馬橋通りもよく利用していたのだが、ただの近所の通りと思っていた場所に、そんな立派な名前がついているとは数年前まで知らなかった。

 聞くところによれば、かって中野駅の次は武蔵境くらいまで駅がなかったころから、ぼちぼちと、駅を増やす話がではじめていたといい、やがて荻窪にも駅ができた。その後に「荻窪と中野のあいだに馬橋駅を」という話が出たのだそうで、そのときにこの縦長な「馬橋通り」ができたのだが、けっきょく馬橋駅は実現せずに阿佐ヶ谷駅と高円寺駅が誕生したのだそうだ。 → 参考 2021.05.16 Urban Life Metro JR中央線まぼろしの駅 中野~荻窪間に計画された「馬橋駅」とは何だったのか?

 で、いまこの馬橋通りは、わたしがよく歩いていた数十年前と雰囲気がさほど変わらず(店が減ったようには思うがもともと商店街という雰囲気ではなかったので、寂れたのではなく「より落ちついた」印象である)、交通量もそこそこで、たまに歩くと味わい深い。

 今日は途中で100円の飲み物を買った以外、まったく出費がないまま帰宅した。たまにはこういう散歩もいい。

TBSの報道特集: オリンピックで1日あたり数千食の弁当を廃棄

 夕方のことだが、テレビを見ていた家族が早足でやってきた。TBSの報道特集で、国立競技場のボランティア分の弁当が大量に廃棄になっている話をレポートしているという。

 わたしは番組に間に合わなかったが、Twitterでだいぶ話題になっているようなので、ひとつをご紹介。

 これは、ひどい。

 無観客の方針になったためボランティアの仕事がなくなり、自宅待機で連絡待ちの人が増えたというのは、何らかの策を検討する余裕があるタイミングで、話題になっていたことだ。もし契約上の問題で弁当が断れないならば、食べるもののない別の場所に配分するなり、何らかの手段は講じられるだけの日数があった。それを、何もせずに廃棄していたということか。

 実はオリンピックの話題を見たくなくて、普段以上にテレビを見ずに過ごしている。開会式はまったく見なかったし、今後も偶然に目にはいってしまうことがないならば、見ずに済ませようと考えている。

 この弁当の話は、ぜったいに忘れない。
 話題になった以上は、明日からは廃棄せずに策を講じてもらいたい。1食も捨てずに、なんとかしろと思う。

EUで、今年が最後になるはずだったサマータイム

 現在のEUでのサマータイムは、10月の最終日曜に標準時間にもどしたのち、それで終わりになる。来年からは1時間時計を早くすることはない——と、聞いていた。2019年に、あちこちのニュースサイトがそう報じていた。

 だが、どうも雲行きが怪しくなってきたようだ。やはり2年程度の準備期間では、人々の暮らしに深く食いこんでいるものを変えるわけにいかないのだろうか。ましてや1国だけの問題ではない。夏時間を廃止するのか逆なのか、それだけを考えても合意形成が難しそうである。
 少なくとも、2021.06.25のブリュッセルタイムズは → Summer time, and the going is anything but easy 延期と書いている。

 また、日本語では朝日新聞も、2021.03.27時点で、同様の意見(ただしこちらもEU本部があるブリュッセルでの話題) → これで最後? EUが夏時間へ 廃止検討するも議論進まず

 いくつか日本語、英語でネット検索をしてみたが、廃止の情報のままのブログ記事も多いようだった。要するに「決まっていない」、「それどころではない」(新型コロナで)、ということなのかもしれない。
 ただ、いずれの国においても「1年に2回時刻調整をするのではなく、どちらかにすればいいのに」という意見は、一般人の意見としてもかなり多いということは間違いなさそうだ。EU全体では84%の人がそう答えたというデータもあるのだとか。

今回の「オリンピック」で、浮き彫りになったもの

 誘致が決まった段階から「せめて10月くらいに変更しなければ、観客や選手の体調不良や、(へたをすれば熱中症で)死者がでる」と指摘されても、組織委員会や政府はアメリカのスポンサー重視のため期日の延期希望すら出さず、その後に何度の不祥事があっても、誰も自ら進んで責任はとらず、昨今のように自分たちの人選ミスに言い訳だけは徹底し、利益があると考える相手には相変わらず忖度する——こんなことだらけの、オリンピックにはうんざりである。

 なかでも、もう絶望的だと思わされたのが、今日だ。オリンピックとは無関係となり役職についていない森元首相が、無観客のはずのソフトボールの試合を観戦したという。2021.07.22 東京新聞 → 森元首相、どんな権限で五輪観戦?ソフトボール無観客試合
 東京五輪・パラリンピック組織委員会の橋本聖子現会長は、前会長の森氏がなぜ観戦したか、いかなる理由と入場手段(関係者用のパスはもらえないはず)でそれが可能だったかに、答えなかった。

 説明する必要がないということなのだろう。
 それで、通ると思っているのだ。
 これを許すわけにはいかない。限度がある。これをさらに追及せねば、この先またいかなることにおいても「特例については、報道陣や一般人にはすべてを話す必要がない」という悪しき前例として、塗り重ねられていくことになる。すでにして、悪しき前例だらけではないか。いい加減にしないか。

 無理やり作られようとしてる「感動」などというもので、人は元気にはならない。逆に、こうしてひとつひとつの事例で麻痺させられていく一般人の心は、この先ずっと停滞していく。希望などない。この先にあるのは民主主義ではなくて「オカミの考え次第」なのだろうと、何度も何度も、泥沼に足をとられていく気分だ。

 怒りすら、無気力に感じさせるほどの横暴。
 このところ何年もずっとおかしいことがまかり通ってきたが、民主主義が力を取りもどすためにも、見えていないふりをするわけにはいかない。