通称「エブエブ」と、思い出した別作品

  先日 Everything Everywhere All At Once (通称エブエブ)を見てきた。平日午後で、客の入りはだいたい20~25%だっただろうか。ちょうどチケット予約をしていた日が米国アカデミー賞の発表日で、作品賞がエブエブだとわかってから出かけた。

 見る前から「あんなに賞を総なめにするなどと、かえって期待してはいけない気がする」との警戒感が。

 はたして、開始からまもなくは「大丈夫なのかこの映画」という疑問符が頭の中を駆けめぐる。うるさいだけで、内容も日常生活にあまりに密接していて「映画でこんなめんどくさい話を追体験したくないぞ」との思いが。
 やがてその騒音に耐えていると、やっと話が大きくなってきた。マルチバースである。危険な場面に遭遇するたびに多次元な世界にいる自分に接続し、その能力をもらい、機転を利かせてその場をなんとか逃げ切る。そしてまた次の場面に突入。めまぐるしい。

 だが、最後の最後で、冒頭で感じた「こんな日常生活だらけのシーンが」の流れに、もどっていく。途中であれだけ話を膨らませ、主人公らにはちゃめちゃな行動を取らせておいて、最後はお決まりの「どこにでもある映画」に落としこむ。これは、罪深い。

 別に続編を念頭に置けと願っているわけではないが、大きくなれる余地を見せておきながら最後にしぼませるのであれば、観客は先の世界や今後の可能性に思いを馳せることもない。終わった終わった、で映画館を出る。

 もったいないというか、罪深い。

 さて、わが家が語り草にしている「あれだけ騒いで、最後はこれか」の映画は、ジェフ・ブリッジス主演の「ブローン・アウェイ」である。もっとすごいことするのかと思っていたのに、それかよ、と。
 世間の評価は概ね好評だったのかもしれないが、今後わたしたちは、エブエブとブローン・アウェイを並べて語ることになるのだろう。