外来語の最後にある濁点(例: ベッド)の話

 かつて中高年(現在の高齢者)らの会話でよく感じていたし、古い本や雑誌などでもあったと思うが、ベッドをベットにしたり、グッド、バッド、の意味ではないかと思われるところでグット、バットと使っている事例が多々あったように思う。おそらく日本語の会話では、最後が濁点という名詞が多くなかったのか、つられて濁点をとってしまったのかなという想像をしているが、実際のところはわからない。

 ところが、ほぼ同じくらいなのか、あるいはもう少しあとなのか、逆も出てきた。濁点がないものに濁点をつけるか、もしくは混乱して確認しないまま、付けたり付けなかったりする例なのだ。現在はそんなことはないだろうが、かつては「人間ドック」を「人間ドッグ」という人が、いたそうである。実際に今日はネットで、人間ドック関連の情報サイトにひとつドッグが紛れこんでいるのに気づいた。かなり目立つ場所だが関係者は気づいていないようだ。

 意味やスペリングを確認せずに耳から情報を得てしまうと、文字にするときに混乱するというのは、たしかにあるかもしれない。

 外来語としてバ行の表現で問題ないのに、ヴァ行にしてしまう人をたまにお見かけする。この例はわりと新しいが、おそらく誰かに「日本人はカタカナでバ行にしてしまう人が多いが、ほんとはヴァなんだよ」と言われて、確認せず本気にしてしまった可能性もあるのだろうか。同様に、ハ行でいいのにファ行にしてしまう事例もある。

 そうこうするうちに、スペリングを知った上で発音をそこから想像し、そのままカタカナに当てはめる時代になってきた。かなり定着してしまっている事例としては… baked cheesecake がある。英語の発音をカタカナで表現するならベイクトであり、ベイクドではないのだが、ベイクドチーズケーキと書いている店やグルメ記事が大半だ。客がベイクドで検索をかけてくるところに自分がベイクトと書いて売り上げを落とすよりも、ベイクドにしてしまうといった事情もあるのかもしれないが、これからベイクトが主流になることは、まずないだろう。

 濁点の話ではないが、カタカナ人名などにおける「チ」が「ティ」になるのは、だいぶ定着してきた。わたしが子供のころに、マーチン・シーン、トニー・カーチスと書かれていた彼らは、現在「マーティン」であり「カーティス」である。チの表記をほとんどお見かけしない。それにGoogleもこちらの入力文字が「チ」であっても、問答無用で「ティ」扱いをしてくれる場合がほとんど。

 こういう話をもう少し専門的に整理されている方の文章があったら読んでみたいものだが、今日のところは、とりとめもなく。