直視すべきこと

 60年代に起こった殺人事件の被告(のちに死刑囚)として長きにわたり収監され、その後に刑の執行停止で釈放の状態にある袴田巌さん。今日ようやく再審請求の差し戻し審で判断が下された。検察が1週間以内に抗告しない場合には、再審が開始されるという。(2023.03.13 jiji.com 「57年闘ったかいあった」 袴田さん姉、歓声と拍手

 この件に限らず、冤罪が強く疑われる事件のときに思うことがある。
 検察というのは、なぜ自分たちの世代が誤った判断をしたのでもないのに、再審開始にすら反対をするのだろう。誤っていたかもしれないなら「事実がわかったほうがいい」ではないか。仮に以前の担当者が間違っていたにしても、それは自分たちが間違えたことではないのだ。なぜ「はっきりさせたい」という気持ちがわかないのだろう。

 少し話は広がってしまうが、戦争に関することで「日本がほんとうにそんなひどいことをしていたとは信じられない、祖父母(または先祖)の顔に泥を塗るのは許せない」という考え方の人がいるらしい。だが、どういうことがあったのかを正確に見つめ直して大勢で共有していければ、それでいいように思う。嫌な話が出てきたらショックだからとタブー視してしまえば、そこで話は止まってしまう。

 たとえば、ナチスが第二次大戦中に広域で大量殺戮をしても、現在もドイツは存在している。本人たちも周囲も、戦後のドイツと当時のナチスについて、分けて考えている。

 再審請求についても、歴史認識についても、現在の自分たちは違うという思いに立てば、過去を読み解くことはより簡単になるはずと、思わずにいられない。