12月26日まで、高円寺駅にアンナミラーズ

 高円寺駅改札前の「コレもう食べた?」(旧名:マンスリースイーツ)は、12月1日から26日まで「アンナミラーズ」が登場。パイと焼き菓子が販売されるらしい。

 これはなんとしても、1回は出かけなければ。もうこんな機会がなければ買えないのだから。

 ちなみにアンナミラーズのサイトに書かれているクリスマスのパイは、予約を開始してすぐに枠が埋まったとかで、高円寺駅には登場しないと聞いている。

大声を出す前に、ひと息

 ある店で買い物をしていたとき、大声が聞こえた。客の男性が誰かに向かって(あとから考えると店員が相手と思われる)短いが怒鳴りつけるような言葉を、断続的に数回くり返した。

 一瞬、家庭内暴力で女性または自分より弱い人(立場または体力)に怒鳴りつけている延長線上のような、自分がぜったい正しいというイントネーションと感じた。人がいる場であることを忘れて大声を出したのだろう、そのうち我に返るだろうから大騒ぎにはならないかも、と。

 だがどうやら、あとあとの流れを総合すると、事情は微妙に違ったようだ。自身が勘違いをしていたことを指摘されてムッとしたか、あるいは無理を通すために大声を出したということだったらしい。

 その店はメインのレジが入り口近くに2台あり、客はその近くに列をなす。だがその男性は慣れていなかったのか、別の場所にある臨時のレジに人がいるのを見てそこで会計をしようと考えたようなのだ。
 そこは一部の商品を専門的に扱うレジで、レジにもそう書いてあるのだが、メインのレジが混んでいるときには、手の空いた店員が列に並んだ客に声をかけ、そのレジへと、ひとりずつ呼ぶ。それを知らなかったのか、男性は最初からそこに並べば早いと思い、列に並んでと言われて喧嘩になったのでは、と。怒鳴っていた内容もそれで合点がいった。男性は「(これは○○用のレジで)、これは○○(商品の種類)でしょうが!! そう書いてあるでしょうが!!」と、何度か叫んでいたのだ。

 たしかに「ぱっと見」では、その話は理屈が通っている。慣れていない客なら勘違いをするかもしれない。だが普通に考えれば、大勢が列をなしている場所とは違うところに「呼ばれた人だけが移っていくレジ」があったら、事情は察してくれるものだと(店側もその場の客も)思うのではないだろうか。

 普通とは何か、雰囲気を察しない人が悪いのかということまで考えれば、男性の勘違いに問題があるとは言えない。だがその後に「威圧するように怒鳴る必要があったのか」は別の話だ。

 じっと見ていたわけではないが、店員さんはおそらくその男性の分を割りこみで処理してあげたものと思われる(——そうしなかったら怒鳴りつづけていたであろう雰囲気がありありだったのに、まもなく声が止んだからそう推測)。これは、威圧であり、不当な行為であると考える。明文化されていないことであれ、生活における摩擦の少ないやりとりを心がけるという「ちょっとした努力」を放棄した側に、相手を萎縮させるかの意図がまったくなかったとは、考えにくい。相手が勝手によくしてくれた、自分は威圧していないという申し開きは、通らないのではないだろうか。

 こういうちょっとした不愉快な事例が積み重なったとき、威圧された側が今後の摩擦を避けようとして約束事を増やしたり表示を工夫したりしていくことになるのだろうが、もしほんの少しの「むっとしても、こらえる」努力が、ひとりひとりにあったら、人は世の中で減りつつある「ゆとり」を、もう少し長く感じていられるのではないだろうか。
 

たかかフォント、されどフォント

 アップデートを躊躇していたiOSを、ついに16.1にした。とくに問題もなく快適…と思ったが、ロック画面に出てくる時計のフォントが気に入らない。気にするまいと思ったが、かなり我慢ができない状況になってきて、変更することに。

 ところが、そうは問屋が卸さなかった。

 iOS16になってから設定したロック画面やフォントであれば、あとからいくらでも変えられるらしい。だが以前から設定している古い画像を使いつづけたい場合は、その画像でいったん壁紙を新規登録をしてフォントを変更、ということのようだ。

