「訓令式とヘボン式」に思う

 小学校高学年で「国語」としてローマ字を教えるときは、現在でも訓令式らしい。だが世の中での浸透度はヘボン式である 2022.10.01 jiji.com → 「Aiti」より「Aichi」 ローマ字表記、ヘボン式が多数―国語世論調査

 訓令式は、英語圏のアルファベットが日常にも大きく影響している日本の現状から考えて、実際の発音との乖離が多々あると考えられるが(*1)、いっぽうで「なんでもかんでも英語圏の人に読みやすい表記を心がけるより、日本人が日本語を表記するのに関して独自の約束事があってもいいのではないか」というのも、うなずける話である。

(*1) たとえば si という文字を見たら、英語に慣れている人は「スィ」と読むが、訓令式ならば「シ」の音となる。

 中国語の発音を表記する方法である「ピンイン」は、英語的なスペルの感覚で読むと音が違うのだが、全世界で何十億も話者のいる中国語は、英語圏におもねらずこの独自路線をつらぬいている。
 これは最近わたしがDuolingoで学んでいるスラブ諸語やアラブ語にも通じることだ。Duolingoでの学習は、すべて画面に実際の文字を出し、音を聞かせて、あとは覚えろ——である。アルファベットでの読み方などは添えてくれない。

 この方式で考えるなら、日本語を教える側は日本の文字を出してひたすら発音を聞かせ、それでわからないならば誰かわかる人にでもアルファベットで読みを振ってもらってくださいというくらいに、強気に出るのもひとつの手である。

 自分の側にあるものを外に向かってどんどんと見せていくという発想にとぼしく、江戸時代に鎖国を経験して文明開化の波におろおろした日本人は、その後もローマ字を使って「日本語を」、「外部に向けて表現する」必要性を、あまり感じずにいたのではないだろうか。
 訓令式にももちろん歴史はあるが、アメリカ出身のヘボン氏により「ヘボン式」の土台が作られ、さらには第二次大戦後にアメリカに占領されて(アメリカ人に読みやすい)ヘボン式が重用されていくうちに、現在のように表記が混じった状態になってしまった、とわたしは推測する。

 だが多くの人が使ってくれないからという理由で訓令式をやめるというのは国としてありえないので、二種類あって面倒ではあるが、今後もずっと混在はつづくのだろう。

 外国語で姓名を読み上げるときも、中国や韓国は姓名の順を自国内と外部で変えていない。だが日本は外国では姓名を逆にするという方針になっている(——これまで何度か政治家や識者が姓名の順については意見を語っているが、まだ基本的には逆にしている)。なんでそこまで相手に合わせるのかという気持ちをいだく人がいても、無理からぬことだろう。

 こういう「なんとなく開始され、ずっとそうなっている」という曖昧なものが、日本では「様子見」という塩漬けのような情況下に置かれ、だらだらとつづいていくことがある。熟成されるものが美しいか美味かは、わたしにはわからない。さっさと決めてしまえば単純である話も、中にはあるような気がする。