「日本には四季があります」という表現

 日本が外国への売り文句として観光情報などによく使う「日本には四季があります」だが、四季のない国はほとんどないのではないかと思われる。ただ、若いころに観光ガイド向け教本を使って英語を覚えてきた人間としては、かなりそれが染みついてしまっていた時期があり、以前はあまり疑問を持たなかった。
 近年になり「四季のない国のほうが少ないのだから、これを宣伝文句としていつまでも使うのは、かえって恥ずかしいのではないか」と思うようになった。

 最近とても気になるのが、日本の内部向けの表現だ。「日本/日本人特有」とか「日本ならでは」とか、ほんとうに外部と比較してそれを使っているのかどうか疑わしく、たんなる「自分たちはこうだ」という思いから発したのではないかと思われるものが多い。

 毎日新聞の最近の記事で、新型コロナへの考え方が変わってもマスクを外す方向になかなか話が進まないことに「日本特有」や「日本人固有」の事情があるとする意見を紹介したものがあった。ひとつを下にリンクしておく。→ 2022.05.01 欧米では着用見直しの動き 日本でマスクを外せる日はいつ?

 欧米に比べ、国内で議論が進まない背景について、大阪大大学院の平井啓准教授(健康心理学)は感染原因を巡る認識と日本人固有の心理が影響しているとする。平井准教授は「海外では感染原因について空気感染が主であるという認識が広まり、マスクの有無にかかわらずウイルス濃度が濃い場所に行けば感染するという意識に変わってきているようだ。だが日本では接触と飛沫(ひまつ)が主な原因とする従来の考え方のままで、感染対策への認識が変更されていない」と指摘する。さらに「日本人の心理として何かしておかないといけないという社会的な規範が広まっており、形式を整えておかないと規範を逸脱するという考え方がある」と分析する。

 つまり、平井准教授の言葉「日本人の心理として、何かしておかないといけないという社会的な規範が広まっており」を、毎日新聞が「日本人固有」という表現にして紹介しているわけだが、社会において規範あるいは何らかの傾向が広まることは、別に日本特有でも日本人固有でもない。どこに国にでも規範が広まることは考えられる。

 何気ないのか意図的なのかわからないが、こういう言葉の選択から、自分たちのいる環境と、これまた漠然とした「欧米」とを対比させて文章を書こうとする傾向が感じられ、それこそマスコミの陥りやすい「型にはめて記事を書く」作業に、新聞社そのものが慣れきってマンネリ化しているのではないかと感じる。