 だが…わたしが大昔から同じ猫画像をロック画面に使っていて、それを変えたくない。これまでのロック画面の猫画像は手元にあるのだが、大昔すぎて、画面の縮尺が違うiPhoneでサイズ合わせをしたものが代々引き継がれているので、いま同じ画像をXRで読みこんでも、猫がかなり大きくなってしまう。体がちょうどよいバランスで表示されている現在と、顔や上半身が大きめになってしまう新候補…現在のものがいい。

 なんとか猫画像をサイズ調整してiPhoneに読ませ直しすることができれば、同じ雰囲気でフォントを変えることができるが、まったく同じにするのは難しいだろう。

 これまでの猫を尊重するなら、嫌いなフォントで時計を見る。
 フォントが耐えられないならば、同じ猫でも慣れていない大きさ(顔がややでかい)にする。

 さあ、どちらだろうか。

 さらに、起動後のホーム画面に使っている和柄の背景もかなり古くて、同じ画像がどこかに残っているかどうか不明。時計のフォント変更のために、ホーム画面の画像も変更しなければならない。

 ……考えに考えて、けっきょく、現在のものと、新しく作成したものを2種類入れておき、どちらがより耐えられるかで今後を考えることにした。

Plan-B(プランビー)は大事: パン酵母の話

 この何週間か、そしてとくに11月中旬くらいには、パンが焼けなくなっていた。酵母の調子が悪かったのだ。夏まではあれほど調子が出ていて、田舎の親にもパンを頻繁に送りつけていたほどだったのに、同じ手順を踏んでいるつもりでも酵母に元気が出ない。無理に焼いても案の定まずい。

 仕方ないので作りかけていた酵母は処分し、新しく作り直すことにしたのだが、そこでもうまくいかなかったらわたしの気分はもう浮上しないことだろうと、予備手段として数年ぶり(おそらく10年ぶりくらい)に、市販酵母を買ってみることにした。使う使わないはともかく、焼けないほどに不調になったときにはこういうものがあるというのが、心の支えになる。

 購入したのは富澤商店に在庫があった、こちらのパネトーネマザーと、とかち野酵母。
市販酵母(パネトーネマザー、とかち野酵母)

 パネトーネマザーは、記憶にあるかぎり10年くらい前までときどき使っていた。自家製酵母の調子がいまひとつのときに、パネトーネマザーでも中種を作って自家製酵母と混ぜて使ったこともある。匂いがよいので信頼していた。
 とかち野酵母も、以前に使った。こちらは匂いがあるが、発酵が簡単だったような記憶がある。割高でも分包タイプにした。袋タイプでは1回使えば残りが劣化してしまう。

 そのほか、家にたまたまヨーグルトが多めに買い置きしてあったため、一部に少し牛乳を足して発酵させ、かさ増しをしてからヨーグルト酵母に使ってみた。こちらは1回目はいまひとつの仕上がりだったが、もう少し寝かせてから再挑戦したところ、膨らみが改善された。
 さらには台所の隅から「使用期限が5年も過ぎたヨーグルトの種菌粉末(未開封)」が出てきて、そちらでも牛乳と混ぜて実験をしたところ、分包でまったく空気に触れていなかったせいか、菌が生きていた。こちらもパン酵母として育ててみるつもりだ。

 さらに、別酵母。
 初夏から夏にかけてたくさん作ったレモンシロップの残り(液体をとってしまった残りのレモン本体)を冷蔵庫にたくさん保管してある。それをほかのものと一緒に水に入れて酵母を取ってみることが多かったが、それがこのところうまくいかずに、挫折していた。
 そこで今回は「本来なら用済みのレモン本体なのだから、料金が高くなってきたレーズンを混ぜたらもったいなさすぎる。それなら、普通は食べない林檎の皮をたっぷり入れて酵母を実験してみたい」ということになり、安いリンゴを探していたところ…

 クックパッドマート(スマホで注文して、専用ロッカーの設置してある最寄り店まで取りに行くスタイルの通販)に、「目安として5個前後、訳ありリンゴ」と書かれていたものがあり、格安だったので注文してみることに。すると受け取り先のロッカーにあったのが、こちら。

格安のおまかせリンゴ、1袋分。

 右端のミネラルウォーターは、300mlくらいの小さめボトルである。隣に見える小さめかぼちゃサイズのリンゴは、750gあった。3個分である。これひとつの皮を、使用済みレモンと水を入れていた瓶に追加。水も追加した。発酵しれくれるとよいのだが。

