声をあげることは、たいせつ

 わたしのように世間とほとんど没交渉の人間でも、ときには真面目な用件でのメール交換もある。

 昨年度に少し関係した場所から、最近はどうしているのかと、よければまた参加しないかとお声がけをいただいていたのだが、わけあって、返事をせずにいた。こちらが告げずにいれば先方は気づかないだろうが、こちらは先方に言いたいことがけっこうあったのである。

 このままわたしが何も言わないにせよ、傷つく人は世界の人口から考えれば少数だ。だがわたしは、言うにせよ言わないにせよ多少は傷ついていた。なぜ返事をしないのかだけでも説明するのは、別にバチはあたらないだろうと考えた。

 勇気を出した。
 なぜこのところ返事をしなかったか、今後もしばらくは遠ざかっている予定であるかを、言葉少なに返信した。

 どうも、やはりといえばやはりだが、先方はその問題を認識していなかったようである。わたしにしてみれば「なにかすごく不都合があって自分の作業したものが止められたのだ」と思っていたが、そうではなかった。先方でも上司に当たると思われる方からわたしに返信があり、「できるだけ早く開始する」との言葉のあとで、実際にすぐとりかかったらしい。大量の作業がなされていることに、たった半日後に気づいた。

 言ってみてよかったなと、そのリストを見て思った。
 わたしが関係した部分以外にも作業が溜まっていた人がいたようで、見た目も風通しがよくなっていた。

 自分も気が楽になったが、ほかにも不快に思いつつ我慢していた人のお役に立てたかと思う。

 またしばらくして、こちらの気持ちが楽になったときに連絡があったら、次は少し相手に対してやわらかな応対をしたい。