食糧危機を語る前に

 昆虫食、コオロギ食の話題が世間を賑わせているが、わたし個人が思うのは——食べ物の選択肢としてコオロギは(誰かが食べるのだろうし)除外すべきではないが、食糧危機の回避や軽減とは安易に結びつけられない、ということだ。

 コオロギを育てるには飼料がいる。飼料をそのまま人間の食卓に回した方がコオロギを育ててそれを食べるより効率がいいし流通も簡単だ。
 これは牛肉などにも言えることで、より人間が食べやすい肉を育てるのには水や飼料がたくさん必要となる。その飼料を人間の食べ物に回せば飢えなくて済む人たちがいる。経済的に裕福な人たちの食卓に、嗜好品としてとらえてよい“食料”(よい肉)を生産してまわすため、飢えそうなまでに困窮している人たちの“食糧”(主食となりうるもの)を奪っているのが、現在の世界的な経済である。

 つまり、ほんとうの食糧危機を語るならまず「肉食を減らそう」が先にくるべき。そしてまた、人間が食べられる小魚を食べまくるクジラを、適切な量に抑えることも必要。美しいから観光資源になるとか、食肉にするなどと野蛮だとか、そういうことからいったん離れて、「増えすぎたらだめ」の視点で考えなければならない。

 コオロギ食を開発している方々がほんとうに食糧危機を念頭に置いているのか、あるいは食料の選択肢として開発にいそしんでいるのかはわからないが、わたしとしては、それら企業が余計な摩擦をさけつつ今後も生産や商品開発していくためには、「嗜好」の路線で論陣を張られた方がよいのではないかと思う。コオロギで飢餓は救えない。