 この750gのリンゴは、ざく切りにしてレーズン、砂糖、蜂蜜で加熱し、最後にラム酒をかけて寝かせて、ヨーグルトを食べるときの具材にした。

 それにしても、ミニサイズも含めてあと4個のリンゴが残っている。なんとかしなければならない。

 市販酵母を買ったことで「もし酵母がうまくいかなくても次の手(プランビー)がある」という気持ちになり、物事が少し明るく考えられるようになった。願わくばこのまま市販酵母を使わずに自家製酵母だけで突っ走りたいところだが、無理に期待をかけて自分を追いつめることは、やめておこう。気楽に、気楽に。

現物支給、クーポン配布…

 この国で過去に何度もあった「クーポン券配布」(紙の費用や各種手数料の発生、そして事務費、郵送料がかかるというのに)やら、今回の大阪府吉村知事のように「18歳以下の子がいる家庭で、子ひとりにつき10kgの米を支給」という話などを聞くにつけ、なぜ余計なところで金がかかるものを選びたがるのか、理解に苦しんでいる。

 金額の面からだけ考えても、米の運搬費用、それにまつわる事務費と人件費など、多額の手数料が飛んでいく。

 そしてまた「米だけあってどうするんだ」という話でもある。戦前の日本人の食生活では、成人はひとり1食につき茶碗3杯を食べていた(おかずは塩辛いものを中心に少しで、米飯で腹を満たしていた)という話も聞いたことがあるが、現代ではそれはない。米だけ食べる人はいない。米飯や米由来の食品(餅ほか)が好きなわが家であっても、全体的に計算したらおそらく小麦由来の食品(パン、麺類など)の消費量のほうが、超えているような気もする。

 さらにまた、日本人ではあまり多くないかもしれないが、米に対するアレルギーも存在する。当事者に選ばせもせずに、押しつけはどうなのだ。

 吉村知事の発想にあるのが「日本人なら米だろう」という、懐古主義。そして、大きなものを行政が配るという、ビジュアル的な意味での「がんばってる感の演出」ではないだろうか。

 現金がもっとも柔軟性が高いが、もし現金を配るのに行政として抵抗があるなら、ほとんどの家庭が払っている料金や税金を「○月分は不要」とするなど、できるだ手数料が生じずに人の手間もかからない方法を考えてもらいたい。

 クーポンや現物配布というのは、いわば、せっかく大きなソーラーパネルで発電し、蓄電したものを、すぐ使わずに中サイズのバッテリーに分け、さらにそこから個々人のモバイルバッテリーに小分けチャージしているような印象である。それぞれの場所で電池にロスが出て、個々人のバッテリーとして渡されてもすぐ使わなければ自然放電。とにかくもったいない話だ。

 手数料や事務負担を減らすことだけでも、まずは考えていくべきである。

東京駅は、人がいっぱい

 短時間の用事で東京駅へ。長年の習性から食品売り場(とくに甘いもの系)はざっと見たし、東京駅すぐの大丸にも寄った(こちらも食品売り場のみ)。それにしても、なんでもない普通の金曜のはずだが、やたらと人がいた。

 急に気温が上昇して感じられ、汗ばんできたため(わたしはときおり空腹時などにこれが起こり、運が悪いと体調不良になる)、休もうかと考えた。ひとりでも気安く入店できるのは知っている店だなと…東京駅一番街の「みはし」に寄ろうと思ったところ、通路にまで10人ほど立っている。なぜだ、どうした。普通の金曜日ではないのか。

 それならばと、いそいで駅にもどって中央線ホームに移動し、始発の電車で空席に座った。高円寺にさっさと帰ってしまえば、電車の中ならばたとえ具合が悪くなっても「降りたら高円寺」なのだから、気合いでなんとかなるだろう…という作戦だ。ところが電車内でうとうととしているうちに、体調がよくなった。新宿を過ぎたあたりからは問題なく、高円寺に着いてからも「これなら買い物をしてから家に帰れるぞ」というほど元気に。

