Netflixにて、呪怨 呪いの家

 去年のいまごろ、配信開始されたばかりの「呪怨 呪いの家」を見はじめたのだが、6話中2話で脱落した。
 作品の描く時代の世相を反映しようという意図だろうが、かつての大きな事件をニュース映像のように作品に挟むその内容が、我慢ならなかった。女子高生が性犯罪被害にあったシーンののち、よりによって女子高生コンクリート詰め殺人事件を使った、その無神経さ。
 そのことに、むなしいというよりも、腹が立った。あの事件は、フィクションの一部にニュース映像のごとく一瞬だけ出すような、視聴者に簡単に消費させていいようなものではないし、そんなことをするのは、映像作品を作る態度としてどうなのかと。

 見るのをやめて、忘れていた。

 すると1年経って、ネットに書いた自分のメモが出てきた。作品を最初に見たとき「仙道敦子が出てきた」と、何やらうれしそうに書いていた。あれ、出ていたか…?

 あらためて、この作品を見た人のレビューなどをちらちら見てみた。やはり3話目以降も、その時代でどんな事件があったかのニュース映像もどきを挟む手法は同じだが、作品としては、もしやまとまりがあるようにも感じられるレビューがあった。

 仙道敦子はどんな役だったか忘れてしまっていたが、つづきの4話分(作品のクレジットなどを飛ばして見ればだいたい1話につき22分〜25分程度)を、休み休みに今日ぜんぶ見てみた。

 ああ、なるほど。
 ……ふむふむ、そうか。

 呪怨シリーズといえば伽椰子と俊雄の親子が出てくるものを連想する人が大半だろうが、その後はあの親子の見た目をお笑いのネタにして楽しむ風潮などもあり、最近は「呪怨」と聞いただけで「まだやるの、ネタあるの」的な、軽いうんざり感が否めなかった。

 だが、ほんとうはしっかりした前日譚があるんだぞと、真面目な世界を描こうという意図で作られたものだろうというのは、なんとなく感じられた。

 この作品を世に出したきっかけのひとつには、小野不由美著で映画化もされた「残穢(ざんえ)」、そして何かと話題の不動産事故物件検索サイトらの活躍といった、土地や建物にからむ因縁への関心が高まっているという、風潮の後押しがあったのではないだろうか。

 個人対個人の恨みによる「化けて出てとり殺してやる」といった幽霊話ではなく、より複雑にからんだ「土地に恨みや憎悪が染みついている」、「ここまでくると元から絶つのはたぶん無理」というものを匂わせておくことで、そして説明をすべてするのではなく見る側の解釈に委ねる余地を多くとることで、今後も呪怨ワールドは終わらず、ずっとつづけていくことができる。今回の件で「もっと見たい」と客に思わせられたのであれば、成功なのだろう。

 狙いは、わかった。
 ただ、ストーリーには、あらがありすぎる。

 作中で呪いの舞台となった家は、80年代までに、すでに何人もの人の手に渡っていた木造住宅だ。その後も不吉な噂や事件が絶えないものであっても、格安物件としておけば次から次に入居者があるというのは、ない。ぜったいない。物語は最後に90年代の後半で終わるが、若い夫婦が「安いから」という理由でやってくることは、家の見た目からしても、なさすぎる。

 それから、少しネタバレになってしまいかねないのでぼやかすが、ヨーロッパの石の住宅や、近代の建築でデザイナーに極秘で頼んだのでもないかぎりは、日本の古めの木造住宅で、天井裏の強度はたかがしれている。匂いも音も、温度も湿気も、とにかく、あれはない。

 まぁ、ともあれ、最終話の「時間が混沌としている」という描き方は、ビジュアル的に少し気に入った。
 それから仙道敦子は、やっぱり好きな女優だと再確認した。