最初の記憶

 わたしには古そうな記憶がふたつある。

 ひとつの古い記憶は、3歳ころらしい。わたしは市内のある場所で母が挨拶していた幼稚園の園長先生に、話しかけられたのだ。「何歳なんですか」と園長先生が言い、「再来年にお世話になります」と母が答えていた。再来年という単語が幼児の耳に残るとは思えないから、それは別の言葉だったのだろう。だがのちに母にこの話をすると驚いていた。3歳だったらしい。話しかけられた場所も、園長先生の着ていた服も、よく覚えていた。

 もうひとつは、時期もわからない。もしかすると1回見ただけの風景ではなく、いくつもの同じシーンが頭にこびりついて絵になってしまったのかもしれない、オレンジ色がかった田舎の道だ。わたしの生まれた家は水田に囲まれていて、田んぼの向こうにやや立派な道が伸びていた。道の向こうはまた水田と、そして山だ。

 道は町の方角から山奥へとつづき、家の周辺しか知らない幼少時のわたしに「外の世界」を感じさせるものだった。大げさかもしれないが、思い出す頻度を考えると、あれがわたしの「原風景」なのかもしれない。

 その記憶では、町の方角から山奥へと、小さな車がゆっくり移動していた。それが秋だったのか、あるいは記憶が写真のように色あせたのか、ぼんやりとオレンジがかった風景だ。
 わたしは当時その家にあった縁側か、縁側の外にさらに延長でひなたぼっこができるよう親がしつらえてくれた台の上で(ほんとうは布団を干すなどの目的で登場する台であったが、わたしが勝手にそこで遊んでいた)、その景色を見たのだと思う。
 小学校や中学校の図画工作で絵を描く宿題が出ても、よくそのあたりを描いていた。

 わたしはやがてその道を町の方角に下って高校へと通い、その後は東京に出てきて、人生の大部分をここで過ごしている。
 家はその後に建てかえられた。
 周囲の水田の多くは現在ソーラーパネルが設置され、当時の面影はなくなってきた。

 どれほど些細な日常のスナップ写真でも、撮っておいて損はないはずと、いまにして思う。ソーラーパネルだらけになる直前の水田風景でジグソーパズルを作ってあげようかと母に伝えたが、どうも写真でパズルという意味がよくわからなかったらしく、さらに昔ほどにはパズルをする体力もなさそうで、この話はいったん保留になっている。