 駅の横の東急ストアで食品を仕入れる。

 東京駅界隈ではどれほどめずらしい、もしくは高級な菓子類があろうと、気分がいまひとつだったことや「高いな〜」という印象で買おうと考えなかったのに、元気になると違う。東急には普段はないのになぜか今日は置いてあった六花亭のイチゴチョコ(フリーズドライのイチゴにチョココーティング)やら、九州の菊家の「あんバタまん」やら、カゴにどんどん入れていく。うっかりカスドースまで入れそうになって買いすぎと気づき、思いとどまった。そのほかにミニサイズの弁当も。

 帰宅し、水分を補給。そして汗ばんで冷たくなった服を急いで着替えて、ホットミルクとミニ弁当である。生き返った。

 もうまもなく12月。そして年末である。月日が経つのは、おそろしや。

海外からの被仕向送金の思い出

 20年くらい前だろうか。まだマイナンバーだ本人確認だという話がなかったころ、外国から数万円分のお金をもらえることになった。そのころはまだ都内のあちこちの銀行で外為窓口を置いていたので(いまでは普通の窓口ですら縮小してATMを多めに設置していることを思うとパラダイスのようであった)、近所の銀行で手数料について聞いてみた。

 相手が手数料を上乗せした額で小切手を送ってくるというのだが、いくらくらいの手数料を相手に伝えればいいのか…? すると、その窓口の人は最低でも2種類ある手数料のうち(外国と日本のあいだを中継する銀行が取る手数料と、国内でその銀行が取る手数料)、どちらかの分しか教えてくれなかった。あるいは都心でもない近所の銀行だったので、めったに取り扱いがなくて知らなかったのかもしれない。

 わたしは教えてもらった金額をもとに、その外国の会社に数千円分くらい多めに金額を伝えて、小切手を出してもらった。
 小切手が日本に到着。それを銀行に持っていって口座に入れてくれと頼むと、受理してもらえた。

 半月後くらいだったか、銀行からお知らせの封書が到着。入金があったので、その明細だという。
 ……えっ?
 ………手数料、めちゃくちゃ増えてるじゃんか〜。
 驚いたあまりに、苦情を言おうかと考えた。そこでまずは確認を兼ねて銀行に電話したが、そういう電話を想定していたのか、練習したかのごとく早口にだだだーっと解説をされた。そこでわたしは「あなた事前にそれ言ってないじゃんかー」と、言うのをやめてしまった(←言ったところで勝ち目はなかっただろうが、わたしのへたれ具合がこうして露見)。

 あ〜、あのときの悔しさ。いくら取られたんだったっけ。3000円以上?

 さてそれから時は経ち、2022年の晩秋である。

 いまは中継手数料がどうなっているんだろうか、もう少し明快になっているかなと、外国からカネをもらえそうなアテはないのだが何気なく検索してみると…変化なし。

 ○ 中継銀行の手数料がいくらかかるかは不明で、それはほとんどの場合が受取人の分から引かれる(仮に相手の支払いに手数料を上乗せするよう依頼しても、現地の銀行がそれを認めない場合があるとのこと)。そんな不確定なことでは、やっていられない。
 ○ さらに日本国内で、めちゃくちゃ手数料を取る!! (基本が2500円以上で、日本円にするかしないかを含めてさらに外為の手数料がある)
 銀行や口座の種類によっては手数料が「やや」安い場合もあるようだが、どこも(その銀行への手数料のみで)数千円単位であることには違いない。

 個人間や小規模なビジネス用であればPayPalもあるようだが、あからさまに大きな手数料が請求されないだけで、随所に手数料がはいっている模様。また、以前に説明を読んだ際には、全体的にわかりづらい(すんなり頭にはいらない)印象を受けた。そしてもちろん「送金する側される側の両方がPayPal会員である必要がある」というのが大前提。

 SBI Remit(エスビーアイ レミット)のように、送金の仲介だけを目的としたサービスや、以前から名前は聞くWise(ワイズ)というサービスも、手数料が低いことで知られている。

 ただ、前者は銀行ではないので、送金したい金額を提携ATM経由で入金する必要があるらしく(送金に使う以外のカネを預かっておくわけにはいかないということらしい)、入金があったら指定口座にすぐ出金してくるそうだ。だが同じ日に少額な入金が10回あっても1件単位で手数料を取るというから、やはりある程度の金額を想定した、大きめビジネスが適しているのだろう。

 後者のWiseは、日本円での入金に関しては日本の窓口に口座を持ってそれを受取口座に指定することができるが、外国通貨でのやりとりには、もしかすると複数の海外Wise口座を持つことになるのかもしれない…?

