気づけば、雑然としたウェブサービスが消えていた

 インターネットが盛んになる前のパソコン通信時代に友達を作ったせいか、ずっとネットに顔を出してきた分だけ、実は変化に疎かったのかもしれないと思う。

 目的もとくになく、だらだらと何かを書いている人たちの場所が、気づけばほとんどなくなっていた。

 現在の投稿サービスのサイトには、目的化や、収益を目指すなどの文言で利用者を集めるものが多い。要するに「ゆるくない」のだ。
 なぜ、ゆるさがないか。サービス提供側として考えてみよう。
 投稿をさせる前に規約を読ませ、何かあったら自分たち(サービス提供側)の責任になってしまうかもしれないと、利用者をそれとなく牽制して、自分たちの求める利用者像と作りたいコミュニティいうものを、最初から強く出していることが多いのではないか。それを見た利用者は、参加する前に気が引けてしまう場合もあるかと思う。

 たとえば note.com は、その雰囲気にどっぷり浸かることができる人や、なんとなくの「お作法」めいたものへの順応、もしくは「いつかはプロになりたい」といった意欲がある人には、居心地がよいかもしれない。だが、そこから外れる人は、居場所を感じなくなっていく。だらだらと何かを書きたい人は、自分たちが利用者像としてカウントされていないのではと考えることもあるようだ(←周囲の数名の方々の意見に基づく)。

 また、小説投稿サイトというものも複数あるが、どうも「小説」、「フィクション」というものを念頭に置いているほか、運がよければメディアで取り上げられるかもしれないという売り文句で人集めをすることもあり、これもやはりnote.com同様に、まったく「ゆるくない」。

 もともとこうしたサイトは若い年代の利用者が多く、自分のように中高年が出る幕はないのだろうが——。それにしても、街がすべて目的ある施設ばかりではないように、だらっとただ歩くだけの人がいてもいいという余裕が、あってもいいように思う。

 日記投稿サイト(個人ブログのレンタル)も以前からあるが、サービス提供数は減ってきていている。大手では「はてな」、Google運営の「Blogger」などがある。だが大手であってもサービス終了予定を発表している事例もある(例: ビッグローブ提供のウェブリグログ)

 個人情報などのセキュリティや、参加者や内容の管理しやすさを考えれば、自由にあれこれ雑談をしてもらうために空間は提供できないという判断もあるだろう。人件費や費用対効果といったことで考えれば、サービス終了も無理がないことかもしれない。一例をあげれば、広告費などでカネにはなるかもしれないが、いわゆる「ヤフコメ」などのトラブルは、運営会社にしてみれば頭が痛いはずだ。リスクをとるか、カネをとるか、である。

 減っていくことは無理もないと思いつつ、それでも「だらだらと人がただ集まれる場」というものは、何らかの形で今後も存在しつづけてくれたら、ありがたいと思う。多少は息苦しさを感じずに済むかもしれないと、そんな風に考えている。