映画「ビバリウム」(2019)

 カタルシスのない映画をまた見てしまった。

 若いカップル(ジェンマ、トム)が家を探しに不動産屋に立ち寄る。何やら物腰や言動がやや不自然な(満面の笑みはぎこちない)マーティンという社員が「いまから見にいってみませんか、車でうしろをついてきてくれたら案内します」と声をかけてきた。

 見るくらいならとついていくと、広大な土地に何十軒、何百軒と同じ間取りの家が建てられた場所に到着。内部をざっと見て帰ろうかと思うふたりの前から、案内人のマーティンが消えていた。

 そしてふたりはその日から、どうしても脱出することができない広大な街(無人)に閉じこめられることに。

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 届けられる食品には味がなく、事情がわからずにストレスが溜まるふたり。数日後、トムは故意に家を燃やせば誰かがやってくると考え、とっさに実行に移すものの、家は復元されてしまう。そしてふたりの前には、いつも物資がはいっているのと同じ箱が現れたが、出てきたのは乳幼児の男の子だった。メモには「育てたら解放する」と書かれていた。

 数ヶ月単位でみるみる成長していく男の子。気がおかしくならないようにと庭を掘ることにしたトム。いやいやながらで、愛情を感じているわけではないが、男の子を育て教育するジェンマ。

 ——怖いというよりは、気持ちが悪い話である。この「送られてきた男の子」のうち、少年時代の数ヶ月を演じた子役が素晴らしい。これほど異色な演技を披露してしまったら、今後はこういう役ばかりきてしまうのではと、他人事ながら心配になってしまった。

 話は、救いがない。
 ストーリーが何を意味しているのかは、わかる。解釈が謎のまま残るというものではない。
 だが、その通りであるならば「これって誰得な話なんだろ」ということになる。実際のものと比較したとき、モデルになった世界は「誰かが得をするためにこんなことをする」のだが、この映画では、これだけ救いのないことをしておいて、誰も得していない。得でもないのにこんなことを仕込むという点では、釈然としない話だった。

 自分で明るい映画を選ばない傾向があるといっても、ここまで暗いものにつづけて当たると、たまには気が滅入るというものだ。