 受け取り時に日本円にしてくれなくていいので現地通貨のまま口座に放りこんでくれたらいいのにと、わたしが口座を持つSMBC信託銀行(SMBCプレスティア)でも説明を読んでみたが、つねに1000万円以上の金額を預けている顧客でないかぎりは、そこそこ手数料は取るようだ。もちろん中継銀行の手数料を引かれたほかに、だ。

 外国としょっちゅう商売をされている方々は、どんな送金(仕向/被仕向)をご利用なのか、ちょっと興味がある。

猫写真を見ると気分がよくなる

 マストドンを開始し、何をフォローしたら楽しいかと考えて、猫写真のタグ、言語やDuolingoのタグ、食べ物のタグなどを指定してみた。

 マストドンに使っているブラウザのVivaldiがiOS版を出していないため、もっぱらMacのVivaldiでマストドンを見ているわけだが、立ち上げるたびに猫の写真がたくさん出てきて、和む。寝ているだけの猫、足先のアップ、あるいは眼力するどい表情など、どれをとっても猫は愛らしい。

 犬も嫌いではないが、やはり猫派である。

 アレルギーなどの理由を除き、猫が嫌いと公言している人をあまり知らない。もっともわたしが猫好きと知っていれば、うっかり猫が嫌いとは言えないのが人情かもしれないが、いままでほんの数名しか、猫嫌いの人に会っていない。

 数が増えればいいというものではもちろんないものの、猫がさらに世の中で活躍したら、殺伐とした世相に少し変化があるのではないかと思う。

 ちなみに当時はデジカメがほとんど出がけの時期だったこととクラウドに保存ではなくメディア保存(いまは亡きフロッピーなど)だったため写真を手元に持っていないが、田舎で飼っていた猫はシャム猫だった。

シェアサイクルが近所にも増えてきた

 このところ近所の共同住宅脇や軒下など、ちょっとした路地で、大きなロッカーのようなものが設置されているのを見かけることが増えた。中にヘルメットのようなものが見えたので注目していると、どうもシェアサイクルのポートらしいとわかった。

 以前はそういうタイプよりも、民間駐車場の隅を業者が借りて自転車を何台かずつ(露天で)置いているサービスがあったが、たたんで小型にしたものをロッカーに入れたほうが省スペースだし、盗難の危険や汚れの度合いも軽減されるのかもしれない。

 つねづね疑問に思っていたのだが、あのシェアサイクルというものは、乗る場所(自宅周辺)のポートからは自転車が消え、便利な場所(駅前や都市部など)で返却したいがポートがいっぱいで返却できない…ということが、頻繁にあるはず。乗った場所にそのまま返しにくるケースよりも、便利な場所に乗り捨てたい人のほうが多いだろうから、そのバランスをどうするのだろうか。

 自転車を元の場所にもどす係の人ががんばっても、タイミングによっては「借りられない、返せない」があるのだろうな。

 思えばわたしが最後に自転車に乗ってから 15年くらい経っている気がする。はたして乗れるのだろうかという素朴な疑問が、いま頭に浮かんだ。

頭と体のどちらで決まるのか

 悪い予感が的中したとき、やはり自分はすごいと思うのか、あるいは「わかっていたのに回避しなかったアホ」と思うかは、微妙なところである。

 わたしは桐野夏生の作品を読むとのめり込みすぎて体調を崩すというジンクスがあり(といっても数回だが)、今回もだいぶ迷ったあげくに「せっかくやっていたことに区切りがついたから、買って読もう」と、前から読みたかった桐野夏生作品をKindleで買ってしまった。

 15年以上前にわたしが桐野夏生の「グロテスク」を読んでいた時期に入院した話は、過去ブログへ。

引き寄せ合うもの

 そして今回わたしが「読んでみたかった〜、今回は体調を崩すなんてことはないだろう〜」と買ったのが、こちらのkindle本(リンク先はAmazon)

