大声を出す前に、ひと息

 ある店で買い物をしていたとき、大声が聞こえた。客の男性が誰かに向かって(あとから考えると店員が相手と思われる)短いが怒鳴りつけるような言葉を、断続的に数回くり返した。

 一瞬、家庭内暴力で女性または自分より弱い人(立場または体力)に怒鳴りつけている延長線上のような、自分がぜったい正しいというイントネーションと感じた。人がいる場であることを忘れて大声を出したのだろう、そのうち我に返るだろうから大騒ぎにはならないかも、と。

 だがどうやら、あとあとの流れを総合すると、事情は微妙に違ったようだ。自身が勘違いをしていたことを指摘されてムッとしたか、あるいは無理を通すために大声を出したということだったらしい。

 その店はメインのレジが入り口近くに2台あり、客はその近くに列をなす。だがその男性は慣れていなかったのか、別の場所にある臨時のレジに人がいるのを見てそこで会計をしようと考えたようなのだ。
 そこは一部の商品を専門的に扱うレジで、レジにもそう書いてあるのだが、メインのレジが混んでいるときには、手の空いた店員が列に並んだ客に声をかけ、そのレジへと、ひとりずつ呼ぶ。それを知らなかったのか、男性は最初からそこに並べば早いと思い、列に並んでと言われて喧嘩になったのでは、と。怒鳴っていた内容もそれで合点がいった。男性は「(これは○○用のレジで)、これは○○(商品の種類)でしょうが!! そう書いてあるでしょうが!!」と、何度か叫んでいたのだ。

 たしかに「ぱっと見」では、その話は理屈が通っている。慣れていない客なら勘違いをするかもしれない。だが普通に考えれば、大勢が列をなしている場所とは違うところに「呼ばれた人だけが移っていくレジ」があったら、事情は察してくれるものだと(店側もその場の客も)思うのではないだろうか。

 普通とは何か、雰囲気を察しない人が悪いのかということまで考えれば、男性の勘違いに問題があるとは言えない。だがその後に「威圧するように怒鳴る必要があったのか」は別の話だ。

 じっと見ていたわけではないが、店員さんはおそらくその男性の分を割りこみで処理してあげたものと思われる(——そうしなかったら怒鳴りつづけていたであろう雰囲気がありありだったのに、まもなく声が止んだからそう推測)。これは、威圧であり、不当な行為であると考える。明文化されていないことであれ、生活における摩擦の少ないやりとりを心がけるという「ちょっとした努力」を放棄した側に、相手を萎縮させるかの意図がまったくなかったとは、考えにくい。相手が勝手によくしてくれた、自分は威圧していないという申し開きは、通らないのではないだろうか。

 こういうちょっとした不愉快な事例が積み重なったとき、威圧された側が今後の摩擦を避けようとして約束事を増やしたり表示を工夫したりしていくことになるのだろうが、もしほんの少しの「むっとしても、こらえる」努力が、ひとりひとりにあったら、人は世の中で減りつつある「ゆとり」を、もう少し長く感じていられるのではないだろうか。