かつて「ウェディング・バンケット」という映画があった

 アメリカで暮らす台湾系の若者たちを描く映画で、1993年ころの作品。わたしは映画館ではなくテレビまたはレンタルなどで見たのだと思う。夜中にひとりで見た記憶だけが残っている。

 台湾の家族に自分が同性愛者だと打ち明けられず、ルームメイトの白人男性がほんとうは恋人だと言えないまま、結婚をせかされる男性。同じくアメリカで、事情があって偽装結婚を望んでいる女性がいるとわかり、形ばかりの結婚をすることになるが——。

 サクサクと届け出をして「ハイ終わり」のはずが、台湾から両親がやってきてしまい、しかも正式な結婚式を望んでいることがわかって、さあたいへん…という話である。

(画像はAmazonから)

 どこの土地でも、いつの時代でも、親にはわかってもらえないからと事実が言えない若者は存在する。この映画では、同居の白人男性(部屋を貸しているオーナーという設定になっている)が、偽装結婚が終われば普通の暮らしにもどれると思っていたのに、中国語しか理解しない夫婦(花婿の両親)と短期間とはいえ同居になったストレス、そして文化の違いで自分が蚊帳の外に置かれてしまいがちな状況に、ついにぶち切れるシーンも。

 とくに「悪い人」というのは出てこなくて、話の軸にあるのは「打ち明けたら親が可哀想」というジレンマなのだ。

 終わり方がいいので、DVDなどで見ることができそうなら、ぜひおすすめしたい。

 これをなぜ思い出したかというと、自分の親や周囲の親世代の人たちに、「意見を言っても仕方ない、疲れるだけ」と思ってしまったり、ほんとうは違うと思っているし相手に腹が立っていても「そのうちいなくなる世代に、いまわたしが意見して嫌な思いをさせても」と思ってしまうなど、そんな経験が増えてきたからだ。

 ほんとうは怒ったほうがいいこと、怒らなければなめられることに対して、「感情をあらわにすると何かされる」という思いが染みついている世代(とくに女性)は、こちらが怒れば「しーっ」やら「怒るものじゃないよ」と言うのだが、それがほんとうにこちらの神経に障ってしまい「あなたたちの世代はそうしないといけなかったのかもしれないけれど、こちらについてまでとやかく言わないでくれ」と、気持ちがもやもやして、爆発しそうになる。
 そして、時代が違ったのだから理不尽だとはわかっていても「あなたたちの世代がもっと言いたいことを言ってくれていたら、いまはもっとよかったはず」とすら、思ってしまうことも。

 言えないことのあれこれ。ほんとうに親世代が世の中から消えるころ、わたしは自由になれるのか、それともまだ気持ちが縛られつづけるのか、わたしにはわからない。

 ただ、自分は誰かに「しーっ」を言わない人間でありたいと、それだけは考えている。
 怒るべきときは、たしかにあるのだ。