 出版の際に未収録になっていた短編をまとめて文庫化することになったとき、編集者に「奴隷の小説ばかり」と指摘されて、それでタイトルが「奴隷小説」になったという。

 読みたかったのだが、体を壊すか壊さないか、かなり微妙なラインだったので昨日まで買わなかった。そして買ってひと息に読んだ。桐野夏生はやはりすごいなぁ、とことん怖くしないで匂わせて終わるんだ、なるほどなるほど…と、そのときはなんとも思わなかったのだが、今朝から体調を崩して、夕方近くまで「復活できるのだろうか」と、考えた。

 まあ、ものを読んでも感情移入しすぎることのない人は、大丈夫である。それにわたしもつねづね「悪夢が原因か、体調が悪くなることを体が知っていて悪夢を見させるのか」と考えて結論が出ずにいるが、今朝もまた、すごい夢だった。

===== 見た夢のあらまし =====
 家に、わりとちゃんとした服装の中年男女(セレブっぽいと思ってほしがっている雰囲気)がやってくるが、話の内容が怪しい。わが家に誰かがとても大事なものを置いていったので自分たちがそれを探して持って帰るという。知らない人たちを家に上げることはありえないので、いったいそれはなんだというと、自分たちが部屋にはいって探してみて、そのとき「あっ、これだ」とひらめきを感じるので、まだ自分たちもそれがなんだかわからないし、言いたくない、という。

 思いっきり怪しいので帰ってもらおうとすると、そこでいきなり「セレブっぽい雰囲気を演じてみたかったけどやっぱり悪人なのだぴょん」という具合に凶暴になり、うちの家族が(身体的に)傷つけられてしまう。驚いたわたしに、家族が手で逃げろと合図をしたので、別室にはいってスマホで警察に通報。するとまもなく警察がやってくる。
 それから、どう考えても名医が10人もいたのでないかぎり命が危なそうに見えていたうちの家族が、救急隊員らしき誰かに応急措置をしてもらって、わたしと同じ部屋にくる。

 奇妙なのはそこからで、悪人なのだぴょんのふたりがまだ部屋にいて何かをあさっているのに、警察も、それ以外の人たち(誰だったんだ)も、じっと見ていて逮捕をしない。わたしが「逮捕してくれないんですか。出てってもらいたいんですけど」と言うと、もごもごと何かを言う。それを総合すると、その人たちが何を探しているかを確認して、背景がわかったら逮捕するのだそうだ。そう書くと聞こえはいいが、どうも「見つかるものが金目のものだったら、自分たちが取り上げよう」と思っている気配。

 すると、どう考えても死にそうだったはずなのにいまは普通にしている家族が、「この電球チカチカするね〜」と元を確認したところ、そこにUSBメモリのようなものを見つける。わたしたちはとっさに、何も見つけていなくて何も変わったことが起こっていないふりをしつづける。

 やがて、やっとそのセレブっぽいふりをしていた悪人だぴょんを、警察がどこかへ連れていく。そのとき警察もさんざん待ったのに美味しい話にならなかったので「この人たちがどれくらい留置されるかはわかりませんが、仲間がいるといけないし、用心はしてください」と言う。でもわたしたちは「警察も怪しいから油断できない」と考える。

 そこで、見つかったUSBをパソコンで確認するのだが(ちゃんとスタンドアロン型のパソコンでやったんだろうなと、夢の中のことなのにいま心配になった)、書くまでの半日でだいぶ記憶が薄れたが、何らかの手続きをするとカネ(昔風に書くなら現ナマ)が手にはいるとわかる。

 家族と相談する。わたしは「ヤバい問題だったら命にかかわるね」と言う。だがよく考えればそんなヤバいものをなぜ、誰が、いつ、人んち(つまりわが家)に置いていったのか、そのほうがよほど失礼で、被害者はこちらだからカネくらいもらってもいいのではという話の流れになっていく。

 そのあと、カネをとりにどこかに出かけるシーンがあったように思うが、そこで目が覚めてしまったのか、書くまでのあいだに半日あったので忘れたのか、とにかく話はここで終わる。
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 その夢を見たあと体中が痛くて、しかも胃腸もおかしくなり、あまり飲み食いしないほうがいいかということで、昼食も遅らせ、時間をかけて様子見。夕方近くになって大丈夫ということになり、散歩して、夕食も食べた。

 これでもなお、おそらく桐野夏生作品を読んで実験してしまうのかもしれない。