「高円寺放送」は、いつまで放送していた?

 マクドナルドも高架下の改築で閉店するし、かつて「エンジー商店街」と呼ばれた、阿佐ヶ谷方向へ向かう高架下の商店街もなくなり(3/31からは、しゃれた名前で復活するらしい)、あの薄暗さって昔の高円寺っぽさを象徴していたよなぁと、しみじみ思い出す。

 ところで「高円寺放送」は、いつまで商店街に流れていたのだろう。

 2009年の当ブログに高円寺放送のことが書いてあったので、そのころまではまだ聞かれていたようである。

高円寺放送と、バーボンハウス休業・移転

 知らない方のために書くと、「東京宝石」、「麻雀倶楽部ピンホー」、そのあと時代は少し遅れて「バーボンハウス」などがくり返し何度も、音声のCMとして大音量で流れてきたものだった。東京宝石は歌だったが、ピンホーやバーボンハウスは中高年女性の大まじめなしゃべりで、クスッと笑わずにはいられなかった。

 あれは、いったいいつまで放送していたのだろう。終わりに気づかないまま、聞こえなくなっていた。
 高円寺の北でも南でも、そして西方向(仲通り商店街)でも、どこでも流れていた。

 宣伝メディアとして古いかどうかという「あり方」だけでなく、場を共有する大勢が同じものを何度でも聞くことを許容できるかどうかの問題も含めて、時代が変わったのだろう。